海の向こうで暮らすようになってもう随分たちます。その土地その土地に、風と海と匂いと、そして土があるのですねぇ。生きるってなんでしょねぇ。そう、気持ちの良い景色の前に立って、すがすがしい思いをできる日ばかりではないですねぇ。人生は。それでも、やめないでいるだけの価値がある。そうおもえる瞬間も、いくつもありますねぇ。
とはいえ。塞いだときは、ほんに言葉通り、なにをみてもどこをあるいても。もうなにもないようにおもえるものですねぇ。時が来たら、ふわふわあ~っと、また、あれなんだっけ?という日がまた来るのもわかっているのに。動けないときはとにかく動けない。簡単にあ~すればいいこ~すればいい、と言われたりなどするものなら、塞ぎの扉はますます重くなるばかり。言ってる方には、そんなことは露も伝わってないから、むしろ善意であるがゆえに、励まさなきゃーとなるのでしょうねぇ。
かといって。ああそうですか。仕方ないねぇと冷たく突き放されたら、うれしいのかというと。やはりそうではない。がんばれがんばれといわれるよりも遙かに楽ではあるけれども、なんとも言えない甲斐のなさのこころがさらに冷たくなったり。ほな、どないせ~ちゅうねん?と言われそうですが。ともあれ。ふとしたとき、なにかをわかりきったひとやあきらめきったひとの「それでいいんだよ~。ゆっくりの~んびりいったらいいんだよ~」。たとえば。そんな言葉が、突然、不意に、わけもなく、こころに、じわじわじわ~っとしみこんで。あとからあとから、効いてくる。そんな言葉がやってくることがあるんですねぇ。不思議です。
ずう~っと、お便りしたいしたいと思いながら、できずにいます。書きたい書きたいと思いながら、今書いたら、このしんどい空気を封筒につめて、送ってしまうのではないかしら。今書いたら、調子のいいことばかりひとりよがりに書いてしまうのではないだろか。そんなこんなを思っているうち、時間は随分たちました。いま、ほんの少しやわらかくホッとできる空気のなかにいます。それがとってもありがたくて。これまで出来ずにいたことをどんどんやろう、というのと、せっかくの貴重な時間なのだからのんびりしなきゃ、の呑気な気持ちがありまして。ともあれ。やっと少しだけ息ができそうな、そんな時間にとっても感謝しています。