わたしはものを考えられないのかと、自分でも苦笑したくなります。書いているときだけ、素直になれるというのでしょうか。もちろん、ふだん口にすることも気持ちのままなのですけれども。書いているときだけ、言葉がもっと自然なところから出てくる気がするのです。ところが。改めて、何かを書こうとしたとたんに、何もかけなくなってしまう。なんででしょうね。自然体、ではなくなるからでしょうか。
落ち着きましたか?そうよく訊かれます。しかし、なにがどうなったら落ち着いたといえるのでしょう。時が過ぎて、「あ~そういえば、いま忘れてたなぁ」そうおもうことがよくあります。つまり、その都度、いまはちょっとだけホッとできてたのだと、確認しているくらいですから、とても、そんな引っ越しの荷物みたいに、かたずけておちつきましたなんて、いえるわけもありません。「これからどうするのでしょう?」自分でもいつもそう思います。
もう、なんにも出来ないとおもうときと、ひょっとしたら、そのうち、なにかをする元気がうまれるかもしれない、そうおもえるときとがあります。しかし、まだ、いまは残り時間の多さに、気が遠くなることはあっても、時間の多さを楽しみにできるほどの元気はまだでてきません。でてこないものを、無理矢理ひっぱりだそうとしても、こころがつぶれるだけですから、どうしたものかと、自然にでてくるつぶやきのままに、時間のなかに、なんとかとどまっている、といったところでしょうか。
海外などを旅して、ひととであうのを映している番組を見ると、「あ~いいなぁ」とは思えますから、まだ希望がなくなったわけではないのでしょうが、いますぐ、なにかを目指して頑張る!とはなりそうにないですねぇ。ひとは、いざしばるものから解放された途端に、ほんとうになにがしたかったのかわからなくなることもあるのかもしれません。正直、いまはがんばるということばさえ、そばに置きたくない、そんな気持ちです。
とはいえ、生きる気力もないというのでもありません。そういうのとは根本的に違う、そういうマイナスのエネルギーさえない、といえば、さらに聞こえは悪いかもしれませんが、つまりは、冬眠中の生き物のような、そんな感覚です。いざ、書こうとすると、余所行きの文など書けないと思ってしまう、この心理状態がかわるなにかはいつか産まれるのでしょうか。それなら、ブログのような日記形式で書けばいい、そういう心の声もきこえますが、いざとなると。。。
やはり、伝えたい誰か、伝えたいなにか、それが具体的にないとだめなのでしょうね。ゴルフについて、実際にしているひとにしかわからない感覚を書いていけば、さぞ面白いだろうな~あ、とは思います。あとは、きっかけなのでしょうか。いいスコアがでたら、いい内容のゴルフができたら、確かにうれしさはありますが、なにか、もうひとつゴルフをする動機が産まれてこないのです。いま、わたしにできることはこれしかないからなぁという冴えない感覚のうちは、いいゴルフができそうにありませんし。ゴルフも人生と、旅と同じで、だれとするかがすべての気がするわたしですから、それでもって戦いの場にでていくことに、今も疑問が残っています。
ゴルフの雑誌を作りたい、そんなことを勢いよくおもっていたころもありました。いまは、それさえ、気持ちをもって言えないような状態です。とはいえ、あのドライバーショットをお見せしないまま、ゴルフをやめてしまうのも、確かにもったいないとは、おもいます。自分で言うのもなんですけれど。飛んでいく球はそのひとそのものであり、その飛球をみて、ああいいなぁとおもえるひととのラウンドは、確かに味わい深く、その日いちにちがとても有意義におもえるものです。なにを、どうやったら、何かの役に立てるのでしょうか?なるたけ、目立たず、ささやかに、なにかの役に立てたら、いいのですが。。。
落ち着きましたか?そうよく訊かれます。しかし、なにがどうなったら落ち着いたといえるのでしょう。時が過ぎて、「あ~そういえば、いま忘れてたなぁ」そうおもうことがよくあります。つまり、その都度、いまはちょっとだけホッとできてたのだと、確認しているくらいですから、とても、そんな引っ越しの荷物みたいに、かたずけておちつきましたなんて、いえるわけもありません。「これからどうするのでしょう?」自分でもいつもそう思います。
もう、なんにも出来ないとおもうときと、ひょっとしたら、そのうち、なにかをする元気がうまれるかもしれない、そうおもえるときとがあります。しかし、まだ、いまは残り時間の多さに、気が遠くなることはあっても、時間の多さを楽しみにできるほどの元気はまだでてきません。でてこないものを、無理矢理ひっぱりだそうとしても、こころがつぶれるだけですから、どうしたものかと、自然にでてくるつぶやきのままに、時間のなかに、なんとかとどまっている、といったところでしょうか。
海外などを旅して、ひととであうのを映している番組を見ると、「あ~いいなぁ」とは思えますから、まだ希望がなくなったわけではないのでしょうが、いますぐ、なにかを目指して頑張る!とはなりそうにないですねぇ。ひとは、いざしばるものから解放された途端に、ほんとうになにがしたかったのかわからなくなることもあるのかもしれません。正直、いまはがんばるということばさえ、そばに置きたくない、そんな気持ちです。
とはいえ、生きる気力もないというのでもありません。そういうのとは根本的に違う、そういうマイナスのエネルギーさえない、といえば、さらに聞こえは悪いかもしれませんが、つまりは、冬眠中の生き物のような、そんな感覚です。いざ、書こうとすると、余所行きの文など書けないと思ってしまう、この心理状態がかわるなにかはいつか産まれるのでしょうか。それなら、ブログのような日記形式で書けばいい、そういう心の声もきこえますが、いざとなると。。。
やはり、伝えたい誰か、伝えたいなにか、それが具体的にないとだめなのでしょうね。ゴルフについて、実際にしているひとにしかわからない感覚を書いていけば、さぞ面白いだろうな~あ、とは思います。あとは、きっかけなのでしょうか。いいスコアがでたら、いい内容のゴルフができたら、確かにうれしさはありますが、なにか、もうひとつゴルフをする動機が産まれてこないのです。いま、わたしにできることはこれしかないからなぁという冴えない感覚のうちは、いいゴルフができそうにありませんし。ゴルフも人生と、旅と同じで、だれとするかがすべての気がするわたしですから、それでもって戦いの場にでていくことに、今も疑問が残っています。
ゴルフの雑誌を作りたい、そんなことを勢いよくおもっていたころもありました。いまは、それさえ、気持ちをもって言えないような状態です。とはいえ、あのドライバーショットをお見せしないまま、ゴルフをやめてしまうのも、確かにもったいないとは、おもいます。自分で言うのもなんですけれど。飛んでいく球はそのひとそのものであり、その飛球をみて、ああいいなぁとおもえるひととのラウンドは、確かに味わい深く、その日いちにちがとても有意義におもえるものです。なにを、どうやったら、何かの役に立てるのでしょうか?なるたけ、目立たず、ささやかに、なにかの役に立てたら、いいのですが。。。