せっかくいい流れできてたのに、あとすこし、あとすこし、というところで、それまでのがんばりというか、気持ちのいいながれを、みずから、ぶちこわしてしまうようなことを、しでかしてしまう…
あとちょっと、がまんできてたら、あと少し、辛抱してたら、と、おもえるところで、いつも、後味をわるくしてしまうような、ながれを自ら作ってしまう…


ばかだなぁ~とおもう どうしてせっかく、穏やかにいられたのだから、どうしてあとちょっと、なにごともなかったように、平気でいられなかったかと、おもう
どうして、大きな我慢なら、できるのに、ふとした、ちっちゃなちっちゃなそれが、できなくて、ひとの気持ちまで、まきこんでしまうのだろうかとおもう


あと少し…というところで よけいなこころのねじれをおさえきれずに、いてしまうのだろう…
あとすこし…が、できたら、どんなにいいだろうかとおもう


どうしてさびしさを、なにごともなかったかのように、こらえきれないのだろう

残りの人生のながさをおもって、気が遠くなるからだろうか


こころのおくでは、こうやって、おもえるなにかがあるから、充分にいきてる甲斐があるんだって、ちゃんと、実感できてるのをわかっているのに
どうして自ら、結局自分がつらくなるような(こころの)はんらんをおこしてしまうのだろう


これも、ほんとは、いつも、とってもがんばって!?いるから、どきどき、そうやって、わざわざ、そこにあるなにかを、あらためて確認するかのような、こころのねじれを、自ら起こしてしまうのだろうか
苦労がたくさんあるほうが、ずっと充実を実感しやすいのとおなじみたいに…!?


それにしても
どうしてこうも、ぶきような、というか、かなしいまでに、かなしきねじれを、タイミングわるくおこしてしまうのかなぁ~


ぬくもりと、つながりと、いたわりと…
そうおもえるときが、あるなら、
それだけで、充分なのに…


どうして、ないものねだりを、いつまでもこりずにしてしまうのだろう


どんなことも、いつかおわりがあるから。すくわれもするのに

ふとした、ことに、自分のなかで、なにかをおさえきれなくなって、はやく人生がおわっちゃえばいいのに…って、自分で自分のこころがいたたまれなくなるようなことを、おもってしまうのだ


なにがかなしいといって、それは実際の孤独ではなくて、自分で自分のこころを、孤独にしてしまうことが、なによりかなしきことなのに…


どこにいても、だれかをやさしく穏やかなきもちで、おもっていられる、その時間にあるときは、それだけで、充分、こうふくでいられるのに…


なにかに、ちょっとだけ、たえられなくて、つい、自分以外のだれかを、せめる気持ちになってしまったら、もういけない どんどんこころは、ねじれて…
結局は自分自身が、つらい気分の温泉にどっぷりつかって、湯中りおこしたみたいに、ふらふらになって…
そして、かなしき、物思いのなかに、どんどんどんどんしずんでいくのだ



どこまでも、やさしい気持ちでいられらるときとは、まったくまったく違う時間になってしまうのだ…


ううう。どうしてこうも、いつも、いいところで、かなしいまでに、おろかなこころに、ふりまわされてしまうのかなぁ

ばかですねぇ