ふとしたとき、こころは、ゆらぎ、みだれ、いたたまれないおもいにつつまれるときがあります。しばらくして、平静をとりもどしてみると、なにひとつ、なにかがなくなったわけでも、これからさきのかのうせいがきえたわけでも、なんでもないのに、それとは、おそらく、まったくべつのところで、こころは、ふと、きずつき、いえ、きずではなく、そのなんというか、つまりは、よじれて、じぶんでもおどろくほど、もろく、なってしまうときがあります。それを、ひとことでいうと、つまりは、せつない、ということなのかもしれません。
むろん、それは、たいせつなにかが、かけがえのないなにかがら、あるからこそ、それだけ、繊細に、ちいさなことごとに、ふと傷心してしまったり、なんともいえない、気分に自分でたじろいでしまったりするのだろなぁ。だから、あるいみでは、それは、けっしてかなしいことではないのですが。いえ、ひょっとしたら、かなしいとはありがたくめぐまれたこと、と、同義語なのかしらん、と、はんぶんほんきでそうもおもうような…。つまりは、心配事がまったくない状態というのは、むしろ、より、不安で仕方ないことなのかもしれないぞ、と、言い直してみたり。。。(う~ん。ちょいと、せつないやせがまんかなぁ)。
つまりは、そうやって、日々、自分の、ときに、もろく、小さなことで、ちりぢりになったり、また、つよさをとりもどしたかとおもったら、また、せつなくなったり、しあわせをかみしめてみたり、そんなこんなを、いそがしくくりかえしてしまう、自分のこころを、毎日、眺め、ときに、もてあまし、ときに、よろこび、かなしみ…。そんなこんなも、いまこのときがあるからこそ、なのですけどねぇ。どうして、こうも、こころは、繊細なのですかねぇ。われながら、ほんまに、やっかいなものやなぁ~と。
ほんとは、かんたんなのですけどねぇ。ほら、関白宣言にもあるとおり。たやすいことだ、あいすればいい~。のだ。そう。み~んな、ひっくるめて、その状態をね。さそれば、なにひとつ、困ったことなどないのですけどねぇ。ときどき、こころのなかの、(ほんとうの?)どこかが、「どうして、もっと素直にぶつからない?なにを、かっこつけてるのだ」なんて、言って、わたしを困らせる。いや、どちらもわたしなのだけど。そう。いっぱい悩んで、そして、その都度、精一杯のきもちで、ことにあたる。それでいいのだと、いまは、そう言い聞かせて…。いるのですけどねぇ。
とはいえ、ときには、呑んで呑んで、なあんにも、考えないでいたいよな…、ときもありますねぇ。いえ、できるなら、いいことだけを考えて…。気持ちよく、眠れたら…。そうしたら、それだけで、まだまだ、あきらめずに、また、がんばれる日が来そうな気もするし…。なあんて、そんな、前向きなんて、いちじは忘れて、ともかく、ひたすら、眠りに堕ちたい…、そんな夜もありますねぇ。(それにしても、このわたしが、毎晩、呑んで眠っているのですから…。ちょっいといちだいじですねぇ…^^;)。