もし、書くのがすきかと訊かれたら、少し、返事にとまどう。それは、せいかくにこたえたいとおもうからであり。とても、たいせつなのことだからだろう。リンゴが好きか?桃が好きか?(というのも、厳密にはきっとおなじだけど)、というのと、同じ気軽さで、単純にすき、きらい、とはいえないなにかがそこにある。それだけ、そのひとにとっておおきなこと、ということなのだろうな、とおもう。かんたんに、すきだからこうする、すこしきらいになったからこうする…、みたいな、今朝は珈琲を飲むか呑まないか?の、質問と同じにはできないことが、たしかにある。


わたしの未来は、いまにここにある。だから、このいまがたのしめないなら、いったい、いつ、どこで、そうするの?ことしの、冒頭にもらったことばを、もういちど、読み返してみた。そうなのだ。いつ、どこで、どうしていようと、かわらないものは、かわらない。ただ。だからといって、なにもかもあきらめるのとも違う。永遠にいまのままがいい、というのとも違う。ひとつひとつのときを重ねていくこと。なにかを感じあったり、確かめ合ったり、はたまた、ごかいしあったり、あるいは、ちょっとぶつかりもあったり…。そんなこんなできるということ。それは、気持ちがそこに向いているからできること。知らず知らずに、気が付くとできていることは、たくさん…。悩めるのも、おもいあればこそ…。なあんて、おもったら、すこしはちからは抜いて、気長にがんばれるかなぁ~^^;


いつかも書いたけど。好きなものを訊かれていつも少し困る。食べ物にしたって。ふだん、口にするのは好きだからに違いない。嫌いなものは口にしないだろう。じゃあ、これは、特別!ってものは?っと言われると、またまた、困る。ほんとにほんとに好きで好きでしかたないものは、そんなもの言わなくったってわかっているから、わざわざ発音するまでもないと、おもってしまうし。すきなものは、なにもかもひっくるめて好きだ、たいせつだ、いとおしいと、おもっているのであるから、その理由を訊かれても困るんだな。いっそ、生まれたときからずっと好きだったのだ。ただ、そのときは、まだであっていなかっただけで…。なあんて、こたえておこうかともおもう。ともあれ、すきをせつめいするのは、とても、むずかしい。理路整然とこたえられないから、それはまぎれもなく、すきなのであるし。


さて。たとえば、ゴルフが好きか?と、問われれば。これまた、さらに難しい。きらいでないのは、確か。ただ、世間一般の(!?という言い方は、実際、野暮ですね。好きのかたちはひとのかずだけあるのだろうですし)すきというのとは、少し違うかな(いやぁ~、たんに、わたし、おへそ曲がりで、ひとと違う、ということが、いいことだ、それを自らがのぞんでいるのかも…という、気はしますねぇ)、とはおもいます。その、貴重な時間であるからこそ、ひとつひとつを、とっておきの特別なものにしたいというか…。だから、いつもいつも、とは、あえてしないでおきたいというか…。たいせつなひとであるからこそ、その時間を、むやみに奪うようなことはしたくない…、というのと、少し似ているような…。ただ、そこには、自分を映す鏡というか、いろんなことが試されたり、我慢したり、葛藤したり、決断したり…。そんな、見えなくも、それはそれはときに厳しく烈しい!?闘い(の一瞬一瞬)があるのかもしれませんね。だから、どんな1打もおろそかにはしたくない…、そんなおもいでいるのですが…。(なあんて、あんまり、おりこうさんなことばは、ちと、面白みにかけますかねぇ)。