たとえば、いえで、おふろのシャンプーをボトルに補充しているとき。たとえば、こくないやこくがいの、友人たちへの、贈り物を封筒につめているとき。ちょっと、うれしい。時間をきにせず、なにかを、しているとき。ほっとしている。ふと、おもいついて、なにかちょっとした、手仕事をしているとき、なんとなくだが、こういうのいいな…、そう、おもう。なんだろう。たぶん、だれかのため…、というとちょっと大袈裟だけど、なにかを、丁寧にしようとしているとき、たぶん、こころは自然に、なにかをおもうのかな。だから、流れるときが、自然にいとおしくなるのだろうか。
想うことは、やまのようにある。ぜんぶ書き出したら、それこそ、五月蝿いかもしれない。あるいは、ぜんぶ、ことばにしたら、ちょっと、ガサガサしてしまうところだって、あるやもしれない。大きな岩のようなものがうごくときは、そんなときは、なにか、気配があるものなのだろうか。なににせよ、理屈じゃないって、おもう。だけど、いくら、そうでも、だから、なんでもいい、というわけにもいかないだろうな。なにもないときに、あれこれ、おそれてもしかたがないが、つまりは、そんなふうに、心配と、不安と、そして、どうしても、なしにはできない、期待と…。そんな想いの、なかにいる。(なあんて、書いてると、ひとりでに、涙がでてくるから、ちと、こまるんだな)。
ともあれ。そんなこんなのひびのなかで、ときおり、おもいがけず、おとずれる、ふわふわ~っと、ながれる、そのひととき、ひとときを、たいせつにしたい。ときというのは、ともすると、そんなふうに、知らぬ間に積み重なってもいくもので、きがつくと、そのなかで、ちゃんとなにかがうまれていたりもするのだろうな。りきまずに、でも、たゆまずに、なにかを、そう、なにかを、つづけていくことの、ありがたさ、かけがえのなさ、いとおしさ…。いつも、おなじように流れるときでも、きっと、豊かなそれは、そんな、こころのおもいかた、にあったりするのかもしれない。頑張れる気持ちになれること、それの支えにひとりでになるもの。ずっと、想い続けていきたい。そんな風におもってる。