ときどき、こころにあふれる機微のあれこれを、つれづれなるままに、書いていたいなぁ~。そうおもうのだけれども。どうして、わたしの、時間はいつも、多忙が過ぎるか、多閑が過ぎるかのどちらかなのだろう。ほとほと、中庸とは縁がないのか。ふ~。かなしい。
夜。わけもなく、(いや、わけはちゃんとあるにきまってる)涙があふれる。ことがある。それも、冷静に見つめてみれば、ようは、自分が可愛いということかなぁ~。とおもって、やっぱりちょっとかなしい。なにがどうなったらいいというのだろう(それは、のどから手が出る!?くらい、いいたいこと、願いたいことはあるのだ。意気地がないから、いえないだけで。。。)。ひとは、どこで、なにをしても、どうしても、どうしたって、ときおり、はて、ほんとに、これでいいのだろうか?わたしの人生はほんとうにこれでよかったのか?たぶん、だれしも、そんなことをおもうのだろう。
願いがかなうかいなか、それを想いつづけられるかいなか、それは、こころのつよさ次第なのだろうか。それとも…。運なのだろうか。運とても、これまた、さけられない、あらがえない、うんめいとやらの運なのか?なにかが、少しだけ、足りてないから、かけているから、いまの、このありがたい時間があったりするのではないか。なのに、その不足ばかりをあげつらい、それをなにがなんでもと、願って無理やり形を強いたばっかりに。せっかくのものがなくなってしまったりはしないだろうか。あれこれ、考えてもきりがない。でも、考えないでは生きられない。では、どうしたらいいのだ。適度に、本気で。適度に、テキト~に。いれば、いいのだろうか。ふ~。かなしく、せつない。
かなしく、せつない。ということは、ありがたく、かけがえがない。ということなのだろうか。流れに逆らわない。というのは、ときに、とても繊細で、ときに、とても、厳しく、一瞬の判断がすべてを変える。こともあるのかもしれない。でも、たいていのばあい、それがそのときだったのだ!そう、気が付くのは、あとになってからだったりする。ともあれ。こころの力を抜いて、風のように、穏やかに、どんなときでも、どんな風にも流れに身を任せられる。そう、ありたいと願いながらも、やっぱり、それが、ねがいとはちがうかたちだったら、どうしようかと、ほんとにほんとに、不安でたまらなくなる。やっぱり、なにをおいても、自分の気持が大事なのだろうか。なあんて、つらつら考えていると、疲れているので、あっという間に夜が明けてくる…。ううう。