ときどき、「あ~、そうかぁ」と、深く納得させられたり、「ああ、わたしがほんとにしたいのはなんだ?」と、真剣に考えさせられたり、そうして、気付かされることに、であう、でくわす…ことがあります。そのときどきは、その(起こったことの)意味を、冷静にとらたりすることはなかなかできないけれど。でも、その都度その都度、悩みあるいは悔やみもあったりし、あるいは、葛藤し、あるいはあるいは、案外けろりと、自分でも驚くほどはっきり決断したり…、ともあれ、つまりは、真剣であればあるほど、ひとは悩み、そして葛藤もするものなのだと、このごろ少しわかってきた。そんな気がします。そして、少しして、それらのことを振り返ってみると、やっぱり、どれにも、それなりに意味があって、あるいは、暗示が、あるいは、答えのヒントだったり、流れの中のたいせつなポイントであったり…するのかもしれない。 と、思います。
とすると、それぞれで(つまりは、いつでも)かみさまにためされている、といえるのかもしれないし。ただ、いつも、考えたりイメージしたりしていないことは、いざというときに、なかなかできないのだろうな。だから、いつもいつも、何かをおそれたり杞憂にばかり振り回されるというのでもなくて…。常に、最善を尽くす…というか…。それにしても、ほんとにほんとに、いささか、盛りだくさんな内容がやってきていますね。たぶん、それだけ、人生の中でも、おおきなことなのかもしれない…、というおもいはしています。いま、このタイミングで、このことが起こった理由は…?それを、考えすぎてもいけないけれど、なにごとも、なにかの流れのなかにあることをおもうと、たとえば仮にもし(一時的に)よからぬことが起こったとしても、すぐに「~すればよかったぁ」(こう考えてしまうと、どこまでも後ろ向き思考につぶされてしまうから)、とおもうのではなくて、だから、次はなにが必要なのか…?なあんて、考えられるといいなと、おもいます。もちろん、そのことを
、~ねばならぬ、としてしまっても、また、こころをしばってしまいかねないので、常に、フリーで機動力のある部分はこころに、いつも残しておくとして…。
ふ~。それにしても、確かに、このところ、こころは、ほんとにほんとに大忙し!ですね。まいにち、はて、きのうはどんな日だったけ~?というくらい。ふと、耳にした面白い話がありました。なにか、特別な危機が訪れたときに、たいてい人はあわててブレーキを踏んでしまうものですが。それもおもいっきり。だが、そうすると、タイヤは余計に空をきり、スリップの度合いはますますひどくなり、ついにはがけ底にさえおちてしまいかねないのだけれど、そこで、いのちをまもるために、必要なのは、アクセルを踏むことなのだそうだ。なるほど。確かに一理あるとおもいながら聴いていた。なるほど~、と。もちろん、平時に、安全走行中に、むやみに、アクセルをふかせばいいというのではなく。適度なブレーキはもちろん大切です。余計なリスクを迎えないためにも。しかし、ほんとうの大事は、案外、そんな、いざというときの、その一瞬の判断、なのかもしれませんね。つまりは、勇気…、なのですかね。それが、いつ、なのかは、そのときどきに、勘と感覚を信じて(判断を)
していくしかないのだろうな。若い友のひとりに、一歩踏み出すのに、勇気がいるのは、結果が怖くてそれだけ慎重になってしまうのは、(今からしようとしていることが)それだけ、本気なことだからだ…、そういわれて、なるほど…、と、素直にうなずいた。そして、本気で取り組むことが目前にあるのとないのとでは、それ以外のことを取り組む姿勢だって、全然変わってくるのだと。そうかもね。
どこにあっても、どこにいても、教えられることはたくさんあります。その都度、じぶんのこころと対話するときも…。そして、それでも時間のかずだけ、可能性も…。どんなときでも、そう、おもいたいものです。なにか(小さなことも含めて)あるたびに、想いはたしかに深まっていきます。伝えるって、たいせつですね。
とすると、それぞれで(つまりは、いつでも)かみさまにためされている、といえるのかもしれないし。ただ、いつも、考えたりイメージしたりしていないことは、いざというときに、なかなかできないのだろうな。だから、いつもいつも、何かをおそれたり杞憂にばかり振り回されるというのでもなくて…。常に、最善を尽くす…というか…。それにしても、ほんとにほんとに、いささか、盛りだくさんな内容がやってきていますね。たぶん、それだけ、人生の中でも、おおきなことなのかもしれない…、というおもいはしています。いま、このタイミングで、このことが起こった理由は…?それを、考えすぎてもいけないけれど、なにごとも、なにかの流れのなかにあることをおもうと、たとえば仮にもし(一時的に)よからぬことが起こったとしても、すぐに「~すればよかったぁ」(こう考えてしまうと、どこまでも後ろ向き思考につぶされてしまうから)、とおもうのではなくて、だから、次はなにが必要なのか…?なあんて、考えられるといいなと、おもいます。もちろん、そのことを
、~ねばならぬ、としてしまっても、また、こころをしばってしまいかねないので、常に、フリーで機動力のある部分はこころに、いつも残しておくとして…。
ふ~。それにしても、確かに、このところ、こころは、ほんとにほんとに大忙し!ですね。まいにち、はて、きのうはどんな日だったけ~?というくらい。ふと、耳にした面白い話がありました。なにか、特別な危機が訪れたときに、たいてい人はあわててブレーキを踏んでしまうものですが。それもおもいっきり。だが、そうすると、タイヤは余計に空をきり、スリップの度合いはますますひどくなり、ついにはがけ底にさえおちてしまいかねないのだけれど、そこで、いのちをまもるために、必要なのは、アクセルを踏むことなのだそうだ。なるほど。確かに一理あるとおもいながら聴いていた。なるほど~、と。もちろん、平時に、安全走行中に、むやみに、アクセルをふかせばいいというのではなく。適度なブレーキはもちろん大切です。余計なリスクを迎えないためにも。しかし、ほんとうの大事は、案外、そんな、いざというときの、その一瞬の判断、なのかもしれませんね。つまりは、勇気…、なのですかね。それが、いつ、なのかは、そのときどきに、勘と感覚を信じて(判断を)
していくしかないのだろうな。若い友のひとりに、一歩踏み出すのに、勇気がいるのは、結果が怖くてそれだけ慎重になってしまうのは、(今からしようとしていることが)それだけ、本気なことだからだ…、そういわれて、なるほど…、と、素直にうなずいた。そして、本気で取り組むことが目前にあるのとないのとでは、それ以外のことを取り組む姿勢だって、全然変わってくるのだと。そうかもね。
どこにあっても、どこにいても、教えられることはたくさんあります。その都度、じぶんのこころと対話するときも…。そして、それでも時間のかずだけ、可能性も…。どんなときでも、そう、おもいたいものです。なにか(小さなことも含めて)あるたびに、想いはたしかに深まっていきます。伝えるって、たいせつですね。