そういえば、4年前の夏は、家の中を隅からすみまで、大掃除。それに明け暮れたのだった。ちょうど3ヶ月かけて。主の入院で、外で暮らす16年来の相棒とのふたりぐらし…。あれは、あれで、とても貴重なときだった。毎日夕方の散歩…。いつでも、いけるから…、と、結局、彼の大好きな海辺にはいちどもいかなかった。そのうちね、まぁ、いまは暑いから…、なあんて言い訳して…。夏の夜の、町を挙げてのイベント(踊り)会場にも…、こんど行こうね…、なあんて言いながら…。その日々の済んだ3ヵ月後。大雪の降る前夜…、彼はだれにも姿を見せず…、風のように去っていったのだった。戻った主に、これ以上(散歩の)迷惑をかけまいと、でもするかのように…。まるで、動物版『阿寒に果つ』のようで、涙がとまらなかった。そうだ。17年間の最初と最後の夏を、一緒に過ごしたことになる。奇しくも。あのとき、いつでもまた行けるとおもった、すぐそこの海が、もう二度(一緒に行くこ)とないのを…、どんなにせつなく、どんなにやるせなくおもったか。ふと、おも
いだしました。

まぁ、感傷はこのくらいで。ともあれ、ひとは、ともすると、たとえどんなときでも、まったく変わらないペースで流れる時の流れの中にあって。でも、ときおり、カミナリにでも打たれたかのように、がーんと、目を醒まされるような、おもいに、身をつまされる。そんなときがある。ああ。いままで、なんて、贅沢なことで、くよくよしていたのだろう…ってね。そんなことどうだっていいじゃないか。ほんとに、時間がまぎれもなく、有限なのだと、いたいほど、感じたとき、つまり、そんなちからをもって感じられる出来事に遭遇したとき、ひとは、やっと、ほんの少し、目が覚める…、のかもしれませんねぇ。要は、おなじことが起こっても、それをどうとらえるかで、無論、ひとによって、自ずと違ってはしまうのかもしれませんが。自分のちからでは、どうにもすることのできない、ものが、時折やってくる。それは、ほんに、天災みたいなものなのかもしれない、とはおもう。変化はときに、ひとを勇気付けたり、一途に進むことの大切さを改めて教えてくれたり…、するものらし
いですね。ひとまず、そうとらえることにしたいです。

それにしてもねぇ…。なんでしょねぇ。う~ん。もし、ただの偶然だけではないとしたら…、やっぱり天運というか…。いやいや、食事のたいせつさを、改めて反省しました。う~ん。ただ、空腹時間を長く保つのは、実はとてもいいことのようですが…。幾つになっても、成長ホルモンがでるとかで…。いかに。まぁ、そのことを、よくする契機になれるだろう、そう、とらえるのは、それはそれでいいとして。あの夏、あんなにしみじみ、いろんなことを教わったのに、また、何もないのが当たり前…、になってたんだな。なにかがあって、はじめて気付くのだ、いつも。少し、情けないけど、でも、こうやっていろんなことを一気に考えさせられる契機。ふ~。いやはや、ひとさわがせというか…、じぶんさわがせというか…、はらんばんじょう(といのは、このごろは、それもあたりまえのいちぶのような感じもしているのがかなしい気もしますが…)なのですかねぇ。さすがに、きょうは、だじゃれがなかなか浮かびませぬ…。自分では、とてもとても冷静なつもりなのですが…、やはり
いささかそうなんですかねぇ。むむむ。