ときおり、自分でも驚くひとことをことばにしていることがある。「YesでもNoでも、(こころの平静さは)おなじ…」。わぁああ。いいながら、自分でもおどろいていた。むろん、感じていること、おもっていることを口にしたには違いないのだが、ふとしたときに、でてきたことばに自分でも驚く。そんなことがある。書いた文章でもそうなのだが。ともあれ。どんなときでも、そうありたい。どんなかたちもうけとめたい…。そんな、(だいそれた?)願望のせいだろうか。言ってから、そのことばの意味を自分で考えている。ちょっと可笑しいけど。つまり、YesかNoかで一喜一憂するのでなくて、そのときの素直なきもちをことばにできること(してもらえること)。そのことのほうが、ずっと嬉しい…。たぶん、そんな意味を、あわててことばにして、そんなひとことになったのかもしれない。それにしても、われながら、ハッとするひとことには、ときどきでくわす。もちろん、ありがたく、うれしい時間に違いない。

“I need someone…”。ときどき、訪れる場所で、さらに、ときどき顔をあわせるひとがある。そのひとの、性格(人間性?)の、いくらかは、その風貌があらわしている…。のだとしたら、まさしく、気立てのよさ、人間のまっすぐさが、滲み出るどころか、まさにあふれている風貌の彼女のことを、わたしはずっと、遠くはなれた異国に働きに来ているのだとおもっていた。馴れない(だろう)風土に、その他いろいろ、日本人の繊細ゆえのわずらわしさ…、などなど、たぶん、しんどいこともたくさんあろうに、もともと小さいことにくよくよしないたちなのか、ともあれ、朗らかを絵にして額に入れたような明るさがあふれている。いつも、ちょっと癒される。肌ツヤもいいし、若々しいし、てっきりわたしより、5つ以上、ひょっとしたら10くらい年下だとおもっていた。年下には違いなかったが、わずか2ヶ月。しかも、働きにきたのではなく、嫁に来たのだという。おどろいた。そんな彼女が、わたしの耳元で不意に、尋ねた。頬を赤らめながら…。「アイスルのひ
とは居ますか?」母国語ではないアンスムーズさが、むしろ、まっすぐな透明さで心に響くコトバになることもあるらしい。ことばづかいも、知らず知らずにそのひとを顕すのかな。ともあれ。「うわぁあああ」と胸を突かれた。そうなんですよねぇ~。おんなには、それさえあらば、生きられる。そんなところがあるのだ。で、思わず、照れ隠しに、「How about you?」と、質問に質問で返した(少しズルイ)わたしの問いに見せた、彼女の表情が、いろいろなことを物語っていたのだった。そして、そのあと、おもわず、わたしのくちをついてでた、ひと言が、最初のフレーズ…。ううう。ちょっと、かなしいですねぇ。でも、かなしみは、いつも、いくばくかの、かけがえのないひめたうれしさ、いとおしさとともにあるのかもしれない。さびしいとき、そう、おもうようにしている。

そういえば。最近、であった書物の中の、ハッとした一文のひとつに…。嫉妬は、それを向ける相手のことがほんとうには好きでないから(うまれるの)だ…。というもの…(ただし、嫉妬とヤキモチは違うらしい…)。むろん、それを読んだわたしが、そう読み取りたいからそう、解釈したのかもしれないが、ともあれ。なるほど、そうなのだ…。そして、ホッとした。実際そんな気がする。とっても、逆説的にもなるけれど。ほんとうに想っている相手には嫉妬はしない。なぜなら…。う~ん。ことばで説明するのはちょいとむずかしい。つまりは、愛でしょうかねぇ。ほんとうの愛ならば(つまり、それが愛だとわたしが勝手におもっているものにすぎぬのかもしれないけれど)、相手が、望む状態を守ってあげられることが、安心であったり、望ましいことであるのだから…(と、いったらぎぜんにきこえるだろうか?)。仮に、いささかの哀しみがあっても、嫉妬にはならない。嫉妬になるのは、たぶん、そこには(愛が)ないことを、潜在意識のほうはちゃんとわかっているから、
その焦りが嫉妬になるのだろうな。と、書きながら…、嫉妬してない者がそれを、想像で説明していることに無理がある気もしてきたけど…。(そして説明すればするほど、伝わりにくい気がしてきたぞ)。びみょ~なニュアンス!を、(確かに感じる)こころの機微を、ことばで過不足なく表すのは、ちょっとむずかしいね。ひとのこころを充たすのは、きっと、“かたち”ではなく、目には見えないものにある。そうおもうし、たぶんきっとそのとおりなのだけど。ただね。やっぱり、ちょっと、“かたち”という、のも味方にできるといいな。そう、こころが呟くこともあるんだな。よわむしなのかな、わたし。ともあれ、ふだんの、こころの表情が、知らず知らずにそのひとの風貌をつくっていく…のかもしれない。そんな気がしている。