たとえばだけど。せんとうにたてる実力のある人が、あえてにばんめにいる。あえて、サブにてっしている。それも、もちろん、いやいやそうするのではなくて、むしろ、よころんで(あるいは、わかってて)、うらかたにいる。じゃあ、おもてにいるひとが、おとっているかというと、もちろんそうではない。つまり、双方が双方の、ちからを尊敬しあっていて、それでいて、うまくおぎないあっているような…。無言のトスやキャッチボールが、しぜんとできるような…。そんな、じょうたいが、とてもいい。(ちなみに、せんとうは銭湯じゃないよ)。あるところで、ふと、そうおもった。(いつだったか、もうずっと、むかしに、ひとが嫌がるような、あるいは、敬遠したがる作業も、そうでない仕事とかわらぬテンションで、たんたんとできるなら、とても(心理的に)つよくいられる…、というのを、実感したことがあるけれど。むろん、つよいだけがいいわけではないが、ここでいうつよいというのは、むずかしいが、いわゆる、その、そこのけそこのけ…、のつよい、という単純な
だけのいみではないつもり…。つよさにも、いろいろある。)
最近、面白い文章(の一部)にあった。「生来の才能は、圧倒的な輝きを放つ。持っている人はしあわせである。しかし、長い現役生活をまっとうしようとすれば、どこかで、それを二次的客観的に手に入れ直さなくてはならない。過酷だが、それが出来たときの輝きは、いっそう深く艶やかで人の心をつかんで離さないはずだ。脳は、客観モデル構築のために苦しんだ分だけ、必ず出力の性能を上げてくれるから。」。というもの。苦悩というものに、ぶつかれるひとは、じつは、それだけでしあわせなのだ。それは、何かができるちからがあるから、そもそも直面しているのだから。もちろん、時と共に、ぶつかる苦悩の種類は、少しずつ表情をかえてくるものだけれど…。きっと、あきらめずに、向き合った人にだけ、いつの日か、見えてくるもの(輝き?)が、あるのかもしれない。とはいえ、いやぁ~、いきてると、ほんとに、次から次といろいろありますねぇ。ふ~。あんまり、タフになりたくなどないのだけどなぁ。まぁ、いいか。で。ちなみに、先の文章は、さらに、こうあって、
締めくくられている。「ただし、『ひど~い、こんなに頑張っているのに~』という自己憐憫は、“客観モデル構築のための苦しみ”には入らない。残念ながら、無駄な思考である」。のだそうである。(なんとも。こういうとき、おんなの書く文章は、痛快なくらいにわかりやすいですねぇ。)
そういえば。もうずっとずっとまえ、セッターにならんか?と、いわれたことがあった。無論、さらにその少し前、(ほかのことでは決して反対したことのない)父の猛烈な反対をうけて、できなかったのだけど。ともあれ。そのとき、わたしがおもったのは、おろかにも、セッターなんて脇役ジャン、やだなぁ~、どうせやるなら、ぜったいアタッカーだよなぁ~と。いまなら、いざというとき、えーすにまけないくらいのアタックの打てるセッターがいたら、そりゃ、めちゃめちゃカッコイイというのが、ほんとによくわかるし、実際、できるなら、アタッカーより、セッターのほうがずっといい。というのが、わかる。でも、わかるまでに、これだけの時間がかかった。もしかすると、もっとかかっていたかもしれない。いろいろな(岐路での)、選択や、運命や、その他の荒波?のおかげで、ともあれ、わかることができたということに、感謝なのだろうな。いまは、そんな気がする。捕手の背番号が1ではなくて、2であることの意味(意義深さ)とあわせて、とても興味深い。そう、ち
なみに、父が、重いラケットをもつもうひとつの競技とあわせて、猛烈に反対した意味がわかったのも、ずっとずっと後になってからだった、というのは、いつかもここでふれた。女の子の手というものを、とても大事におもっていてくれていたことに、思い至って愕然と感謝を繰返したのは、ずっとあと、もう会えなくなってからだった。いつも、感動は少し遅れてやってくる。
だけのいみではないつもり…。つよさにも、いろいろある。)
最近、面白い文章(の一部)にあった。「生来の才能は、圧倒的な輝きを放つ。持っている人はしあわせである。しかし、長い現役生活をまっとうしようとすれば、どこかで、それを二次的客観的に手に入れ直さなくてはならない。過酷だが、それが出来たときの輝きは、いっそう深く艶やかで人の心をつかんで離さないはずだ。脳は、客観モデル構築のために苦しんだ分だけ、必ず出力の性能を上げてくれるから。」。というもの。苦悩というものに、ぶつかれるひとは、じつは、それだけでしあわせなのだ。それは、何かができるちからがあるから、そもそも直面しているのだから。もちろん、時と共に、ぶつかる苦悩の種類は、少しずつ表情をかえてくるものだけれど…。きっと、あきらめずに、向き合った人にだけ、いつの日か、見えてくるもの(輝き?)が、あるのかもしれない。とはいえ、いやぁ~、いきてると、ほんとに、次から次といろいろありますねぇ。ふ~。あんまり、タフになりたくなどないのだけどなぁ。まぁ、いいか。で。ちなみに、先の文章は、さらに、こうあって、
締めくくられている。「ただし、『ひど~い、こんなに頑張っているのに~』という自己憐憫は、“客観モデル構築のための苦しみ”には入らない。残念ながら、無駄な思考である」。のだそうである。(なんとも。こういうとき、おんなの書く文章は、痛快なくらいにわかりやすいですねぇ。)
そういえば。もうずっとずっとまえ、セッターにならんか?と、いわれたことがあった。無論、さらにその少し前、(ほかのことでは決して反対したことのない)父の猛烈な反対をうけて、できなかったのだけど。ともあれ。そのとき、わたしがおもったのは、おろかにも、セッターなんて脇役ジャン、やだなぁ~、どうせやるなら、ぜったいアタッカーだよなぁ~と。いまなら、いざというとき、えーすにまけないくらいのアタックの打てるセッターがいたら、そりゃ、めちゃめちゃカッコイイというのが、ほんとによくわかるし、実際、できるなら、アタッカーより、セッターのほうがずっといい。というのが、わかる。でも、わかるまでに、これだけの時間がかかった。もしかすると、もっとかかっていたかもしれない。いろいろな(岐路での)、選択や、運命や、その他の荒波?のおかげで、ともあれ、わかることができたということに、感謝なのだろうな。いまは、そんな気がする。捕手の背番号が1ではなくて、2であることの意味(意義深さ)とあわせて、とても興味深い。そう、ち
なみに、父が、重いラケットをもつもうひとつの競技とあわせて、猛烈に反対した意味がわかったのも、ずっとずっと後になってからだった、というのは、いつかもここでふれた。女の子の手というものを、とても大事におもっていてくれていたことに、思い至って愕然と感謝を繰返したのは、ずっとあと、もう会えなくなってからだった。いつも、感動は少し遅れてやってくる。