「なんでもお好きな職業をお書き下さい」。むかし、あるとき、泊まった、素敵な夜景の見えるユースホステルの主人に言われた。「え?」思わず、あたまに浮かんだことば、むろんそれだが…。ためらいといささかのたじろぎを隠せないでいるわたしに、そのご主人、「詩人でもなんでもいいんですよ…」。また、それが、こちらのこころをくすぐる。(それにしても、どうしてほかのなんでもなく、詩人だったのだろう?)ともあれ。照れくささをおしころすように、それでも、いささかの願望を込めて、カタカナでひとつ書いた。ほんとうは、~家となる漢字が本命だけれど。とても、書けなかった。なぜだろう。そういえば、いつかの、本にあった『詩人・剣客・音楽家』がふと、思い出された。(ある俳優さんの著書にあるのだが)。わたしなら、さしずめ「歌人・旅人・建築家」なのだけど…。どれも、夢の職業だ。いや、職業という響きとはちょっと違うなぁ。生き方だろうか。ともあれ。写真家が風景を切り取る人なら、こころの風景を少しだけ、切り取って、それを表現できたな
ら…、なんて、素敵だろうなぁ~。
そしてあるとき、段々畑の景色が流れる車窓をみながら、不意にあるおもいがやってきた。終戦から引き揚げまでの約半年間、父はいったいどんな想いで、船の出る港までたどりついたのだろう…。かつて、家族をもつことをかたくなに固辞した主人公を描いた『男たちの旅路』を観て、そのときは、わけもわからず、こころが揺さぶられた。はげしく。どうしてそんなに動揺するのか自分でもわからなかったが。(恐らく、わたしの思い過ごしだろうが)ずっと、自分の子はもたずに生きてきた父と、その主人公が重なったのだろうか。無論、当時はまったく気付いていなかったが。父が逝ったあと、なんども夢を見た。いつも、おそらく大切な誰か(たぶん友だろう)を、見捨てて逃げてしまうのだ。ひょっとして、父がときどきうなされていた夢と、同じだったのだろうか。向こうで散ったひとをおもうとそんなものはもらえん。そういって恩給を固辞した父。もっと、具体的な誰か(への想い)があったのかもしれない。今となっては知るよしもないが。いずれにしても、父の生還なくして
、わたしはいないのだ…。車窓をながめながら、ふと心にあふれたそのことに、改めて愕然とした。ひとは、きっと、みんなそんなふうに、幾つもの奇跡やめぐり合わせに救われて生きているのかもしれない。
旅がすきなのは、小さな決断のシーンが幾つもやってくるから…。なにげない、行動や、手順や、発想や…。無論、日常の中にもそれらは、同様に日々あるのだが。とりわけ、限られた荷物で行動する旅先では、それらが特に分かりやすく、そして、時に(ある程度の)危機とも背中合わせでやってくる。何をもっていき、何を置いていくか。何をどこに入れ、どこにおさめておくか。どこで荷物を預け、次はどこへ行くか(そして、行かないか)。そんな決断の(センスを問われる)瞬間がたくさんやってくる。もちろん、ほんものの戦場ではないから、どこか、呑気で気楽な時間に過ぎないのだが…。でも、日常にはなかなかもてない、いささかの緊張や熟慮の時間が訪れるのが好きなのだ…、そう改めて気付いた。だから、旅はひとを育てるのかな。それにしても。あるとき言われてハッとした。後で話せば半分笑っていえるようなことごとでも、つまりは、あなたは見えない幾つものなにかに、守られているから、そうやって無事に帰ってこられているのだよ、と。そうかぁ。今からおもえ
ば、よくあんなことひとりでやったよなぁ。若さという無知こそゆえにできた旅もいくつかある。やっぱりひとは、見えないいくつものなにかに、守られて生きているのかもしれない…。そうおもうと、どの時間ひとつとっても、思い返すたび、こころにしみるものがある。
ら…、なんて、素敵だろうなぁ~。
そしてあるとき、段々畑の景色が流れる車窓をみながら、不意にあるおもいがやってきた。終戦から引き揚げまでの約半年間、父はいったいどんな想いで、船の出る港までたどりついたのだろう…。かつて、家族をもつことをかたくなに固辞した主人公を描いた『男たちの旅路』を観て、そのときは、わけもわからず、こころが揺さぶられた。はげしく。どうしてそんなに動揺するのか自分でもわからなかったが。(恐らく、わたしの思い過ごしだろうが)ずっと、自分の子はもたずに生きてきた父と、その主人公が重なったのだろうか。無論、当時はまったく気付いていなかったが。父が逝ったあと、なんども夢を見た。いつも、おそらく大切な誰か(たぶん友だろう)を、見捨てて逃げてしまうのだ。ひょっとして、父がときどきうなされていた夢と、同じだったのだろうか。向こうで散ったひとをおもうとそんなものはもらえん。そういって恩給を固辞した父。もっと、具体的な誰か(への想い)があったのかもしれない。今となっては知るよしもないが。いずれにしても、父の生還なくして
、わたしはいないのだ…。車窓をながめながら、ふと心にあふれたそのことに、改めて愕然とした。ひとは、きっと、みんなそんなふうに、幾つもの奇跡やめぐり合わせに救われて生きているのかもしれない。
旅がすきなのは、小さな決断のシーンが幾つもやってくるから…。なにげない、行動や、手順や、発想や…。無論、日常の中にもそれらは、同様に日々あるのだが。とりわけ、限られた荷物で行動する旅先では、それらが特に分かりやすく、そして、時に(ある程度の)危機とも背中合わせでやってくる。何をもっていき、何を置いていくか。何をどこに入れ、どこにおさめておくか。どこで荷物を預け、次はどこへ行くか(そして、行かないか)。そんな決断の(センスを問われる)瞬間がたくさんやってくる。もちろん、ほんものの戦場ではないから、どこか、呑気で気楽な時間に過ぎないのだが…。でも、日常にはなかなかもてない、いささかの緊張や熟慮の時間が訪れるのが好きなのだ…、そう改めて気付いた。だから、旅はひとを育てるのかな。それにしても。あるとき言われてハッとした。後で話せば半分笑っていえるようなことごとでも、つまりは、あなたは見えない幾つものなにかに、守られているから、そうやって無事に帰ってこられているのだよ、と。そうかぁ。今からおもえ
ば、よくあんなことひとりでやったよなぁ。若さという無知こそゆえにできた旅もいくつかある。やっぱりひとは、見えないいくつものなにかに、守られて生きているのかもしれない…。そうおもうと、どの時間ひとつとっても、思い返すたび、こころにしみるものがある。