旅なれてくると、すこしうまくなれるもののひとつに、おみやげのちょいすがある。いつ、どこで、だれに、なにを…、買うか。じつは、なかなか難しい。さりげない、センタクだけれども、そこには、とてもたくさんの機微がある。そう、わたしはおもう。なれないころは、「あ、これ!」と、おもっても、「あとでもっといいのがあるかもしれない」と、よからぬおもいが、あたまをもたげる。そんな、せかいじゅうのひとをみてから、こいびとを選ぶ人なんていないのにね。なぜだか、こと、おみやげとなると、「あ~でもない、こ~でもない」と、限られたよさんのなかで、なんとか、べすとのちょいすをしたいと、(こころのなかで)あくせんくとうする。まぁ、それも愉しい思案のひとつには違いないのだが。それが、旅の荷物を、上手に綺麗に、必要なものだけをまとめられるようになってくると、かう・かわない、のちょいすと、タイミングがなぜか、少しわかるようになってくるのだ。(よけいなまよいと貴重なじかんろすがへってくる)。なにかが、自然に目に入って(それだ
けで、そこにもうひとつの縁があるのだろう)、それを見た途端、それが似合うひとの顔が自然に浮かぶ…。よさんに(たしょうはおーばーしても)合うようなら…、間違いなく、それがぜっこうのちょいすになる。ふとしたときに、そういうかいこうはやってくるのだ。ほんに、ふとしたときに。
それだけでも、旅での視点が随分と違ってくる。見えるものを大事にできる。観るのでなく、自然に見えてくるもの。「~だから、…しなければ」と、構えるのではなく、自然に、見えたり、感じたりするもの…。最初から、何か、これはこうだと、決めてしまうと、せっかく、目の前にある、時の流れを見逃してしまうことも少なくない。そういう、時の流れに、なるたけ自然によりかかれるようになると、毎日の暮らしのふとした、時の流れの中にも、思いがけぬ発見があったり、たのしみがあったり…する気がする。つまり、退屈でも、孤独でもない、ふわふわ~っとした、時間が。とっても、素敵だ。おもえば、旅に出て、ひたすらおみやげのことばかりであたまがいっぱいで、まるで、宿題を抱えた小学生みたいに、ずうっと、そのためだけに時間をつかっていたころもある。生まれて初めての修学旅行のいちばんはじめの、自由時間(それは、古都の映画村だったが)、結局終始、土産店の前から一歩も動けず、一時間はあったのだろうか、それだけ悩んで、父へのネクタイを買った…
。う~ん。それはそれで、面白いおもいでだけど、今から思えば、逆に一時間もそんなところにとどまる方がよっぽど難しいきもするなぁ。ともあれ。なにかを見る、あるいは、見つける、センスのようなものも…、時の流れに少しずつ、磨いてもらえるのかもしれない。
それにしても、このまえの旅は、滞在わずか、50分。片道4時間余り…。その半分以上は吹雪の中…。めったにできない、という意味ではとても、愉しかった。ひょっとしたら、愉しさは、少なからぬリスクなくしてはできないものなのかなぁ。なんてね。あんまり、りすくをよろこぶたいしつではいけないのですけれど…。ともあれ、そんな、ドライブの中で、ふとおもったのは、あんていとたいくつは、えてしてわんせっとで、かたや、ふあんとじゆうもわんせっと。むろん、なにがあんていで、なにがふあんかは、かりにおなじような境遇にあっても、とらえかた次第では、まったくちがうし、それに、どんなにあんていしていたとしても、たとえば、大地がくつげるようなてんさいのまえには、なにものもたちうちできないふじょうりと、無常があるし。だから、おもしろくて、むずかしい(のかなぁ~)。いや、むずかしいから、おもしろい(のか)。ともあれ、タイムりみっとのある、かえりの雪道夜道吹雪どらいぶは、たしかにものすごくハードだった。しかも、集中しないとなか
なか聞き取れない、かたこと英語のシャワーが助手席から、途切れることなくつづくなか…。それにしても、なにかを伝えたいという気持ち(があってはじめてことばは生きるのだ)の、なんてすばらしくありがたいこと。それがあってはじめてことばは生まれるのだろう…。ほんに、友はありがたい。
追伸。あの、愉しい旅の中で、わたしのこころを、いちばん強く感動させたのは、高速道路の出口にいた、おじさんのひとことだった。「ゆきのなか、途中大丈夫でしたか?」。たった、それだけなのだが、はんなりした、独特のイントネーションと、何より、そこには、ただの義務的挨拶には決してない、おじさんの、ほんとうのやさしい気持ちがふんだんに入っていて…。ほんとにほんとに胸を打たれた。よっぽど、引き返して、名前と住所を聞きたいとおもったほど…。いつしか、機械で自動的にゲートが開くシステムが普通になったなか、ひさびさに、手渡しのカードで出口に行って、あんな素晴らしい一瞬が待ってたなんて…。なのに、こともあろうに、わたしはといえば、思いがけぬやさしさにであって、おどろきと感心で、とっさに、気の利いたことばのひとつもでてこずに…、しかも、無礼にも、サングラスもとらずして、言えたのは、「大丈夫でしたよ、ありがとう」の、ただ、それだけ…。うう。思いがけぬ、やさしいひとことが、ひとのこころをこんなにつよくふるわすなん
て…。それも、なんてことのない、ひとことが…。ほんとの意味での、つたわるということ、つたえるということの、すごさを、改めて知った。そんな貴重なひとときでした。ほんにささやかだけど、そこにはさりげない愛がある…、というのは、たとえばきっと、こんなことなのでしょうね。
けで、そこにもうひとつの縁があるのだろう)、それを見た途端、それが似合うひとの顔が自然に浮かぶ…。よさんに(たしょうはおーばーしても)合うようなら…、間違いなく、それがぜっこうのちょいすになる。ふとしたときに、そういうかいこうはやってくるのだ。ほんに、ふとしたときに。
それだけでも、旅での視点が随分と違ってくる。見えるものを大事にできる。観るのでなく、自然に見えてくるもの。「~だから、…しなければ」と、構えるのではなく、自然に、見えたり、感じたりするもの…。最初から、何か、これはこうだと、決めてしまうと、せっかく、目の前にある、時の流れを見逃してしまうことも少なくない。そういう、時の流れに、なるたけ自然によりかかれるようになると、毎日の暮らしのふとした、時の流れの中にも、思いがけぬ発見があったり、たのしみがあったり…する気がする。つまり、退屈でも、孤独でもない、ふわふわ~っとした、時間が。とっても、素敵だ。おもえば、旅に出て、ひたすらおみやげのことばかりであたまがいっぱいで、まるで、宿題を抱えた小学生みたいに、ずうっと、そのためだけに時間をつかっていたころもある。生まれて初めての修学旅行のいちばんはじめの、自由時間(それは、古都の映画村だったが)、結局終始、土産店の前から一歩も動けず、一時間はあったのだろうか、それだけ悩んで、父へのネクタイを買った…
。う~ん。それはそれで、面白いおもいでだけど、今から思えば、逆に一時間もそんなところにとどまる方がよっぽど難しいきもするなぁ。ともあれ。なにかを見る、あるいは、見つける、センスのようなものも…、時の流れに少しずつ、磨いてもらえるのかもしれない。
それにしても、このまえの旅は、滞在わずか、50分。片道4時間余り…。その半分以上は吹雪の中…。めったにできない、という意味ではとても、愉しかった。ひょっとしたら、愉しさは、少なからぬリスクなくしてはできないものなのかなぁ。なんてね。あんまり、りすくをよろこぶたいしつではいけないのですけれど…。ともあれ、そんな、ドライブの中で、ふとおもったのは、あんていとたいくつは、えてしてわんせっとで、かたや、ふあんとじゆうもわんせっと。むろん、なにがあんていで、なにがふあんかは、かりにおなじような境遇にあっても、とらえかた次第では、まったくちがうし、それに、どんなにあんていしていたとしても、たとえば、大地がくつげるようなてんさいのまえには、なにものもたちうちできないふじょうりと、無常があるし。だから、おもしろくて、むずかしい(のかなぁ~)。いや、むずかしいから、おもしろい(のか)。ともあれ、タイムりみっとのある、かえりの雪道夜道吹雪どらいぶは、たしかにものすごくハードだった。しかも、集中しないとなか
なか聞き取れない、かたこと英語のシャワーが助手席から、途切れることなくつづくなか…。それにしても、なにかを伝えたいという気持ち(があってはじめてことばは生きるのだ)の、なんてすばらしくありがたいこと。それがあってはじめてことばは生まれるのだろう…。ほんに、友はありがたい。
追伸。あの、愉しい旅の中で、わたしのこころを、いちばん強く感動させたのは、高速道路の出口にいた、おじさんのひとことだった。「ゆきのなか、途中大丈夫でしたか?」。たった、それだけなのだが、はんなりした、独特のイントネーションと、何より、そこには、ただの義務的挨拶には決してない、おじさんの、ほんとうのやさしい気持ちがふんだんに入っていて…。ほんとにほんとに胸を打たれた。よっぽど、引き返して、名前と住所を聞きたいとおもったほど…。いつしか、機械で自動的にゲートが開くシステムが普通になったなか、ひさびさに、手渡しのカードで出口に行って、あんな素晴らしい一瞬が待ってたなんて…。なのに、こともあろうに、わたしはといえば、思いがけぬやさしさにであって、おどろきと感心で、とっさに、気の利いたことばのひとつもでてこずに…、しかも、無礼にも、サングラスもとらずして、言えたのは、「大丈夫でしたよ、ありがとう」の、ただ、それだけ…。うう。思いがけぬ、やさしいひとことが、ひとのこころをこんなにつよくふるわすなん
て…。それも、なんてことのない、ひとことが…。ほんとの意味での、つたわるということ、つたえるということの、すごさを、改めて知った。そんな貴重なひとときでした。ほんにささやかだけど、そこにはさりげない愛がある…、というのは、たとえばきっと、こんなことなのでしょうね。