いつも、これを書く画面を出しておいて、あとで書こう、あとで書こう、と、おもってるうちに、遅くなってしまう。ときには、眠くて寝てしまうこともあるけれど、でも、何をしながらでも、あとにたのしみが待っている、そう、おもいながら、ほかのことをするのも、わるくない。したいことを、ちょっと我慢しているという、ささやかな期待感もあるし、それに、あとに何かが待っているとおもえると、それだけで、時間がとてもやさしく、うれしく流れてくれる。もっとも、わたしのばやい、一事が万事これだから、ときどき、ちょっと、あああ、となるときもあるのだけれど。ともあれ、時間は永遠にある、とおもえば、永遠にあるのではないだろか。もちろん、社会生活上の、時間を守らないということではありませぬ。そうではなくて、ぽわぽわわぁ~んと、過ごすときの、その時間のこと。好きな時間がある、というのは、いずれにしても、とってもおおきい。少しずつではあるけれど、すくなくともわたしのなかの、想いは、確かなものになりつつある。そういう、感覚をおぼえ
られるのも、きっと、とてもことばだけではあらわすことのできない、そんなやさしい時間を通して感じられるおかげだろうな。
あれは、小学校二年生の夏休み初日。たぶん、7月26日。その日、わたしは、決死のおもいで家を出た。午後1時前。プールが開放されるのが午後1時。あまりに、緊張して、思いつめてたのだろうか、道すがら、下ばかり見てたのだろう。そのとき、履いてた、ドラエモンのピンクのビーチサンダルの、その模様まではっきり覚えている。とにかく、水の中に顔まで、いや、頭までいれるのだ!、どんなに怖くても、そうするのだ。そして、勇気を出して、目を開ける。水中で。そして、からだの力を抜きさえすればいいのだ。浮き輪につかまってると思えばいい。からだは、勝手に水に浮くようにできてるのだから…。父さんが言ってた。父さんは、決して嘘は言わない。だから、きっと、言うとおりにすれば、必ず泳げるんだ…。あんなに、緊張したのは、初めて父に連れられて、歯医者(その日、麻酔をするから注射をする!って聞いていた)に行ったとき…、いや、それ以上に、決死の覚悟だったな。だって、歯医者の日は、ひとりじゃなかったから…。そして、プールから帰る時の、
あの、誇らしいような、なんともいえぬ、うれしさが後から後からこみ上げてくるような…。あの気持ちも、決して忘れない。帰る時の、足取りの軽かったこと。何かが初めて出来た日。どうして、あんなに嬉しいのでしょうね。嬉しくて、ほかのことは何も考えられない…、というのは、たぶん、あんなのを言うのだろうな。とても、心に残る、うれしい日になった。
たぶん、ひとは、いろんなかなしみをかかえていきていて、ときどき、奇麗事といわれようと、なんとかみんながハッピィにいられないものかと、おもうこともあるけれど、無論、それは奇麗事だとわかってもいて、だったら、いざとなったら、あいする人のために、じぶんがわるものになるのも、いとわずしよう、そうおもうのだけれど、もし、自分が、逆の立場なら、あいする人をそうしたいとおもわないだろし…。ことばは難しい。そして、恐らく気持ちも…。ちょっぴりジレンマ。つまりは、それでも、そのわりきれないおもいをたくさん抱えながら、それでも誰かをしんけんに愛し、いろんなかなしみとともにあるのが、生きるってことなのかなぁ。たぶん。う~ん。ともあれ。"流れ"を信じて、いまを大事に…していこう。そう、ひそかに、自分に言っている。
られるのも、きっと、とてもことばだけではあらわすことのできない、そんなやさしい時間を通して感じられるおかげだろうな。
あれは、小学校二年生の夏休み初日。たぶん、7月26日。その日、わたしは、決死のおもいで家を出た。午後1時前。プールが開放されるのが午後1時。あまりに、緊張して、思いつめてたのだろうか、道すがら、下ばかり見てたのだろう。そのとき、履いてた、ドラエモンのピンクのビーチサンダルの、その模様まではっきり覚えている。とにかく、水の中に顔まで、いや、頭までいれるのだ!、どんなに怖くても、そうするのだ。そして、勇気を出して、目を開ける。水中で。そして、からだの力を抜きさえすればいいのだ。浮き輪につかまってると思えばいい。からだは、勝手に水に浮くようにできてるのだから…。父さんが言ってた。父さんは、決して嘘は言わない。だから、きっと、言うとおりにすれば、必ず泳げるんだ…。あんなに、緊張したのは、初めて父に連れられて、歯医者(その日、麻酔をするから注射をする!って聞いていた)に行ったとき…、いや、それ以上に、決死の覚悟だったな。だって、歯医者の日は、ひとりじゃなかったから…。そして、プールから帰る時の、
あの、誇らしいような、なんともいえぬ、うれしさが後から後からこみ上げてくるような…。あの気持ちも、決して忘れない。帰る時の、足取りの軽かったこと。何かが初めて出来た日。どうして、あんなに嬉しいのでしょうね。嬉しくて、ほかのことは何も考えられない…、というのは、たぶん、あんなのを言うのだろうな。とても、心に残る、うれしい日になった。
たぶん、ひとは、いろんなかなしみをかかえていきていて、ときどき、奇麗事といわれようと、なんとかみんながハッピィにいられないものかと、おもうこともあるけれど、無論、それは奇麗事だとわかってもいて、だったら、いざとなったら、あいする人のために、じぶんがわるものになるのも、いとわずしよう、そうおもうのだけれど、もし、自分が、逆の立場なら、あいする人をそうしたいとおもわないだろし…。ことばは難しい。そして、恐らく気持ちも…。ちょっぴりジレンマ。つまりは、それでも、そのわりきれないおもいをたくさん抱えながら、それでも誰かをしんけんに愛し、いろんなかなしみとともにあるのが、生きるってことなのかなぁ。たぶん。う~ん。ともあれ。"流れ"を信じて、いまを大事に…していこう。そう、ひそかに、自分に言っている。