ときどきへこむ。くだらないことでも、へこむ。いや、くだらないことだからこそ、へこむのか。無論、ほんとうに生きるの死ぬの苦しみにくらぶれば、屁みたいなものだろう。しかし、へこむ。不思議だ。鷲田さんの本に面白い記述があった。英雄視(がうまれる)の背景構造と、差別のそれは、要は同じなんだと。頂か、海溝か。形は同じなのだと。ただ、見上げる?方向が違うだけということなのだろう。愕然とするが、確かにその通り。ひとは(動物は?)ひとりでに?そうしてしまう生きものらしい。ときどきおもう。わたしがいつも、(そのくだらない方だが)悩んでいるのはいつも同じこと。のような気もする。悪意がないというのは、いっそつまらぬ嫉妬や競争心が人並み(ひとなみってなんだ?)にあるより、時に始末が悪いらしい…ということだ。その能天気(では、ほんとはないのだが)が、ひとをいじめたい欲求をおさえられないひとにとって、よりその醜さを引き出してしまうもののようだということ。いつでもどこでも、なにもかわらないということは、そんなにいけ
ないことなのか?要は不器用なのだろう。そして、そんなひとをいじめないではいれれない人間のことを、確かにどうでもいいとおもっている。くだらないと。でも、現実は、恐らく、かなしいかな、そのくだらないことにあふれているし、そのなかで、ひとは精一杯歯を食いしばって、虚しい努力を重ねたりもしている。いや、しなければならない。ばかげてると、ときどきちょっとおもうけれども。

ふと、思い出した。閉塞した空間の中で浴びせられるどうしようもない悪意と、苛立ちに満ちた言葉…。ただ、相手を罵倒し、蔑むだけのそれ…(実際のことがらには、ちっとも合致していないので、こちらは、腹を立てることもできず、ただ、そんな風に苛立つことしかできないひとを哀れんでしまう。そして、恐らくはその空気がどこかで伝わり、状況をかえって悪化させるのだろう)。ほんとに、馬鹿げてる。要は大人げがない。しかし、世の中にはそんなのがあふれている。ふと、おもいだしたというのは、かつて、そんな時期があったこと。ずいぶん長かったが。すぎてしまえば、「あれに耐えられたのだから…」と、よからぬ励まし材料にもなってしまう。語弊を恐れず言えば、男と女はその役割も特性もまったくちがう。だから、互いがその違いを弁えて、うまく情報交換、気持ちのやりとりができたなら、素晴らしい。なのに、そこに、余計な感情や、嫉妬?が入るともうお手上げだ。少なくとも仕事という名の、場所においては…。無論、理屈ではのはなしだけれど。この世間知
らずのおばさんに言わせれば。男が女に嫉妬してどうする?女が男に嫉妬するかぁ?まったく考えられないだけに、どうにも理解不能になる。でも、恐らく、虐げの感情ルーツを探れば、ほぼ、そんなことのもつれなのだろう。つまりは、一方が一方に誇りを傷つけられたとおもっている…。それが、単なる被害妄想(たいがいの場合はこれだ。だから、始末が悪い)だとしても…。だ。

だから、いいパートナーに恵まれるというのは、恐らく、このうえないしあわせなのだろうな。愛を知るためにそれでもひとはいきるのだと、さっき、若い男の子がテレビの中で言っていたけど…。なるほどね。それにしても、時は、ときどき残酷だ。どうしようもなくひどい。でも、どうしようもないかなしみやそのほかを、いやしてくれるのもおなじ、時だったりする。ひたすら、過ぎるのをまったり、じりじりしたり、いらいらしたり、やきもきしたり、とても安穏と待ってなどいられるか!とおもったり。どう思おうと、思うまいと、それでも、時は流れる。止められない。だから、救われることもたくさんある。たしかに。難しい。いや、簡単なのか?わからないが、少なくとも、なんとかしたいのに、どうにもならない時間と共にいるのは、だれにとってもつらい。涙が流れる。涙が流れてくれる間は、それでもしばし、時が消える。つまり、まだいい。深く息を吸って、吐いて…。ため息が聞こえて…(無論、自分自身のだ)。我が家の墓地には、先祖代々のそれと、初代の息子だか
にお上人になったひとがいて…、隣に墓碑が並んであるのだが…。気が付くと、そちらの前で、時がとまっている。祈りだろうか。佇んでいると、ふわっと声が聞こえてきそうな気がして…。見たこともない先達の、偉いひとの声というか、気持ちというか…。たぶん、救いを求めている…。ほんに、ひととはむずかしい(ものだ)。

このまえ、ドラマの中で、ベッドに伏したおじいさん役の橋爪さんが(わたしが、素晴らしいとおもってる役者さんのひとりだ)いっていた。この世は、むごい。かなしい。そんなことがたくさんある。だけど、それを笑え。遊べ。(正確には、生きることのむごさ、かなしみを味わいつくせ。そしてそれを笑え。遊べ。そして、いつかめでたく卒業だ。だったかな。)って。ひとは、くぐり抜けてきた苦しみや哀しみのぶんだけ、思いのたけも深くなる…って。ほんとに、沁みることばだった。あの俳優さんの、なんともいえない声と間合いと雰囲気でいわれる言葉の味わいがさらに加わって…。同じ台詞を、さっきの若い俳優君がいっても、たぶん、こんなには沁みてこない。時間はあまりに、圧倒的だ。時が刻む、生み出す、しわや深み…。老いるとは、時を重ねるというのは、ほんとはもっと、もっと、素晴らしいことなんだ。なのに、みんなどうして…。(ともあれ。長く生きていると、こんな風に空気が詰まるとき、流れが詰まるとき…、それは、トンネルの出口が近いから…。そのと
きが、もっとも暗く感じる…のだ…。何かが動く直前、ひとはもっともジリジリして、じっとしているのがつらくて仕方がない感じがする…。はずなのだが…。これとても、経験と感覚を総動員して、今言える、必死の(自分自身への)慰め、励ましにすぎないのかもしれない…。春は、春は間違いなく来るのだが、冬が、どうにもどうにもつらくて仕方がない…、そんなときがある。)それでも、気持ちだけは、寄り添っていたい…。とてもかなしいけど。それだけしかできないことが…、とても…。