ものの本によると、なんでもまれにみるしあわせなけっこんができるという。ほんまかいな。手相のはなし…。そりゃそうだろう、すべてを想像のなかですればいいのだ。こころのなかの意地悪が言う。確かに…、おもうのは自由だ。まぁ、そうおもえるということがそもそも大事なのかもしれない。ひとのこころは、いったい何面鏡からしらんと、ときどきおもう。(まぁ、だから生きられるのかしらね)。さっきまで、わくわくするげんきくんが占めていたかとおもえば、ふとしたことでおちこみ、あああ、どうせだめだわ~あぁ…、と、とめどなくよくないイメージに塞がれたりもする。要は、そんなことを、くよくよあれこれ、考えてる暇などない!ときこそが、ほんとは、いちばんしあわせというのではないのか。あれもしたい、これもしたい…、と、わくわくするのも確かに大事だけれど。そんな先のことなど知ったことか!と、目の前ことに夢中になれる(そんなことや時間がある!)ってことが、たぶん、きっといい時間なのだ。そのときは、そのことに気付けないことがあったと
しても。なあんて、のたまいながらも、つまらぬことは夜の闇と一緒でなくても、いつでもどこでもするりとこころに忍び込む。こまったものだ。
かえるいえが、つまり土のあるところが、あるというのはとてもありがたくしあわせなのに。それは同時に、見えないなにかにしばられることでもあるのではなかろうか…。ともすると、ため息をもたらす。先祖あっての…、と、あたまでいくら感謝しこそすれ、ほんまに感謝だけに集中できますかいな、ともおもう。いろいろしょうがいにぶつかるのは、せんぞの、苦労がむくわれなかったおんなたちからのしっとの贈り物ではありますまいか~。なあんて、おもってしまうわたしのこころそのものが、いかんのでしょうが。そこはそれ。ひとのこころは、どこまでも、わりきれんものです。すくなくとも、形を整えることと、こころのしあわせは、違う。むしろ、反比例…。とまではいかないか…。視点をどこにもってくるか、何を優先させるか…。とはいえ、このご時世、自らもてるものを手放す勇気をもつのはエライ。なかなかできない。なにかのことで、たとえば病気とかね。ほんとに大事なものに気付けるチャンスがあれば、いとも簡単にできることでも、そうでないときは、なかなか
言われたからおいそれと、もてるものを自ら離すのはむずかしい。お金がないから、余計な心配もない…(でも、先のことなど知ったことか、とおもうのがちょっとたいへんではあるのだけれど)。そんな暮らしを、決してのぞんでこうなったつもりではないのだけれど。なぜか、財運を手放すことで救われることがあまりにあったせいもあるのかな。ともあれ、こころは、こころだけは、よけいな欲に駆られる心配がない分だけ、とっても軽い。(ほんまにそれでええんかいなって、少しは真面目なこころの声もたまにはするけど…)
いわゆる、もてるとかもてないとか…。つまり、魅力があるとかないとかのそれ…。いったい、なにをもっているのでしょうね。自信?でしょうか。それとも、諦念?それとも、含羞、あるいは、節操…。それらをひっくるめて、つまりは、みえないところにこそ、たいせつなものがあるってことなのかなぁ。って、ちょっとだけおもいます。かっこいいっていうのは、ほんとになにをおいても大切なことなのだろうな。みんな、迷いながら、なにをどうしていいのかなんて、ちっともわからないながら、それでも、なんとかなんとか…、って、こころの芯の熱だけは失わないように…。生きてるのかな。それでも、わたし、ときどきおもう。内緒だけど。ともあれ、ここまで済んでほんとによかったって。こんなんでも、人生の半分?は、生きられるんだって。すごく、ホッとしてる。だから、この先もなんとかなるだろう…。って、前向きにおもえるときもあるし、えええ、まだ半分もあるよ~。どうしよう。こんなにアンスティブルな、こんなに行き当たりばったりで…。まだ、半分も生き延
びなきゃいけないのかぁ…って。気が重くなったりね。だから、ことばを吐き出して、こうやって、時のたつのを埋めようとしちゃうんだべか。少しでも、何か、だれかのなにかの言葉と共鳴しあって、もしかして、何かもっとちゃんとしたものが、いつか書けるときがきたら、ほんとにいいなって、自然にそれは、素直に思えるし…。こころから、そうしたいって、おもえることって、ほんとは、とても大事なことなのかもしれない。いま、おもったけど…。
しても。なあんて、のたまいながらも、つまらぬことは夜の闇と一緒でなくても、いつでもどこでもするりとこころに忍び込む。こまったものだ。
かえるいえが、つまり土のあるところが、あるというのはとてもありがたくしあわせなのに。それは同時に、見えないなにかにしばられることでもあるのではなかろうか…。ともすると、ため息をもたらす。先祖あっての…、と、あたまでいくら感謝しこそすれ、ほんまに感謝だけに集中できますかいな、ともおもう。いろいろしょうがいにぶつかるのは、せんぞの、苦労がむくわれなかったおんなたちからのしっとの贈り物ではありますまいか~。なあんて、おもってしまうわたしのこころそのものが、いかんのでしょうが。そこはそれ。ひとのこころは、どこまでも、わりきれんものです。すくなくとも、形を整えることと、こころのしあわせは、違う。むしろ、反比例…。とまではいかないか…。視点をどこにもってくるか、何を優先させるか…。とはいえ、このご時世、自らもてるものを手放す勇気をもつのはエライ。なかなかできない。なにかのことで、たとえば病気とかね。ほんとに大事なものに気付けるチャンスがあれば、いとも簡単にできることでも、そうでないときは、なかなか
言われたからおいそれと、もてるものを自ら離すのはむずかしい。お金がないから、余計な心配もない…(でも、先のことなど知ったことか、とおもうのがちょっとたいへんではあるのだけれど)。そんな暮らしを、決してのぞんでこうなったつもりではないのだけれど。なぜか、財運を手放すことで救われることがあまりにあったせいもあるのかな。ともあれ、こころは、こころだけは、よけいな欲に駆られる心配がない分だけ、とっても軽い。(ほんまにそれでええんかいなって、少しは真面目なこころの声もたまにはするけど…)
いわゆる、もてるとかもてないとか…。つまり、魅力があるとかないとかのそれ…。いったい、なにをもっているのでしょうね。自信?でしょうか。それとも、諦念?それとも、含羞、あるいは、節操…。それらをひっくるめて、つまりは、みえないところにこそ、たいせつなものがあるってことなのかなぁ。って、ちょっとだけおもいます。かっこいいっていうのは、ほんとになにをおいても大切なことなのだろうな。みんな、迷いながら、なにをどうしていいのかなんて、ちっともわからないながら、それでも、なんとかなんとか…、って、こころの芯の熱だけは失わないように…。生きてるのかな。それでも、わたし、ときどきおもう。内緒だけど。ともあれ、ここまで済んでほんとによかったって。こんなんでも、人生の半分?は、生きられるんだって。すごく、ホッとしてる。だから、この先もなんとかなるだろう…。って、前向きにおもえるときもあるし、えええ、まだ半分もあるよ~。どうしよう。こんなにアンスティブルな、こんなに行き当たりばったりで…。まだ、半分も生き延
びなきゃいけないのかぁ…って。気が重くなったりね。だから、ことばを吐き出して、こうやって、時のたつのを埋めようとしちゃうんだべか。少しでも、何か、だれかのなにかの言葉と共鳴しあって、もしかして、何かもっとちゃんとしたものが、いつか書けるときがきたら、ほんとにいいなって、自然にそれは、素直に思えるし…。こころから、そうしたいって、おもえることって、ほんとは、とても大事なことなのかもしれない。いま、おもったけど…。