手紙を書きました。いえ、これから書こうとおもっているのもあるのですが。ともあれ。こうして、両手の10本の指を使って書くのは、それはそれで、脳の、たぶん、いろんな部分がいっせいに刺激されるのでしょう、ときどき、自分でもおどろくほどすらすら勝手に文字が出てきたりもするのだけれど。ともあれ。そう、手紙を書きました。これは、ずっと、この1週間ずっと、毎日毎日、気が付くと、書きたい文面のあれこれをあたまに浮かべていた…、そんな一通。これは、ひとりに向けてではなく、複数。たとえば、くらすの全員にといったような…。ある作家の方が、(ほかでもなく、『男たちへ』を書いた方ですが)、わたしは読んでくれるだろう人の顔なんてうかべて書いているわけでない!、目の前のひとりの編集者をうならせたいと思いながら書いているんだ、と。そうすれば、ひとりでにその向こうにいるひとびとのこころにも何かが届くのではないか、と。なるほど。すごいとおもいました。たぶん、そのとおりです。顔も想像できぬひとを、想定したところで、地に足が
ついた、こころの真ん中と密着した、つまり、温度のあることばがでてくるはずもなく…。たぶん、そうなんですねぇ。きっと、これも、実際に、読んでくれているであろうひとたちの、顔をちゃんと知っているから、そして、ときには、そのなかの具体的だれかに直接かいているように、書いているから、だから、こんな風に書けるのかもしれない。そう思いました。

で、手紙の話ですが。肉筆で、ペンを持って、紙に向って、一字一字、その刹那せつなに、こころにうかぶことばに、できるだけ忠実に。綺麗にまとめようなんていう、邪心はなるたけ排除して、もちろん、下書きなんてもってほか。一期一会。その瞬間瞬間にでてくることばこそが、そのときの“ほんとう”のことばなのだから…。なあんて、おもいながら、ともすると顔をだしそうになる、自分の中の奇麗事、つまり、借り物のことばを横にどけて、できるだけできるだけ、素直に書いたのでした。書き終えておもいました。「書く」というのは、ほんとに、自分の中のなにかをちぎりとって、表に出すということ。たぶん、きっと、思った以上の、おおきなエネルギーと、自分のいちぶを(たましいを、なんていうとおおげさだけど)、つまりは、とりだす作業にも似ているのだろうかと。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ思いました。そういう意味では、書道の、あのひと筆でに賭けるものにも、決しておとらないもの…、ではないのかなぁ。って(おもったのです)。自分の姿を、鏡に
映すのは、そして、その姿を直視するのは、とっても苦手なわたしではあるけれど、自分の書いたものは、なんどでも読みたいとおもってしまう…。これって、ちょっと、へん?なのでしょうかねぇ。書いた手紙を、コピーして残すなんていうケチなことだけはすまい。そうしてきたわたしなのだが、こんかいばかりは、なんでしょうねぇ。完全なる私信とも違うせいでしょうか。むしょうに、複写してのこしておきたい衝動にかられておるところ…です。

それでも、肉筆だからこそ、伝わるものがあるのは確かです。もちろん、読みやすい活字の方がいい、という場合もあるやもしれません。たとえば、本などはそうでしょう。書いた人の苦悩の跡、焦燥や、混乱や、やっとの決断の跡をそのつど、想像し実感し共感するに努めていたらば、読むのに、書いたのと同じくらいの年月を必要とするかもしれない。つまり、なんねんも…、の、場合だってあるだろうし。だけどね。いま言いたいのは、そうでなくて。つまり、直筆。字がうまいとか、へたというのは、そのひとそのひとが、かってにおもっているもの。顔がいいとか、スタイルがいいとか、そういうのとおなじ。ひとによって、おもいかたも、感じ方も、(こころへの)沁みこみ方も、みな違う(はず)。それは、大学の憲法の授業でした。上下にスライドする2枚の黒板の隅から隅までを白のチョークが埋め尽くすその授業。それでいて、先生の声が途絶えることのないその授業。きっと、毎年それほど大きくは変わらないはずの内容だろうに、どうして、あんなにあふれる熱意がやむこ
とがないのだろう、って、いつも思っていました。アルバイトばっかりで、できうる限り!授業をさぼっていたわたしだったけど、その授業だけは、いつもなにかにひかれるように、どんなに眠くても行っていたっけ。だから、直筆でしか伝わらないなにかもあるんじゃないか!って、このごろふと、おもうんです。国語の先生が、一年生の最初の一時間を使って『わかる』ということはどうことかということについて、教えてくれたと、いつかも書きましたが。いまでも、その文字が、あの先生のあの、おおらかで味のある曲線が特徴の、あの文字が、黒板のどのへんにどんな風に書かれていたか、ちゃんと憶えている!。板書は、授業が終われば消えてしまう。文字通りの刹那の邂逅。でも、だからこそ…、そのひとのその瞬間をちぎりとった何かが、時を経て、こんな風にだれかのこころに、ずっと残り続けるもの…、であったりするのではないかなぁ。と、ときどき、ふとおもいます。