を浴びると、こころのなかのことばが、がぜん雄弁になるのはなぜだろう。こんど、話すことについて、つらつらと、ふわふわと、月面さながらに、とりとめなく浮かぶにまかせていたらば、外出先なのに、書かずにいられないよ~な、そんなおもいになったので…。

それにしても、ことばがことばを呼ぶ!こともあるのだろうか。考えているから、書けるのか、それとも、書いてるうちに、ひとりでに考えが深まっていくのか…。ときどき、実は後者なんじゃないかって、思うことさえある。やさしいから、やさしくできるんじゃなくて、やさしくしているうちに、さらにもっとやさしくなれている…、というように。強さにしてもそう。たぶん、なにごとも。何かが出来てから何かをしようとするから、いつまでもできない? かもね。ほんとにしたいこと、できることは、たぶん、思う前にもう、やっている!。そう、いまわたしが、この刹那に浮かぶ言葉を書いてるみたいに。これは、二度と同じ文章にはならない。浮かぶことばも、全く同じものは二度とない。書道の一筆と同じ。ゴルフのショットと同じ。たぶんね。だから、ときどき、予期せぬときに、いいものがあったりする?のかねぇ。

ともあれ。ふと、思うのは、もしかすると、自信というのは、何かをすることができる才能のことではなくて、ありのままの姿勢でいられるその素直さのことではないのかなぁ…、ということ。遠慮して我慢することひとつでも、よしそうしたい!そうしてる俺、ちょっとかっこいいよなぁ~って思ってするそれと、どこのだれだからしらないもののものさしのために、いやだなぁ~、と思ってするのは、やっぱり違う。そういう小さな気持ちの積み重ねが、そのひとの佇まいになって出るんじゃないか。

いつかも書いたけど、やましさといやしさといやらしさはたぶん同義語で、そういうのは間違いなく空気となってでる。いつか、例えばコンビニで隙あらば、背後に回ろうする品性は、一事が万事と書いたけど。ほんとに、たとえ知らぬひとでも、友達や恋人と同じように、相手の空間に配慮ができるということは、何を意味するのか?残念ながら、それは、できるひととできないひとの、完全に2種類に分かれる!。もう、見事なくらいにはっきりと。その、品性、品格?、人格、含羞、優しさ、強さは、いったいどこから来るのか?つまり、言葉の通じるひととそうでないひと!という言い方もできるかも知れない…。っと書いていたらば、時間になってしまいました。続きはまた…。かっこいいひとよ、永遠なれ…。