ときどき、ことばはもつれ、そして、こころももつれる。おそらく、ほんの小さなことほど、こころにひっかかり、そして、考えぬでもいいことまで、考えさせてしまう。沈黙は、ときに、沈静とともに、いらぬ不安までかきたてるものらしい。おそらく、たぶん、いろんな悩みが、なにかをきっかけに、一度期に噴出してしまったせいだ。いや、たぶん、よくあることだ。生きてる不安は、いつだってあるし、このいちねんで、時は戻らぬ、ということを、どれだけ思い知らされてきたことか。わかりきったことだけに、眼前につきつけられると、やはり少しだけつらい。たぶん、このこころの乱れは、一度にいろんなことを、考えようとしている、わたしの(なかの)幾つもの矛盾のせいだろう。ときどき、こころは、オアシスを見失って、はてしないジャングルの奥地に入りこんでしまう。
それでも、事実は、そして、いとおしさは、なにひとつ変わらないのに…。どうして、こんなにもつれるのだろう。甘えかな。いや、それとも、ことばが余りに足りなすぎるせいだろうか。もどかしい。結局、これまでと同じ叫びに戻ってしまうのだ。とはいえ、ひとは、どこでなにをしていても、結局、常になにかを待ち続けているには違いなく、こころが苦しさに耐え切れず、もし、待つのをやあ~めた。と、そういったにしても、結局、時が流れ続ける限り、待っていることにはかわりないのに。こんなふうに、こころが、何かに耐えがたい気がするとき、いったい、なにがどうなって、こんなふうに、もつれるのかなぁ。わがことながら、ちょっとだけ、もどかしい。
そして、ことを小さな点に戻してみると、そして、我に返ってよく考えてみると、ふとおもうことがある。不安というものは、ひょっとしたら、安定すればしているときほど、感じるものではないのだろうか。ということと、しあわせは、あるいは、なにかの充足感は、ひょっとしたら、どこかのだれかのとてつもない、不安や憔悴と引き換えに、常に訪れているのではないだろうか。(ということ)。なあんて、考えていたら、とても、平然と生きてなどいられないのだけれど。だから、知らぬが仏を貫くよりないのだけれど。ともあれ。ふとしたときに、たとえば、もし自分が別のだれかの立場なら…。そう、考えをいたしたときに、愕然とする。そんなことはほんとによくある。だから、みんな言うに言われぬ、想いを噛み締めながら生きてるのだろうか。むむむ。ほんに、果てしなく、長い道のりで、そして、どうしようもなく、かなしい…。そんな気もする。
おもってることを、全部吐き出してしまえばもっと楽になるのに…。そうおもうこともあるけれど。もしそういわれて、わたしなら、はて、ほんとに、うまく吐き出せるだろうか。ともおもう。まだ言えぬことや、言わずとも通じることや、言わなくてもいいに違いないことや…。あれこれ、考えると、結局やっぱり、もつれた部分を、口にするのはやはり、難しい。でも、一方で、案ずるより~、というのもある。実のところ、全然問題でもないことで悩んでいる場合だってあるやもしれぬ。ともあれ、生きているということは、深い悩みとともにある、ことなのかもしれませぬ。ああ、それにしても。これだけ、書き連ねても、こころのもやもやは、いっこうに晴れそうにありませぬ。直接あって、はなしができたら、どんなにいいでしょうに。もしかしたら、何もかわらぬかもしれないけれど、それでも…。人生という名の思案列車は、ときどき、ちょっとだけ、かなしみのトンネルに入るもの…、なのかな。それにしても、わたし、いったい、何にそんなに悩んでいるのだ??
それでも、事実は、そして、いとおしさは、なにひとつ変わらないのに…。どうして、こんなにもつれるのだろう。甘えかな。いや、それとも、ことばが余りに足りなすぎるせいだろうか。もどかしい。結局、これまでと同じ叫びに戻ってしまうのだ。とはいえ、ひとは、どこでなにをしていても、結局、常になにかを待ち続けているには違いなく、こころが苦しさに耐え切れず、もし、待つのをやあ~めた。と、そういったにしても、結局、時が流れ続ける限り、待っていることにはかわりないのに。こんなふうに、こころが、何かに耐えがたい気がするとき、いったい、なにがどうなって、こんなふうに、もつれるのかなぁ。わがことながら、ちょっとだけ、もどかしい。
そして、ことを小さな点に戻してみると、そして、我に返ってよく考えてみると、ふとおもうことがある。不安というものは、ひょっとしたら、安定すればしているときほど、感じるものではないのだろうか。ということと、しあわせは、あるいは、なにかの充足感は、ひょっとしたら、どこかのだれかのとてつもない、不安や憔悴と引き換えに、常に訪れているのではないだろうか。(ということ)。なあんて、考えていたら、とても、平然と生きてなどいられないのだけれど。だから、知らぬが仏を貫くよりないのだけれど。ともあれ。ふとしたときに、たとえば、もし自分が別のだれかの立場なら…。そう、考えをいたしたときに、愕然とする。そんなことはほんとによくある。だから、みんな言うに言われぬ、想いを噛み締めながら生きてるのだろうか。むむむ。ほんに、果てしなく、長い道のりで、そして、どうしようもなく、かなしい…。そんな気もする。
おもってることを、全部吐き出してしまえばもっと楽になるのに…。そうおもうこともあるけれど。もしそういわれて、わたしなら、はて、ほんとに、うまく吐き出せるだろうか。ともおもう。まだ言えぬことや、言わずとも通じることや、言わなくてもいいに違いないことや…。あれこれ、考えると、結局やっぱり、もつれた部分を、口にするのはやはり、難しい。でも、一方で、案ずるより~、というのもある。実のところ、全然問題でもないことで悩んでいる場合だってあるやもしれぬ。ともあれ、生きているということは、深い悩みとともにある、ことなのかもしれませぬ。ああ、それにしても。これだけ、書き連ねても、こころのもやもやは、いっこうに晴れそうにありませぬ。直接あって、はなしができたら、どんなにいいでしょうに。もしかしたら、何もかわらぬかもしれないけれど、それでも…。人生という名の思案列車は、ときどき、ちょっとだけ、かなしみのトンネルに入るもの…、なのかな。それにしても、わたし、いったい、何にそんなに悩んでいるのだ??