ひとつ予定を終えて、ホッとしている。とても。恐らくたぶん、このところの、(わたしにしてはの)過密?スケジュールのせいもあるのかな。もちろん、休日をしているには違いないのだが。やっぱり、ちょっとだけ、気が張ったのかもしれない。ど~も、相手が女性(それも年上!)だと、気を遣う。いや、決して、嫌だとはおもっていない(はず)なのだが、どう~も、根が正直というか、なんというか…。どんなに、フランクに話していても、あるいは、冗談を言い合っていても、どこかで解けきれない何かがあって(そんなもの、おんなどうしではきっとみんなふつ~に、なにごともないかのように、さらっとながしていることのような気もするけど)…、つまりは、ちょいと疲れるのだ。ふ~。よくしてもらえればもらえたで、やっぱりどうも、甘え切れないなにかに遮られ、恐縮の度が増し、こちらが、ちょっとだけ劣っている(うん?なにが?う~ん。ちょっと説明が難しい。ともあれ。)状態でいるのが、ちょうどいい。あいてに、余計な(心的?)負担をかけないためにも(な
あんて、おもっているのはわたしだけかもしれない可能性は充分にある!)、服装においても、なににおいても、まぁ、つまりは、ちょっと気を遣うのだ。要するに、社会的動物ではない(つまり、元来協調性が欠ける)ものどおしだから、仲良く!するのは、それぞれの、大人度や、バランス感覚や、譲り合いや…、そんなところに負うところが少なくない(そんな気がする)。もとより、ただつるんだり、群れたりするだけなら、たぶん、そんなことは必要ないのかもしれない。いずれにしても、要するに、ひとことでいうと、たんにわたしが、おんなだけの団体行動!が、著しく苦手!というだけのような、そんな気がする。
ともあれ。なんだかんだ、いいつつも、宵越しのなんとかをなんとかしない、血筋だけあって、ご両人とも実に、あっぱれな買い方をなさる(のだ)。まぁ、判断がちゃきちゃき!っとしているのは、見ていて気持ちのいいものだから、それはすばらしいとおもった。もっとも、う~ん。お金にはもうすこしやさしくしてもいいのかな。って、気もしたけど…。こればかりは、コインの表裏だから、どちらも求めるのはちょっと難しいか。浪費でも、吝嗇でもない、ちょうどいい塩梅…というのは、案外むずかしいのかもしれない。つまりは、そのひとの判断の切れ味とか、潔さとか、やさしさとか、つまりは、トータルな品性みたいなものが、試されるのかなぁ。もちろん、そのときどきの、自分の(ほしいもの、必要なもの)こころとの、正直は対話もたいせつだし…。ときと、ばあいで、優先順位がまったく異なることだってある。いずれにせよ、半年越しの予定を無事に終えることができて…、やっぱり、とにかく、ホッとしている。ふ~。
それもこれも、これまで、わがははからの、わたしにたいする、あらゆる“気”を受けてきたことへの、(なかば大袈裟すぎる)懲り?のせい!ということにしておこう。もちろん、彼女の気持ちのすべてが、わたしのこころを傷つけ続けたわけではないし、彼女なりに、精一杯よかれと思う部分だってたくさんあっただろう。ただ、…。まぁ、一部にそうでない部分もあった、というのにすぎない。そして、それらを無視できなかったのは、ほかでもない、わたし自身であり、それは、簡単にかったまけたでいえるものでもない気もするし。まぁ、大袈裟ついでにいえば、ひとつのじゅばくではあったのでしょうねぇ。だから、彼女に対するわたしのこころも、少し複雑で。弱った姿を見るにつけ、なんとかしてあげたいと思う反面、どこかで、なるたけ穏やかにスムーズに衰えられることが彼女にとってもいいことのような…、気もして。う~ん。まぁ、ひとことでいうと、奇麗事だけでは、とても言い切れない。ということになる。ああ。むずかしいなぁ。たぶん、生きるって、そういうこと
なのでしょうね。
たいへんだけど、面白くもあって。しんどいけれど、たのしくもあって。ときどき、いやだと感じることもあるかもしれないけど、それでも、なんとか、してみたい、やってみたいとおもえるほどに、ありがたくかけがえがない。そんなふうに、真剣に、だれかをおもって、生きていけるというのは、それだけで、たぶん、きっと、とても、貴重な!時(の積み重ね!)なのだろうなっ。静かに。でも、精一杯の情熱をもっていきたい…。ものです。
あんて、おもっているのはわたしだけかもしれない可能性は充分にある!)、服装においても、なににおいても、まぁ、つまりは、ちょっと気を遣うのだ。要するに、社会的動物ではない(つまり、元来協調性が欠ける)ものどおしだから、仲良く!するのは、それぞれの、大人度や、バランス感覚や、譲り合いや…、そんなところに負うところが少なくない(そんな気がする)。もとより、ただつるんだり、群れたりするだけなら、たぶん、そんなことは必要ないのかもしれない。いずれにしても、要するに、ひとことでいうと、たんにわたしが、おんなだけの団体行動!が、著しく苦手!というだけのような、そんな気がする。
ともあれ。なんだかんだ、いいつつも、宵越しのなんとかをなんとかしない、血筋だけあって、ご両人とも実に、あっぱれな買い方をなさる(のだ)。まぁ、判断がちゃきちゃき!っとしているのは、見ていて気持ちのいいものだから、それはすばらしいとおもった。もっとも、う~ん。お金にはもうすこしやさしくしてもいいのかな。って、気もしたけど…。こればかりは、コインの表裏だから、どちらも求めるのはちょっと難しいか。浪費でも、吝嗇でもない、ちょうどいい塩梅…というのは、案外むずかしいのかもしれない。つまりは、そのひとの判断の切れ味とか、潔さとか、やさしさとか、つまりは、トータルな品性みたいなものが、試されるのかなぁ。もちろん、そのときどきの、自分の(ほしいもの、必要なもの)こころとの、正直は対話もたいせつだし…。ときと、ばあいで、優先順位がまったく異なることだってある。いずれにせよ、半年越しの予定を無事に終えることができて…、やっぱり、とにかく、ホッとしている。ふ~。
それもこれも、これまで、わがははからの、わたしにたいする、あらゆる“気”を受けてきたことへの、(なかば大袈裟すぎる)懲り?のせい!ということにしておこう。もちろん、彼女の気持ちのすべてが、わたしのこころを傷つけ続けたわけではないし、彼女なりに、精一杯よかれと思う部分だってたくさんあっただろう。ただ、…。まぁ、一部にそうでない部分もあった、というのにすぎない。そして、それらを無視できなかったのは、ほかでもない、わたし自身であり、それは、簡単にかったまけたでいえるものでもない気もするし。まぁ、大袈裟ついでにいえば、ひとつのじゅばくではあったのでしょうねぇ。だから、彼女に対するわたしのこころも、少し複雑で。弱った姿を見るにつけ、なんとかしてあげたいと思う反面、どこかで、なるたけ穏やかにスムーズに衰えられることが彼女にとってもいいことのような…、気もして。う~ん。まぁ、ひとことでいうと、奇麗事だけでは、とても言い切れない。ということになる。ああ。むずかしいなぁ。たぶん、生きるって、そういうこと
なのでしょうね。
たいへんだけど、面白くもあって。しんどいけれど、たのしくもあって。ときどき、いやだと感じることもあるかもしれないけど、それでも、なんとか、してみたい、やってみたいとおもえるほどに、ありがたくかけがえがない。そんなふうに、真剣に、だれかをおもって、生きていけるというのは、それだけで、たぶん、きっと、とても、貴重な!時(の積み重ね!)なのだろうなっ。静かに。でも、精一杯の情熱をもっていきたい…。ものです。