少し前のお話。近くにゴルフ場がありまして、そこには併設された練習場が。コース利用とは別に、いつでも自由に利用可能(最近まで知らなかった。こんなに近くにあったなんて…)。もっとも、練習嫌い(というより、そういうことにして、コース以外での打感があまり好きでないのを、練習をさぼる口実にしているだけなのだが…、ともあれ)のわたしとしては、それほど、じゃあ、いつも行こう!とは、ならないのですが、それでも、いつでも、気楽に行けるところがそんなに近くにある!というのは、そう思えるだけでも(こころに)充分に効用があるものでして…。と、前置きはこのくらいで。で、出かけたわけです。ナイターの頃。もう充分に夜更けだったので、灯かりもいささかぼんやりしてて、一階こそ明るいものの、気に入りの二階は、駐車場の間接照明!?だけ…。それでも、まぁいいか、と、ひとかごさげて、えっちらおっちら、数球うっていたならば。なんたることか。むわわわぁ~んと、効果音はないのですが、その微かな灯かりさえも、あれれ自動タイマーだっ
たのね。

そんなわけで。し~んと、静まり返った森の中に、ひとりぽつんと、まだ籠にはいっぱい入ったボールと一緒に取り残された。わ~お。ま、仕方ないので、これまた修行!なのかしらと、次第に闇にもなれた目にほんのり映る白い影を頼りに、まさにシャドウスイング!?よろしく、残りをのんびりしっかり打ったのでした。それにしても、目が見えない人のゴルフに同行したことがあるけれど、そして、彼らの打つボールの素直さに驚嘆しきりだったけれど、視覚に頼らず、動きを作るということの、(効果)偉大さをちょっとばかり、おもいました。もっとも、暗闇といっても道路の街灯はかすかにあるし、アイアンならほとんど影響なく普通に打てるし(さすがに、ウッドはボールとの距離感がつかみづらくて…)、ともあれちょっと面白い経験でした…、って感じでしたのですけれど。それにしても、のんびり、自分を含めて!誰の目も気にせず打つ!というのも、案外、乙な!?ものかもしれません。(これ、田舎でないと、なかなかむずかしいことですけれど。)

さて。メールがあると、どうしてもついつい、その便利さに負けてしまいがちですが、たまには、便箋万年筆で書くのも、ちょっと嬉しい(自分で自分の字を見ながら綴る、というのにも、なにがしかの癒しの効果があるのやもしれませぬ)、そんな気がする。しかし、なにしろ、この暑さ。夜になると、むしろ外の方が涼しく、できることなら、特大洗濯ネットならぬ、特大蚊帳式ハンモック!?の中に入って、ホタルを集めて書けたらどんなに素敵でしょう。ともあれ、そんなこんなで、家で書こうと思うと、やれ、せっかく書くのだから、あれを片付けてから、これをちゃんとしてから…、そうこう周りをちゃんと整えてから…、なあんてしてると、受験勉強よろしく(それと違うのは決して意図的に後回しにしてるのではないのだが…)、結局、疲労と時間と、翌朝の予定などなど、諸般の事情に気おされて…、なんだかんだと、一日伸ばし!に、なってしまうのだ。そこで、外。あまり風流でないけど、安全で、気兼ねなくのんびりできるとしたらば、ファミレスか~、珈琲バー。外
国チェーンの後者は幾分瀟洒でも閉まるもの早い。仕方なく、前者。

ところが、いまどきひとりで便箋万年筆を、ひろげたら目だってしまうのでしょうかねぇ。こちらが“ちらり”を許すまじとすればするほど、(動きの)五月蝿い(大抵は暇な店員)のが、難点。もっとも、外で寛いだ私的書簡を書こうとするのだから、多少の障害に怯んではいられぬ。まぁ、背中の目を機能させながら、まるで盗塁を許さぬ捕手さながら!?のゲーム感覚で(まぁ、考えようによっては集中力と、切り替えと、適度な考えタイム!をもたらしてくれる。といえなくもなく…)。ともあれ、なんとも、つまらないことを気にするものだが、何はともあれ、家でなかなか着手できぬことを、外での緊張感?に助けられつつ、やってみるのも、たまにはいいのかもしれません。それにしても、ひとは、隠そうとすればするほど、見たく、なるものなのですかねぇ。う~ん。ちょっと、げせませぬが。どうやら、いろんなひとがいるようです。それにしても、『見る』とひとことでいっても、なにをもって「見る」「見た」といえるのか。なあんて、まるで池田晶子さんみたいな
論調で考え出したら、ちょっと次元が飛びぬけていて、あっぱれというか~、あまりくよくよ、気にしても仕方ない、というか~。とはいえ、人の目(あるいは、みんなとおなじ)がとても大事(のよう)なのは、やっぱり島国という風土と関係しているのですかねぇ。もちろん、いいところもたくさんあるのですけれど…。

ところで。いつか観た映画にこんなフレーズがあった。なんでも、サッカーは暴れん坊が、紳士になってやるスポーツ。かたやラグビーはというと、紳士が暴れん坊になってやるもの…。そうなのかなぁ。よくわかりませぬ。もっとも、それも、あちらの笑えぬジョークだとか、補足台詞があったけど。正直、きわめて大雑把にできてる女脳からすると、どちらもおんなじに聞こえる!のだが、それを言うと、もっとさらにこころをいためてしまうでしょうか。たぶん、かっこつけていうと、スポーツとは、紳士だけでも、暴れん坊だけでも、できないもの。なのでは…?それにしても、このところ、髪を伸ばしているもので…(もっとも、大半は美容院をさぼってるだけなのと、あとの半分は、傷を気にせず、つまりはおばちゃんたちの容赦のない視線を気にせず、以前みたいにお風呂や温泉に行きたいから…、なだけなのだが、ともあれ)、ちょっと黒く日焼けしすぎたせいで、ほんのときどき、あるひとに似ていると言われる(そして、ちょっとひそかに胸をいためてる)。もっとも、功績の
立派なひとに似てるといわれて、傷つくのだから、女心とはなんとも、勝手なものだ(とも思う)。これでも、おてんばなりに、こだわりがあって、(単に個人的好みなだけだが)、敵(味方でも)と、接触プレーのある競技はどうも、いけない。理由はわかりませぬ。本能的(気分的?)に、ちょっと抵抗があるのだ。むろん、おんながしてはいけない、と思ってるわけではないのですが…。わたしはできない、と、ひとり勝手に思ってるにすぎないのだけれど。まぁ、球技なら、なにこれ問わず、純粋にボールを追いかけるのは、自然にこころが弾むことではあるのですけどねぇ。それにしても、ゴルフだけは、ボールを追いかけずに、せっかく目の前にあるものを、ひたすら遠くに遠くに飛ばそうとするのは、どうしてですかねぇ。