ちょっとさびしい夜と、案外そうでない日が、このところ交互にやってくる。ひょっとしたら、昼間、“合宿所”を訪ねた折に、帰り際、彼女にぐずられた日とそうでない日に符合するのか、そうでないのか、あえて深くつきあわせたりしないので、わからないけど、ともあれ、そんな按配。たいてい、知らず知らずのうちの、(昼間の)ストレス(発散のうまく行った日とそうでない日と…)のせいがあるのやもしれない。みんなそうだろう。そのための、家だから、きっといいのだ。ありのままで。
まぁ、それはそうと。間隔の目立つこの頃だけど、実のところ、何度か書いたまま…、けいたいのホルダーにそのままになってるのがある。ひとつは、眠くて推敲できず…、あるいは、あんまり酷くて投稿するのが躊躇われ…、(これでも今ごろ人並みの羞恥心が生まれたのだろうか?…冗談はさておき)ともあれ。自分でもよくわからぬが、これまでにはない、慎重さ?なのか、はたまた、ただのなまくらなのか…。ひとの行動は、ときに、自分でもよくわからぬ。(どうしよう。いつか、忘れた頃にちょこんとひっつけて載せようか、それとも、ほんとに忘れてしまうかなぁ。)

忘れるといえば、いつかの旅のきおく、最終日がまだのまま、いったいいつまでひっぱるのでしょう。日々の愚痴で、どうにも追いつかず、季節がすっかりめぐってしまったとです。ところで。不思議なことがありました。いとこがいます。いちばん歳の離れた…。隣町に。それぞれが端と端だから、優に四里はあるでしょうか。どちらも海沿いには違いないのですが。かつて、父の長姉が嫁いだとこです。美しい砂嘴と松林の広がる丘陵はみるひとのこころに残る、そんな景色豊かな港の近く…。父とは半世紀以上だから、そのチイ母ちゃんでもあった長姉の長女であるから、同じく半世紀近く…、正確にはわたしの生まれた年号の年だけ歳の違うそのいとこがいます(ちなみにそのいとこは母の一歳年上)。いつだったか、お正月かな、に、訪ねた折、昔話になりました。いとこがその母親(つまり父の長姉)と、よく里帰りをするたびに、父の父(つまり私にとっても祖父になるひと)がいつも温かく迎えてくれたという。(ちなみにわたしは祖父母を知らない)。それを話すときの、いとこ
のうれしなつかしい豊かな表情が、そのときのことをとてもよく物語っていて…。いつしか、うちの母屋の間取りの話になった。テーブルの上に指で大まかな位置を教えてくれた。わたしは、見たことのない、家にいろりのある時代の母屋がとても、興味深く、そのときは、いつかまたゆっくり来たときに、紙に書いてもらおうとおもっていた。

それから、半年。海沿いを車で飛ばせば半時間もかからない距離だが、なかなか行けず…。いや、春のある日に、ドライブの帰り、急に思い立って立ち寄りはしたが、なにしろ、助手席に落ち着かぬ約一名がいたものだから、つかの間の立ち話がその時はやっとで…。そのときも、さしたる話もせず…、だった。海外!?(国内のだ)に暮らすもうひとりのいとこ(こちらは父の次兄の一人娘)が、たまたま特産果実のジュースを送ってくれたものだから、件の町の近くの神社にお守りを買いにいく都合もあったし、ジュース片手にちょこっと寄った。ちょうど、そのいとこは、近所へ井戸端会議に出張中!だったのだが、(離れて暮らす)その一人娘がちょうどいた。娘といっても、ひと世代上。彼女の孫がもう中学生だから、うちだけ、隔世の感がつよい…。ともあれ。ジュース置いてすぐ帰るつもりが、「ちょっとどう?」で、つかの間、こちらも井戸端会議! 年寄りの甘えとわがままについてひとしきり盛り上がったあと、ふと、彼女の母親(つまり最年長のいとこ)が、ちらしの裏
に丁寧に書いてくれてた、見取り図!を、ちょうどさっき見つけて憶えてた!とかで、取り出してくれたときには、ひとかたならず!?驚いた。「え?わたし、いつかお願いしようとおもって…、たしかまだ、口に出してはいなかったはず…。それとも、うっかりお願いしてたんだべか?いやいや、してないぞ。」心の声って、やっぱり届くときには届くものなのかなぁ?不思議なことはときどき起こる。

考えすぎかもしれないが、子どもたちや、あるいは動物たちが、こちらが口に出さなくても、知らぬ間にこちらの意向をちゃんとわかっていたりするように…、老いて、幾分ことばや表現の数が減ってくると、むしろ、反比例するみたいに、ほんとうにだいじなことだけに感覚が研ぎ澄まされるというか…、なんだろう、まだ、こちらが言ってないのに、まるでちゃんと前から知っていました…、みたいなことが、しばしば起こって驚かされる。そして、その場その場の空気(や、無言故により雄弁となる視線たち)に、驚くほど敏感にもなる。ただ、それに対するレスポンスが、著しく不器用(だったり、粗かったり)なだけで…。ともあれ、「そのうちいつか…」に対する繊細度は、戦争をじかに経験している父の世代と、わずか十数年だが、子ども時代に過ぎてしまった母の世代でも、やはりいくらか、その緊迫感はちがう。「こんど、いつか…」は、必ずあるとは限らない、(だから、その場その場できちんきちんとする)と、一種の無常観(刹那観?)を大事にする世代、だろうか。だか
ら、思い立ったときに…ちゃんとしておかねば…、そう思いながらも、どうしても、「いつかは、必ずやってくる!」とおもってしまう、安穏世代なものだから…。ついつい、また夏に会ったときにでも(頼めばいい)。と、おもってたところの、“見取り図”だったものだから…。ほんとに驚いた。書いてくれた御本人はいなかったけど、わたしがたまたま思い立ってでかけたタイミングといい、その娘がたまたま見つけていてくれてたタイミングといい…。なんでしょうね。ほんとに不思議だ。

おじいちゃんが、伝えて、くれたのだろうか。