きょねんの9がつと、こんげつのカレンダーは同じなんです。と、いうことは、その10月のが、来月と同じ…。8月になると31日があるからずれちゃうけど…。なんで、知ってるかというと…。まぁ、なんでも、使えるものは大事に使いましょう…、ということです(いえ、たまたま、使いそびれたのがあったのでね。トイレにね。もちろん、まいとしまいとし、そんなに倹約しているわけではありません)。つまりその~、臨機応変。ひとにどうみられるか~を主軸にお金をつかうのではなく、自分が居心地がいいことを軸に、お金をつかうと、また、違った味があるような気もします。だから、ケースバイケース。北の国の吾郎さんから、う~ん、なんだ?そうだなぁ、ローマの休日のあの男前さんまで…。幅広く、真似できたら…。それはそれは、かっこいいだろうなぁ。おまけに、その本当のかっこよさに、気づける人は少ないし。ますます、かっこよく、素敵に、なるだろな。ローマの休日のおじさんは、グレゴリーペック?うん?いまいち、横文字は男か女かさえわからんのまであ
って…、どうも苦手です。男前の定義は、ただ顔かたちがロダンのモデル?に近いとかそうでないとか…ではなくて…、おんなでいうと、ミロのヴィーナスではなく、モナリザ。つまり~、かたちがすべてではない美しさ、かっこよさなんじゃないかなぁ~。時とともに内面から滲み出てくるものを含めたかっこよさ、美しさ、優しさ、素朴さ、強さ、哀愁…、そんなもの。っと、わたしは、かってにおもうのであります。

あれも、一応カクテル光線というのかなぁ。まちのテニスコート。ウインブルドンみたせいでしょうか、それとも…。買い物の帰り、ふと光に吸い寄せられる虫たちみたいに、気が付くと、体育館や武道館があつまった一角に車を滑り込ませていました。いい風が吹き抜けます。ほのかにお気に入りの音楽を車の窓から、こぼれさせ、野球場のフェンス沿いの芝生と、コンクリ。ネットにもたれて、ほそい、平均台みたいなコンクリートの上に器用に座って、脚を投げ出す。テニスコートからは、ラリーの音。後ろの武道館からは、弓道の弓が的に当たる音。そして、体育館の離れのジムではエアロビの音楽と、がんばってるひとたちの揃いの動き。しずかな、暗闇の寛ぎ空間をひとり占めしたみたいな、リッチな空間。夏の宵の、贅沢なひとときです。体育館には、トランポリンと器械体操をがんばってる子どもたちの声。野球場の、スコアボードの向こうの藪では、またひとつ、ホタルがまたたいていたような~。星空もうっすらとのぞいています。そんな場所に佇みながら、ひさかたぶりにお
友達とのおしゃべり電話。むろん、むこうもおばちゃんなのですが、それでも、つかの間、羽を伸ばして、ストレスを癒すのには申し分のない環境です。これが、田舎のいいところ!なのでしょうか。たまには、こういうのもありがたいものです。(これが、田舎オンリーだとこの贅沢なシチュエーションに案外気づけないんだろうなぁ~)。なかなか、むずかしいですねぇ。あっちもこっちも、ときどき行ったり来たり。実はこれが、いちばん、贅沢なことなのでしょうかねぇ。

地元の温泉の簡易施設。いちど、足を伸ばしたいと、かねてからのリクエストがあったので、連れていきました。いいお天気。いい風。いい道。いい景色。そして、いい機嫌。なかなか、そろえるのはたいへんですが。だから、あるときがありがたい。のかもしれません。車を泊めて、服の脱ぎ着も含めて、ものの15分ぐらいだったでしょうか。温泉ですよ。温泉!。もちろん、料金も払っております。なんじゃそれ?でしょ。でも、彼女には、それでもいいのでしょう。というより、知らないところ、なれない場所、知らない人(たちの無遠慮な視線)が、処理しきれんのです。無視も出来ず、咀嚼もできない。なので、どうしても、あわわになっちゃうんだろうな。そうはいっても、子どもみたいにあっという間に服を脱いで、「早く早く!」。仕方ないので、先に風呂場に行かせると、ちゃっかりみんなと同じ湯船につかってる!。(ん?ほっておけば、もう少しのんびり入っていられたのかなぁ?)わたしが、行くと、急にあわてて、また、あわわに戻ってる。(ん?っということは、わ
たしといると、視線がやってきて、処理しきれないってこと?わたしのせいかい?)。ともあれ、わたしが浸かって、足を伸ばし、う~ん、と、うなる間もなく、「はい、あがろ!」。ダッシュゴルフってのがあったっけ。洗い場で慌ててシャンプーと、背中を流し…。「はい、かえろ!」(こちとら、やっとのおもいで、あたまだけ洗ったっちゅうねん)。脱衣場へ連れて行き、服を着ているあいだに、ひとりもどって、冷泉に浸かり、もいちど、湯船。といっても、しゃぶしゃぶなみだ。これじゃあ、カップヌードルにもおよばんではないか~。はてさて。周囲の視線をもろともせず、ダッシュで服着て、「ほな、さいなら」。受付のおばちゃんたちも、呆気に取られていたような…。冷静に観る人にみてもらえば、とても、可笑しく愉しいワンシーンなのだけれど、まぁ、免疫のない方々には、なんじゃありゃ?に、映ったろうなぁ~。みんな、老いたらそうなるのにね。なるほど、やっぱり、知らぬが仏?なんですかねぇ。

さて。風のように風呂に入って、車にもどったっちゅうわけなのですが。車に乗って、走り出した途端、ふつ~、の、穏やかなおばはん。買ってあげた珈琲牛乳のビンを握り締め、「これおいしいなぁ~」「何年ぶりかで、いいお湯やったなぁ~」!!。ものすごく、リラックスしてる。開いた口がふさがらんでしょ。こっちはもう、だいたい、わかってきたので、おどろきゃしませんが、ほんまに、内弁慶の塊みたい。つまりは、これまでも、旅に行って、行った先でこころの芯から寛ぐではなく…、たぶんだけど、「はい、ここ行きました。あこ行きました」。つまりは、ひとに言える、自慢できる(という要素)のほうが、何倍も大きかった。本人を責めるわけではありません。旅を寛ぐには、やっぱり、いくつもの、才能?や、もってうまれた資質なんかも、あるのかもしれません。もっとも、早くに気づいて挑戦してれば、無論、だれでも克服できるもの、ではないかなぁ~、とは、おもいますけど。桃太郎や一寸法師ではないけれど、若いときにひとり旅をしなきゃ、なかなか気づくの
は遅くなるやもしれませんねぇ。もっとも、あれは、男の子の教訓ですから、女の子がおんなじくらい、タフになっちゃうのは、よくないのかなぁ~って、おもっちゃいますけど。こればっかりは、いかんとも…。野球だって、サッカーだって、やってみたら、同じくらいにできちゃったんだもんな。球技はみいんな、面白いものなんだもんな。ううう。「ノースポーツ」。わたしにゴルフに誘われて、そう、ひとことできめてみせた、同級生が、とても恰好よかったな。そんな女の子に、わたしは憬れるわけです。ひとは、みんな、ないものねだり?なんですかねぇ。

夏は夜。そういった清少納言さんが、かっこいいとおもえてきました。夏は早朝のほうが、清々しいじゃない?って、ちょっとおもっていたけれど。宵から夜にかけてのひとときに吹き抜ける風の素晴らしさは、ことばでは言い尽くせないな。さっきのおしゃべり電話でわかったことがあります。ひとは、最初からことばが浮かぶのではないんです。しかるべく(相性のいい)相手によって、知らず知らずに、気が付くと「わたし、案外かっこいいこといえちゃった」って、なるんです。つまり、見えない相互作用というか、相手の中の、潜在意識や能力を引き出す…、というか。だから、相性のいいひと、つまり、素敵な友達たちに、ひとは、時々会いたくなるのでしょう。会わなかったら、なかなか気づけぬことや、ことばにできなかったことが、すらすらと、ことばになって出てくる~、というような…。それに、話したり、ことばにしたりすることで、自分の中でも、大事な記憶や想いが、さらに、くっきり定着する~、っというようなこともあるのやもしれません。そう、ちょうど、写真
を現像するようなものです。定着するときは、あんまり明るすぎてもいけません。ほどほどに、暗く静かな環境も(ときどき)必要!というのは、そういうことではないでしょかね。鵜飼の鵜になるのは、いやだなつらいなって、おもうとしても、じゃあ、そのひもを、地球の裏側まで延びる紐にしちゃえばいいんじゃない?そしたら、わざわざほかの自由を求めるのと、変わらないんじゃない?なあんて、大袈裟で突拍子もない発想は、まことに好き勝手なことを言うのが専門のおばさんのでまかせ、で恐縮ではありますが…。ともあれ、どこにいても、なにをしても、こころ次第…。形も、そりゃ、影響は大きいけど、もっと大きな見方もあるかもね…。なあんて、これもほんとは自分に言い聞かせてるんだな。むむむ。(あ、地球の裏側!というのは、あくまで、もののたとえですよ。)