役場に行くと、(まぁ、支所みたいなとこだけど)、そこにもまた同級生。顔パスというと、なんか恰好いいが、なんてことはない、保育所の(パンツ一丁!)プール時代から顔馴染ということ。もっとも、保育園時代(だけ)は、なぜかとてもよく遊んだ。毎週のようにうちに来ていて、よく泊まってもいったような…。彼女の家はおすし屋さんで、つまりは、家にいても寂しかったのだろう。保育所に入ったとき、最初のクラスが一緒で席が隣同士だった。彼女のお弁当には、よくイクラがど~んとご飯の上にのっかっていて、とてもうらやましかったのを憶えている。大きくなると、わたしが男の子とばかり遊ぶようになったのもあって、さほど親しさはなかった。でも、思えば、保育所から高校まで全部一緒だ。っと、いう間柄というので、多少微妙な空気はあるけど、まぁ、普通に世間話をする程度。一度、ビアホールに仲間と行くのに誘ってくれたが、私が飲めないのと、正直気が進まなかったので、またにしてもらうと、以来、やっぱり窓口でおしゃべりを少しするだけ。久々に行く
と、その彼女がちょうど、外出(出張?)に行くところ…。そこで、いつもとは違う、やや年配の女性が対応くれた。むろん、顔も名前も知らない。そうはいっても、良きにつけそうでないにつけ、小さな村ゆえ、小学校(時代)が同じ、もしくは同級生の親世代だったりすると、なぜか、こっちは知らずとも向こうはこっちを知っている!というのが、よくある。まぁ、それはいいとして。思いがけない、ことばがつづいた。なんでも、むかしむかし、わたしの父があげたという、椿の木がよく育ち、ピンクと白のまだら模様の花をつけるのが、綺麗で、義母上がとてもお気に入りだという。驚いた。まったく思いもかけないことばだったから。それで、とても感謝された。そして、とても柔らかい空気と雰囲気が、それをよく伝えてくれ、かたじけなくて感激するほど…。不思議な縁と、思いがけない感謝のことばに、内心、感激と哀愁と…、よくわからん喜びと…、いっぱいの心情が駆け巡った。でも、実際に口にできたのは、「植物のちからってすごいですねぇ」とだけ。親が子どもに残せ
るもの…、なんていうと、大袈裟だが、父のきもち(優しさ)がこんなかたちで、わたしのところにやってくるなんて…。(もっとも、そのお宅は以前、ご商売をやっていて、父が(税務)経理を診ていたのだそうだ。たぶん、過分にお礼をもらったか何かで、父が、庭の椿の一部を差し上げたのだろうとおもう)。それにしても、こんなかたちで、伝わるなにかもあるんだって、ことばにならないほどの、不思議な感覚(感謝)をおぼえたのだった。
しごとで、悩みのない人などいないのではないだろか。それが、なければ困るが、ありすぎても、それはそれで、また違ったたいへんがやってくる。お金、時間…。なぜか、みんな共通するのが、おもしろい。程ほど、ということの、どれほどむずかしく、そしてありがたいかが、そのどちらかを経験することで、ほんとによくわかる。個性や自由(と規律や従順)、の共存にしてもそう。ときに、自信のなさが、強制や抑制(の過剰)を生んだり…。不思議なもので、ひとは、得てして自分ができないと、うすうす(潜在意識で)感じていることを、ひとに強制したくなったり、あるいは逆に、(ひとから)取り上げてしまいたいと意地悪おこしたり…、するようだ。形の誠実さを強要するあまり、結局、血の通わぬマニュアル先行になってしまったり…。たとえばコンビに(おっと、失礼)。いろんな、もんだいをかかえながら、ものごとは、時間とともに、落ち着くところに落ち着いていく(あれ?これは、最近どこかで読んだ、いいフレーズのひとつなのだが、それがどこで読んだか思い出
せない…)。やっと今ごろ、シニア層の利用を促すにはどうすればいいか?なんだそうだ。もっとも、年寄りの数が多すぎるという点はあるのだろうが、年配者を敬う風土をどこかに置き忘れてきてしまったことが、何よりだ。若い人たちが、年配者に対して思う感情や感覚は、ことばにせずともしっかりと伝わるのだ。だれだって、居心地の悪いところに足は向わない。きちんと、同じ目線、あるいはいくばくかの尊敬でもって、迎えられるなら…、だれでも、そこに行きたいと思うし、実際、言われずとも、自然に足が向く。優しさとは、なんだろう。これは、深く、でも、考えれば考えるほどに、味のでるテーマでもあるだろう。
あれ、話が逸れちゃった。さて、近所のスーパーにもいつか書いた同級生がいる。前の夏には、少し故障中だったうちの家族が、お盆の早朝に繰り広げたちゃんちゃんばらばら騒動のときに、(そうとは知らずに)彼女の荷物をちゃんと保護していてくれたのが、たまたまその同級生だった。保育所時代は、同じクラスにいた記憶はあまりないのだが、とにかく、いちばんとびきりのやんちゃ坊主だった。雪がどっさり降った日、だれだれの耳に雪を詰めたぁ!~とか、いまでも憶えているエピソードに事欠かなかった。小学校にあがると、保育所では3クラスが2クラスに。いまのこどもたちの何倍も多くて、教室は隅まで机で埋まっていた。一年生。とても几帳面な担任の先生。一ヶ月ごとにきちんと席替えをしてくださる。そして、背の順に3つのグループに分け、小さい子が後ろの席になったりしないよう、配慮される。つまりは、クラスの3分の1でシャッフルするわけだ。わたしは、いちばんうしろグループ(その中では小さい方だったけど)。必ず男の子と女の子が隣り合わせになる
わけだが、さすれば、6、7分の1の確率でいろんな子と隣になれるはずだ。なのに、なぜか、ほとんどいつも、わたしの隣はその子になるのだ。今にして思えば、それも先生の配慮!(画策?)だったのかもしれぬ(ともおもう)。たぶん、わたしなら泣かされたりしないだろうし…、あわよくば、勉強の面倒もみてくれるかもしれぬ~。自分で言うのもなんだけど…。ともあれ、当時は、どうしてこうもこいつばっかり隣にくるんだよ~、って、ちょっと辟易していたような~。無論、なぜか憎めぬやつだったけど…。今じゃあ、すっかり働くお父さんで、夕方、わたしが買い物行くと、ときどきさりげなく出てきて、やおら値引きをシールを貼ってくれたりするんだな。それでも、話し掛けると、ちゃんとお客様への言葉遣いをしてくれるのが、ちょっと可笑しいやら、感心するやら…。照れくさいのかなぁ?
出会いの妙、仕事の妙を、うんぬんと~、書くつもりが…。あれれ。なんだか、ただののすたるじぃ(爺?)になってしまっただ。そういえば、このごろ、ときどき、桃太郎のお話を振ってみるのだが…。そう、例の彼女にね。自分自身の怒りとか、悩みとかそういうものから、一瞬解放されるんだろうな。こっちが、どれどれ?って興味深深の顔していると…、とっても嬉しそうに話している。ときどき、なかなか寝てくれないときに、わたしが、「むかしむかし、おじいさんとおばあさんが、しにました」と、わるふざけすると~、ちょっと仏頂面をする。(それも、可笑しいのだが…)。ともあれ、上機嫌で話すのだが、もっとも、いつも、たいてい桃が流れてきて、ももたろうが顔を出すところ辺りで、彼女の集中力はほかに、移ってしまう…。ちなみに、ゆうべのそれによると、なんでも、桃から出てくる桃太郎は、ちゃんと鉢巻き巻いて出てくる!のだそうだ。。こんな風に、昔話って、編まれて、言い伝えられていったのかしらん?つまり、おじいちゃん、おばあちゃんが、孫たちに
、ちょっとでも、面白いお話を聞かせたくて…、自らも頑張った…、そんな話。たぶん、きっとそうだろう。ひとが頑張れるのは、何かを残したいとおもうのは、つきつめると自分のためというより、自分が愛するもののため…、なのだろうな。なんてね。(どうにも、まとまりに書ける小噺ばかりで…m--m)。
と、その彼女がちょうど、外出(出張?)に行くところ…。そこで、いつもとは違う、やや年配の女性が対応くれた。むろん、顔も名前も知らない。そうはいっても、良きにつけそうでないにつけ、小さな村ゆえ、小学校(時代)が同じ、もしくは同級生の親世代だったりすると、なぜか、こっちは知らずとも向こうはこっちを知っている!というのが、よくある。まぁ、それはいいとして。思いがけない、ことばがつづいた。なんでも、むかしむかし、わたしの父があげたという、椿の木がよく育ち、ピンクと白のまだら模様の花をつけるのが、綺麗で、義母上がとてもお気に入りだという。驚いた。まったく思いもかけないことばだったから。それで、とても感謝された。そして、とても柔らかい空気と雰囲気が、それをよく伝えてくれ、かたじけなくて感激するほど…。不思議な縁と、思いがけない感謝のことばに、内心、感激と哀愁と…、よくわからん喜びと…、いっぱいの心情が駆け巡った。でも、実際に口にできたのは、「植物のちからってすごいですねぇ」とだけ。親が子どもに残せ
るもの…、なんていうと、大袈裟だが、父のきもち(優しさ)がこんなかたちで、わたしのところにやってくるなんて…。(もっとも、そのお宅は以前、ご商売をやっていて、父が(税務)経理を診ていたのだそうだ。たぶん、過分にお礼をもらったか何かで、父が、庭の椿の一部を差し上げたのだろうとおもう)。それにしても、こんなかたちで、伝わるなにかもあるんだって、ことばにならないほどの、不思議な感覚(感謝)をおぼえたのだった。
しごとで、悩みのない人などいないのではないだろか。それが、なければ困るが、ありすぎても、それはそれで、また違ったたいへんがやってくる。お金、時間…。なぜか、みんな共通するのが、おもしろい。程ほど、ということの、どれほどむずかしく、そしてありがたいかが、そのどちらかを経験することで、ほんとによくわかる。個性や自由(と規律や従順)、の共存にしてもそう。ときに、自信のなさが、強制や抑制(の過剰)を生んだり…。不思議なもので、ひとは、得てして自分ができないと、うすうす(潜在意識で)感じていることを、ひとに強制したくなったり、あるいは逆に、(ひとから)取り上げてしまいたいと意地悪おこしたり…、するようだ。形の誠実さを強要するあまり、結局、血の通わぬマニュアル先行になってしまったり…。たとえばコンビに(おっと、失礼)。いろんな、もんだいをかかえながら、ものごとは、時間とともに、落ち着くところに落ち着いていく(あれ?これは、最近どこかで読んだ、いいフレーズのひとつなのだが、それがどこで読んだか思い出
せない…)。やっと今ごろ、シニア層の利用を促すにはどうすればいいか?なんだそうだ。もっとも、年寄りの数が多すぎるという点はあるのだろうが、年配者を敬う風土をどこかに置き忘れてきてしまったことが、何よりだ。若い人たちが、年配者に対して思う感情や感覚は、ことばにせずともしっかりと伝わるのだ。だれだって、居心地の悪いところに足は向わない。きちんと、同じ目線、あるいはいくばくかの尊敬でもって、迎えられるなら…、だれでも、そこに行きたいと思うし、実際、言われずとも、自然に足が向く。優しさとは、なんだろう。これは、深く、でも、考えれば考えるほどに、味のでるテーマでもあるだろう。
あれ、話が逸れちゃった。さて、近所のスーパーにもいつか書いた同級生がいる。前の夏には、少し故障中だったうちの家族が、お盆の早朝に繰り広げたちゃんちゃんばらばら騒動のときに、(そうとは知らずに)彼女の荷物をちゃんと保護していてくれたのが、たまたまその同級生だった。保育所時代は、同じクラスにいた記憶はあまりないのだが、とにかく、いちばんとびきりのやんちゃ坊主だった。雪がどっさり降った日、だれだれの耳に雪を詰めたぁ!~とか、いまでも憶えているエピソードに事欠かなかった。小学校にあがると、保育所では3クラスが2クラスに。いまのこどもたちの何倍も多くて、教室は隅まで机で埋まっていた。一年生。とても几帳面な担任の先生。一ヶ月ごとにきちんと席替えをしてくださる。そして、背の順に3つのグループに分け、小さい子が後ろの席になったりしないよう、配慮される。つまりは、クラスの3分の1でシャッフルするわけだ。わたしは、いちばんうしろグループ(その中では小さい方だったけど)。必ず男の子と女の子が隣り合わせになる
わけだが、さすれば、6、7分の1の確率でいろんな子と隣になれるはずだ。なのに、なぜか、ほとんどいつも、わたしの隣はその子になるのだ。今にして思えば、それも先生の配慮!(画策?)だったのかもしれぬ(ともおもう)。たぶん、わたしなら泣かされたりしないだろうし…、あわよくば、勉強の面倒もみてくれるかもしれぬ~。自分で言うのもなんだけど…。ともあれ、当時は、どうしてこうもこいつばっかり隣にくるんだよ~、って、ちょっと辟易していたような~。無論、なぜか憎めぬやつだったけど…。今じゃあ、すっかり働くお父さんで、夕方、わたしが買い物行くと、ときどきさりげなく出てきて、やおら値引きをシールを貼ってくれたりするんだな。それでも、話し掛けると、ちゃんとお客様への言葉遣いをしてくれるのが、ちょっと可笑しいやら、感心するやら…。照れくさいのかなぁ?
出会いの妙、仕事の妙を、うんぬんと~、書くつもりが…。あれれ。なんだか、ただののすたるじぃ(爺?)になってしまっただ。そういえば、このごろ、ときどき、桃太郎のお話を振ってみるのだが…。そう、例の彼女にね。自分自身の怒りとか、悩みとかそういうものから、一瞬解放されるんだろうな。こっちが、どれどれ?って興味深深の顔していると…、とっても嬉しそうに話している。ときどき、なかなか寝てくれないときに、わたしが、「むかしむかし、おじいさんとおばあさんが、しにました」と、わるふざけすると~、ちょっと仏頂面をする。(それも、可笑しいのだが…)。ともあれ、上機嫌で話すのだが、もっとも、いつも、たいてい桃が流れてきて、ももたろうが顔を出すところ辺りで、彼女の集中力はほかに、移ってしまう…。ちなみに、ゆうべのそれによると、なんでも、桃から出てくる桃太郎は、ちゃんと鉢巻き巻いて出てくる!のだそうだ。。こんな風に、昔話って、編まれて、言い伝えられていったのかしらん?つまり、おじいちゃん、おばあちゃんが、孫たちに
、ちょっとでも、面白いお話を聞かせたくて…、自らも頑張った…、そんな話。たぶん、きっとそうだろう。ひとが頑張れるのは、何かを残したいとおもうのは、つきつめると自分のためというより、自分が愛するもののため…、なのだろうな。なんてね。(どうにも、まとまりに書ける小噺ばかりで…m--m)。