そういえば、自宅で浪人していた頃。よく、気晴らしに、夢がかなったら挑戦したいことリストみたいなのを、書いていたっけ。そうだ。『棺おけリスト』とそこし似ていなくもないか(それは、映画のタイトルのことです)。別にしぬわけじゃないけど。もっとも、もっと大きく広い意味では、いつでも、だれでも、やりたいことを考えるなら、つまりは、その映画と同じことなんじゃないかな。それを、あの映画は教えてくれている(わかった!わたしの、長話の原因は、書いてるうちに出てきたフレーズに、頭の中の、せっかちあ~んど、余計な閃きブースがやたらに反応して、すぐ、当初の本筋とは違う方向に、話がどんどん拡がってしまうせいだ。いま、気が付きました。)。さて。十代最後のころに考えていたことといえば、(冒頭のリストの話です。)えっと、まぁ、それは、挑戦してみたいアルバイトリストも付加していたのだけれど。大好きな野球場でボールボーイならぬ、ボールガールしてみたかった。あの百貨店のマークが背中についてるユニフォーム。土のグラウンド。カ
クテル光線。テレビでみていた選手が間近にいて、そして何より、大好きな野球が、ゲームの息遣いが、すぐそばで観られるのだ。こんないいこと、ほかにあるだろうか。っと、思ってたのに、なぁ~。なぜか、県境の川を越えて、バイトに出かけるという発想を失っていた…。大学に入った途端に…。もっとも、そのまえに、硬式野球部に入ってやろう!って(高校時からずっと)おもってて、何度も何度も主将たちと話をしたが、結局、受け入れてもらえず…。(まぁ、そのおかげで、のちに、テレビまででて、カリブの本場で9回を完投する!なんて、おまけがやってきたのだったけど…。)
リストの続き。もっとも、ひたすら可能性のあるものを、思いつく限り書き出していたのだ。受験の、受験生の、しかも、自宅浪人で、身分証ひとつない時期の、なんともやるせない、苦肉の希望策のひとつだったのかもしれない。ほかに、何があったろう。本が好きだから、古本屋さんとか、本屋さんとか…。それから、きっと夏休みには、自転車駆って、北海道か四国を一周しようって思ってたから、そのメンテナンスも覚えたいし、自転車屋さんで勤めたいなぁ~、とか。あとは…。推理小説に目がないのと、そういう海外ドラマの観すぎもあって、探偵事務所とか、法律事務所とか…、も、考えてたような…。ほとんど、冷やかしのような興味本位。ちょっと、覗いてみたい、というような…。学生だから、許される…、(とおもった)甘えもあったんだろうな。そして、可能性として思うだけなら自由だも~ん。といった、気楽さも。ほかには、浪人中に新たに候補に上がって、さいごの受験で土壇場まで迷った、獣医さん。たぶん、(学生寮で)住んでた町の環境もあったけど(わりと
高級住宅地…)、結局、最初にとった行動は、まず野球部に振られて、しばらく傷心して、中
学時代にやってた種目のサークルのほうを少し冷やかして、それから、町中の獣医さんに全部電話して、たまたま、大学と寮の中間にある病院で、アルバイト始めたのだった。そして、件のサークルの先輩に、「卒業までに貯金して車買うのもいいけど、行きたい時に好きなところにドライブできるのは、むしろ学生の間じゃないか?」そのひと言にひどく納得して、がむしゃら働いた。獣医さんのバイトと…。獣医さんの患者さん!?家族に、うまい具合に家庭教師先が次々見つかって…。おまけに、獣医さんがずっと馴染みだった車やさんに、いい中古車見つけてもらって…。最初の、野球部どこいった?、だけど、予想のつかない展開を、なんというか、愉しんで…いました。いや、愉しんでたんだって、…おもえてきました。いま、こうして書いていて…。(ちなみに、みんな今でも年賀状をやり取りしている。獣医さんも、車やさんも、そして家庭教のご両親も…)。
そうだ。その家庭教師さきの(いつかの、くれよんしんちゃんくれた男の子だ)坊やが、突然ゴルフを習いたい!と言い出して、せまいビルの中のレッスンプロに習うのだが、…、でも、ひとりでいくのもあれだから、先生も習おうよ~って、なって。学生にはとても、高いレッスン料だったけど、まぁいいか、おもしろそうだし~って、わたしも、おもって、わたしは、結局、確かほんの数ヶ月だったが…、習ったのが始まりだったのだ。そうか。なにがどこでどうころぶかなんて(ころんじゃ、いけませんが。これはことばのあやです)、だれにもわからんということでしょうか。いくつもの、であいや、きっかけや、ながれがいっぱいいっぱいあって、今に至る。きっと、だれでもそうでしょう。そのときは、それと気づかずとも、あるとき右の道を曲がったか、あるいは左にいったかで…、そのあとの偶然が、違っていたかもしれないわけで…。たぶん、そのとき、ゴルフを習っていなかったら、いつか、始めていたかもしれないが、もっとずっと後だったろうし、(学生の時に触れてなか
ったら、大人になってはじめるのもずっとずっと後だったろうとおもう)さすれば、また、違った道のりだったやもしれないわけです。たとえばもし、野球部にあっさり入れてもらえていたら、海外ロケのその野球遠征もなかったわけで、放送という分野に触れるのも、ずっとずっと後かもしれないし、飛行機だって、そのロケで初めて乗ったくらいだから~。海外に出るのも、きっともっとずっと後で…。旅なれたクルーと最初の海外を観る、という、稀有な経験と、そこからくる視点(視野)の変化も、もっとずっと後かもしれない。そして、あの震災がなかったら、そのあとのアルバイトもなかったわけで…、実際に入れてもらえた会社も受験しなかったかもしれない。
わたしより、ひと足早く、地元の大学にストレートで進んだ友達は、夏休みになると、日本中のユースホステルに出かけていって、そこでスタッフとして働きながら、ずっと行きたかったドラマなどの舞台となった地を、順番に訪ねていた。ラベンダー畑に、赤い鳥居の海の神社に、それから…、こんど被災した三景のひとつに…。それらのさきざきから、送ってくれた絵葉書が浮かんできた。彼女は、わたしが行きたかった大学志望だったが、後期では受からず、下に兄弟姉妹が多かったのもあって、浪人はせずに、地元に進んだ。高校での授業中、彼女が志望していた職業を、それを最初訊いたとき、「へぇ~、そんなのもあるんだ~」って、おもったわたしが、結局、気が付くと、それになっていたのだった。彼女から、そんな仕事のあることを訊いていなかったら、果たして、大学入学直後、全部の会社に電話して、アルバイトの有無を訊いたりはしなかったろうな。まぁ、書きたい、っていう、漠然とした感じは、気が付くと、子どもの頃からあった気はするけれど…。なにをどう書きた
いのかなんて、実際、面接で聞かれて、あわわと、しどろもどろだったもんなぁ~。かように、みてみると、われながら、なんとまぁ、流動的というか、いきあたりばったりというか、まるで紙芝居みたいに、めくってみないとわかんない…展開。ですねぇ。みんな、たぶん、そうなのだろう。そして、いまだから気づくのは(もちろん、第一志望に行かれたことは、大学にしろ、就職にしろ、とても感謝しているが)、たくさんあって。たとえば、大学。いまなら、お城があるとか、古都があるとか、つまり、町歩きができる(=愉しい)街にある大学を選ぶだろう。住宅地や、郊外にある大学は、研究室にこもるのには最適かもしれないが、わたしのような出不精だと、ますます、街(のなりたちを観る)の素晴らしさに気が付くのが随分と遅れる。ちなみに、件の友達は、国内ばかりを廻る理由に、海外は働いてからでも行けるが、国内を細かく歩いて廻れるのは学生の時が最適だから~、と、言っていた。そして、いまのわたしなら、間違いなく、哲学や愛(についての文学)が学べる文学
部に、迷わず行っていただろう。(ちなみに、文学部だった、寮の友人は、わたしが選んだ学部を代表する省庁に勤めている。ほんに、可笑しく、ふしぎだ。)
(つづく)
クテル光線。テレビでみていた選手が間近にいて、そして何より、大好きな野球が、ゲームの息遣いが、すぐそばで観られるのだ。こんないいこと、ほかにあるだろうか。っと、思ってたのに、なぁ~。なぜか、県境の川を越えて、バイトに出かけるという発想を失っていた…。大学に入った途端に…。もっとも、そのまえに、硬式野球部に入ってやろう!って(高校時からずっと)おもってて、何度も何度も主将たちと話をしたが、結局、受け入れてもらえず…。(まぁ、そのおかげで、のちに、テレビまででて、カリブの本場で9回を完投する!なんて、おまけがやってきたのだったけど…。)
リストの続き。もっとも、ひたすら可能性のあるものを、思いつく限り書き出していたのだ。受験の、受験生の、しかも、自宅浪人で、身分証ひとつない時期の、なんともやるせない、苦肉の希望策のひとつだったのかもしれない。ほかに、何があったろう。本が好きだから、古本屋さんとか、本屋さんとか…。それから、きっと夏休みには、自転車駆って、北海道か四国を一周しようって思ってたから、そのメンテナンスも覚えたいし、自転車屋さんで勤めたいなぁ~、とか。あとは…。推理小説に目がないのと、そういう海外ドラマの観すぎもあって、探偵事務所とか、法律事務所とか…、も、考えてたような…。ほとんど、冷やかしのような興味本位。ちょっと、覗いてみたい、というような…。学生だから、許される…、(とおもった)甘えもあったんだろうな。そして、可能性として思うだけなら自由だも~ん。といった、気楽さも。ほかには、浪人中に新たに候補に上がって、さいごの受験で土壇場まで迷った、獣医さん。たぶん、(学生寮で)住んでた町の環境もあったけど(わりと
高級住宅地…)、結局、最初にとった行動は、まず野球部に振られて、しばらく傷心して、中
学時代にやってた種目のサークルのほうを少し冷やかして、それから、町中の獣医さんに全部電話して、たまたま、大学と寮の中間にある病院で、アルバイト始めたのだった。そして、件のサークルの先輩に、「卒業までに貯金して車買うのもいいけど、行きたい時に好きなところにドライブできるのは、むしろ学生の間じゃないか?」そのひと言にひどく納得して、がむしゃら働いた。獣医さんのバイトと…。獣医さんの患者さん!?家族に、うまい具合に家庭教師先が次々見つかって…。おまけに、獣医さんがずっと馴染みだった車やさんに、いい中古車見つけてもらって…。最初の、野球部どこいった?、だけど、予想のつかない展開を、なんというか、愉しんで…いました。いや、愉しんでたんだって、…おもえてきました。いま、こうして書いていて…。(ちなみに、みんな今でも年賀状をやり取りしている。獣医さんも、車やさんも、そして家庭教のご両親も…)。
そうだ。その家庭教師さきの(いつかの、くれよんしんちゃんくれた男の子だ)坊やが、突然ゴルフを習いたい!と言い出して、せまいビルの中のレッスンプロに習うのだが、…、でも、ひとりでいくのもあれだから、先生も習おうよ~って、なって。学生にはとても、高いレッスン料だったけど、まぁいいか、おもしろそうだし~って、わたしも、おもって、わたしは、結局、確かほんの数ヶ月だったが…、習ったのが始まりだったのだ。そうか。なにがどこでどうころぶかなんて(ころんじゃ、いけませんが。これはことばのあやです)、だれにもわからんということでしょうか。いくつもの、であいや、きっかけや、ながれがいっぱいいっぱいあって、今に至る。きっと、だれでもそうでしょう。そのときは、それと気づかずとも、あるとき右の道を曲がったか、あるいは左にいったかで…、そのあとの偶然が、違っていたかもしれないわけで…。たぶん、そのとき、ゴルフを習っていなかったら、いつか、始めていたかもしれないが、もっとずっと後だったろうし、(学生の時に触れてなか
ったら、大人になってはじめるのもずっとずっと後だったろうとおもう)さすれば、また、違った道のりだったやもしれないわけです。たとえばもし、野球部にあっさり入れてもらえていたら、海外ロケのその野球遠征もなかったわけで、放送という分野に触れるのも、ずっとずっと後かもしれないし、飛行機だって、そのロケで初めて乗ったくらいだから~。海外に出るのも、きっともっとずっと後で…。旅なれたクルーと最初の海外を観る、という、稀有な経験と、そこからくる視点(視野)の変化も、もっとずっと後かもしれない。そして、あの震災がなかったら、そのあとのアルバイトもなかったわけで…、実際に入れてもらえた会社も受験しなかったかもしれない。
わたしより、ひと足早く、地元の大学にストレートで進んだ友達は、夏休みになると、日本中のユースホステルに出かけていって、そこでスタッフとして働きながら、ずっと行きたかったドラマなどの舞台となった地を、順番に訪ねていた。ラベンダー畑に、赤い鳥居の海の神社に、それから…、こんど被災した三景のひとつに…。それらのさきざきから、送ってくれた絵葉書が浮かんできた。彼女は、わたしが行きたかった大学志望だったが、後期では受からず、下に兄弟姉妹が多かったのもあって、浪人はせずに、地元に進んだ。高校での授業中、彼女が志望していた職業を、それを最初訊いたとき、「へぇ~、そんなのもあるんだ~」って、おもったわたしが、結局、気が付くと、それになっていたのだった。彼女から、そんな仕事のあることを訊いていなかったら、果たして、大学入学直後、全部の会社に電話して、アルバイトの有無を訊いたりはしなかったろうな。まぁ、書きたい、っていう、漠然とした感じは、気が付くと、子どもの頃からあった気はするけれど…。なにをどう書きた
いのかなんて、実際、面接で聞かれて、あわわと、しどろもどろだったもんなぁ~。かように、みてみると、われながら、なんとまぁ、流動的というか、いきあたりばったりというか、まるで紙芝居みたいに、めくってみないとわかんない…展開。ですねぇ。みんな、たぶん、そうなのだろう。そして、いまだから気づくのは(もちろん、第一志望に行かれたことは、大学にしろ、就職にしろ、とても感謝しているが)、たくさんあって。たとえば、大学。いまなら、お城があるとか、古都があるとか、つまり、町歩きができる(=愉しい)街にある大学を選ぶだろう。住宅地や、郊外にある大学は、研究室にこもるのには最適かもしれないが、わたしのような出不精だと、ますます、街(のなりたちを観る)の素晴らしさに気が付くのが随分と遅れる。ちなみに、件の友達は、国内ばかりを廻る理由に、海外は働いてからでも行けるが、国内を細かく歩いて廻れるのは学生の時が最適だから~、と、言っていた。そして、いまのわたしなら、間違いなく、哲学や愛(についての文学)が学べる文学
部に、迷わず行っていただろう。(ちなみに、文学部だった、寮の友人は、わたしが選んだ学部を代表する省庁に勤めている。ほんに、可笑しく、ふしぎだ。)
(つづく)