ああ、やってらんねぇ。そんな気分になるときがある。まぁ、よくあること、といえば、言えなくもない。こんな、外界との限られた(没)交流のような暮らしの中にあると、些細なことで、こころがくじけたり、いじけたりする。ふ~。まぁ、想定内、なのだろう。たいていは、ひがいもうそうだったり、こころのなかのストレスのはけ口が、外でであう無礼ななにものかの(態度などに怒りで)向うことで、こころのなかの未消化分を、なんとか砕いていたりするのだろう。なかなか、穏やか、というやつを、同じ程度で維持する、というのは、難しい。だから、みんな、お酒飲んだりして発散するの?。ともあれ。こういう、いささか、他者との接触に乏しい暮らしをしていると、ひとたび、わけのわからぬ、不安というか、不穏というか、まぁ~その~、こころが晴れ晴れしてくれない状況におちいると、自然快復には、いささか、より時間がかかる。まぁ、これも、そういうもの、と、わりきって、不機嫌を不機嫌なりに、たのしむというか、そういう状態の自分を見つめるというか、つ
まりは、自虐的な気分を味わうだけのゆとりを、わずかでも、こころの片隅にもっていられらたなら、たぶん、まぁ、これもまた人生の味わい?なのかもしれませぬ。ふ~。と、書いて…、がんばって、きどってこうして書きながら、なんとか、こころのもやもやを消化できたりしないかなぁ~、と、試してみている次第なのだ…。
星座のなんとか占いによると、今月初旬からは、天空の火星だか木星だか、土星だかが、どこやらになんとかなんとかするので、この一年は、穏やかに暮らせるのだという。しかも、ひさびさに、土星の締め付けのない時期で~、うんぬん…、とか。過去のそういう流れの潮目の時期をみてみると、確かに、なにがしかの転機のような出来事があったりするものだから、よ~し、これからいちねんは少なくともハッピィ!になるのね!、と、張り切ってみたって仕方ない。こういうものは、なんでもあとから、振り返るとそういえば、そうだ、穏やかだったわねぇ~、と、感じられるものであるからして、最初からてぐすねひいて~、どこ?どこ?しあわせどこ?、なあんて、どんよくまるだして構えちゃっちゃ、来たるハッピイだって逃げ出すってものなのだ。ともあれ、こういうものに、あまり(余計な)意図や恣意を交えちゃあ、いけんのでしょう。(そうはいっても、そこはそれ。こちとら、わらをもすがるおもいで、なんでもいいから、いいってものがあれば、それでなんとか生きて
いけるぅ~って、おもいたいんだな。)ふ~。どちらにしても、占いに、なに?なに~?って、なるってときは、まさに、迷いだらけ、余計な邪心だらけって、ことなんでしょうね。ほんとに、充実しているとき、なにかに没頭できているときは、そんなこと、気にもならないものですから。なんでしょうね。暇をいいことに、図書館で借りた、なんとか占星術みたいなのを、斜め読みしてたら、とても、斜め~では理解不能で、生半可な興味だけで読めば読むほど、余計にこころが重くなっていった…。まぁ、そんなものに救いをもとめちゃいかん、ということなのでしょうかねぇ。(素人が簡単に理解しようとしちゃいかんのでしょね。天空の神秘を…)。
ともあれ、小康状態。これからの季節、冷蔵庫もんだいをどうするか。一週間で小箱が空になってしまう、マーガリンをどうするか。そんな、つまらぬレベルの問題を除けば、ひとまず、小康状態。特段の、苦労も、悲鳴も、葛藤も。少なくとも、日々の暮らしの中には、さしてそれほど登場しない状態。週に何度かは、解放される時間もあり、本人も、それなりにエネルギーを発散できている模様。夜は、よく眠ってくれるし。強いていえば、わたしが、自分が自分の時間を確保するために宵っ張りになってしまい…、したがって、ほいくえんに行ってもらう日は、かえって、寝不足のわたしの時差ぼけがつらい…、というジレンマを除けば。以前に比すれば、格段に温暖、温和。ときどき、怒鳴るのだって、ほとんど、OBのフォァ~を叫んでるのと同じテンションに近いし。こころはさしてねじれないし。なのに、どしてでしょうねぇ。こういう風に穏やかに、なったらなったで、なんだかなぁ~、と、つまりは、余裕があるばっかりに、つまらぬ空虚感におそわれる。だから、こういうとき
しかできない、本読みとか、まぁ、これまでたまった資料整理とか…、そういうのをすればいいのです。はい、そうですね。って、できれば、これまた、いいのですけどねぇ。ひとは、やはり、忙しいときでないと、いい仕事はできぬようになっているのですかねぇ。村のゴルフ大会にいっちょ、でてみようかしらん。なあんて、つまらぬ発想はやってくるのだけれど…。なんだかなぁ。こんなやる気のない気分で臨んでは、ゴルフに失礼だしなぁ~。(するなら、もっとちゃんとした気持ちで臨みたいし。)
やくばのおばちゃんは、なんでも、自宅でがんばってる同じ立場のひとどおしの集まりがあるから、どうか…、と、言ってくださる。正直、いやだ。そんな、ひがいしゃのかい、みたいなのは、ごめんだ。それに、そんなのに、はいはいって、いくひとはどうせ、おりこうさんのゆうとうせいきどりにきまってる!(なあんて、へんけんだらけで構えてしまうことじたい、わたしのこころが病んでいるのだ!とは、わかるけど)。まぁ、せっかくの親切、好意か?それとも、単なる、興味か。わからぬが、いずれにしても、こういう、きわめて私的な空間のことを、公の場で話し合って慰めあう!ということに、なんともいいようのない、違和感を感じる。違和感。これは、大事だ。ただの、直感かもしれぬが、まさかのときの咄嗟の判断を生んで、ときにいのちを救ってくれるのもこの直感だからだ。どこから、どう来るかと問われても、説明困難だが、確かにそういう事態に遭遇したとき、これは違う!とか、これでいい!とか、と、思える直感がたしかに訪れるのだ。これはメスだけに起こる
ことなのかなぁ?ともあれ。話が逸れちゃったけど。難しいですねぇ。ひとには、いろいろあって、相手は誰でもいいから、話をすることさえできれば、和めるひとと、誰にでも簡単にこころが許せるわけでなく、そうでない相手とは、話すこと自体がストレスになるひとまで、さまざなまなのだ。そこらへんを分かってもらうのは、なかなかむずかしい。あるひとに効果のある慰めが、すべてのひとに同じように効くわけじゃない。そこで、みんながこうだから、こうすべし!なんて、やられると、余計にしんどいだけ。というケースだってある。こういう、どうでもいい処世術?を、どうでもいいテンションでさらりとこなす!というのが、どうにも苦手だ。苦手がいいわけないのだろうけれども、納豆はなんと言われようと食べられぬ!というのと、同じレベルで?嫌なものは嫌。なんだな。だけど、嫌ばかりじゃいけないのかなぁ~、なんて、あらぬ向上心を持ち出して、無理に無理を重ね、余計にストレス溜め込むのも、わたしの悪い癖。あああ。ほんまに、本心かくして、てきと~に、
だれとでも社交できたら、楽だろなぁ~。(もっとも、こころのどこかでは、そんな人間にだけはなるまい!と、思っているふしもあるから、よけいにややこしいのだが…。)
さあて。この、老眼泣かせ(と、かなりのご批評多数!なのですが。すみません。)の、ダラダラ長文を、費やしてみましたが、どうにも、こうにも、この5倍は書かないと、このたびのストレスは、出し切らないみたいで…。なんともはや。われながら。この、打たれ弱いこころに、困惑しきり…。あああ、こういうときは、海に向って叫ばばいいのかぁ?いやいや、いちばんいいのは、簡単に、あ~すればいい、とか、こうすればいい~なんて、いうのに、いちいち、惑わされないで、不調なら、不調。それで何が悪い!ってくらいの、心意気で、自分のペースを貫いて、不器用なりに、なんとか、復調の兆しを苦労して見つけていくことなのでしょうかねぇ。特効薬なんて、どこにもないわけで。そういのに、すがろうとする甘えがいかんのかもしれませんねぇ。でも、やっぱり、一週間でもいいから、このぐちゃぐちゃな住居空間から、抜け出して南の島でも行ってみたいような~。あああ。いけませんねぇ。逃げても、決して、こころからののんびりなんてできるわけないのに。あああ。
お酒が飲めるひとって、こういううだうだを、アルコールさんが、一気に消散させてくれるのかなぁ?だとすると、飲めないってのは、つらいのですかねぇ。やっぱり、がんばって、(お蔵入りしている)クラブ、振り回してみるかなぁ~。ところで、カタルシスってなんでしたっけ?このごろ、よく出会うので。中学から使ってる国語辞書、覗いてみたら…。ちゃあんと、エンピツで幾重にも線が引いてあった!。あらら。むかしの、わたしのほうが、ずうっと、賢かったみたい…。こうやって、うだうだ書き連ねるのも、一種の、語る識す(カタルシス!)?なのかしらん。え?これじゃ、むしろ語る死す?。う~ん、確かに。…。
まりは、自虐的な気分を味わうだけのゆとりを、わずかでも、こころの片隅にもっていられらたなら、たぶん、まぁ、これもまた人生の味わい?なのかもしれませぬ。ふ~。と、書いて…、がんばって、きどってこうして書きながら、なんとか、こころのもやもやを消化できたりしないかなぁ~、と、試してみている次第なのだ…。
星座のなんとか占いによると、今月初旬からは、天空の火星だか木星だか、土星だかが、どこやらになんとかなんとかするので、この一年は、穏やかに暮らせるのだという。しかも、ひさびさに、土星の締め付けのない時期で~、うんぬん…、とか。過去のそういう流れの潮目の時期をみてみると、確かに、なにがしかの転機のような出来事があったりするものだから、よ~し、これからいちねんは少なくともハッピィ!になるのね!、と、張り切ってみたって仕方ない。こういうものは、なんでもあとから、振り返るとそういえば、そうだ、穏やかだったわねぇ~、と、感じられるものであるからして、最初からてぐすねひいて~、どこ?どこ?しあわせどこ?、なあんて、どんよくまるだして構えちゃっちゃ、来たるハッピイだって逃げ出すってものなのだ。ともあれ、こういうものに、あまり(余計な)意図や恣意を交えちゃあ、いけんのでしょう。(そうはいっても、そこはそれ。こちとら、わらをもすがるおもいで、なんでもいいから、いいってものがあれば、それでなんとか生きて
いけるぅ~って、おもいたいんだな。)ふ~。どちらにしても、占いに、なに?なに~?って、なるってときは、まさに、迷いだらけ、余計な邪心だらけって、ことなんでしょうね。ほんとに、充実しているとき、なにかに没頭できているときは、そんなこと、気にもならないものですから。なんでしょうね。暇をいいことに、図書館で借りた、なんとか占星術みたいなのを、斜め読みしてたら、とても、斜め~では理解不能で、生半可な興味だけで読めば読むほど、余計にこころが重くなっていった…。まぁ、そんなものに救いをもとめちゃいかん、ということなのでしょうかねぇ。(素人が簡単に理解しようとしちゃいかんのでしょね。天空の神秘を…)。
ともあれ、小康状態。これからの季節、冷蔵庫もんだいをどうするか。一週間で小箱が空になってしまう、マーガリンをどうするか。そんな、つまらぬレベルの問題を除けば、ひとまず、小康状態。特段の、苦労も、悲鳴も、葛藤も。少なくとも、日々の暮らしの中には、さしてそれほど登場しない状態。週に何度かは、解放される時間もあり、本人も、それなりにエネルギーを発散できている模様。夜は、よく眠ってくれるし。強いていえば、わたしが、自分が自分の時間を確保するために宵っ張りになってしまい…、したがって、ほいくえんに行ってもらう日は、かえって、寝不足のわたしの時差ぼけがつらい…、というジレンマを除けば。以前に比すれば、格段に温暖、温和。ときどき、怒鳴るのだって、ほとんど、OBのフォァ~を叫んでるのと同じテンションに近いし。こころはさしてねじれないし。なのに、どしてでしょうねぇ。こういう風に穏やかに、なったらなったで、なんだかなぁ~、と、つまりは、余裕があるばっかりに、つまらぬ空虚感におそわれる。だから、こういうとき
しかできない、本読みとか、まぁ、これまでたまった資料整理とか…、そういうのをすればいいのです。はい、そうですね。って、できれば、これまた、いいのですけどねぇ。ひとは、やはり、忙しいときでないと、いい仕事はできぬようになっているのですかねぇ。村のゴルフ大会にいっちょ、でてみようかしらん。なあんて、つまらぬ発想はやってくるのだけれど…。なんだかなぁ。こんなやる気のない気分で臨んでは、ゴルフに失礼だしなぁ~。(するなら、もっとちゃんとした気持ちで臨みたいし。)
やくばのおばちゃんは、なんでも、自宅でがんばってる同じ立場のひとどおしの集まりがあるから、どうか…、と、言ってくださる。正直、いやだ。そんな、ひがいしゃのかい、みたいなのは、ごめんだ。それに、そんなのに、はいはいって、いくひとはどうせ、おりこうさんのゆうとうせいきどりにきまってる!(なあんて、へんけんだらけで構えてしまうことじたい、わたしのこころが病んでいるのだ!とは、わかるけど)。まぁ、せっかくの親切、好意か?それとも、単なる、興味か。わからぬが、いずれにしても、こういう、きわめて私的な空間のことを、公の場で話し合って慰めあう!ということに、なんともいいようのない、違和感を感じる。違和感。これは、大事だ。ただの、直感かもしれぬが、まさかのときの咄嗟の判断を生んで、ときにいのちを救ってくれるのもこの直感だからだ。どこから、どう来るかと問われても、説明困難だが、確かにそういう事態に遭遇したとき、これは違う!とか、これでいい!とか、と、思える直感がたしかに訪れるのだ。これはメスだけに起こる
ことなのかなぁ?ともあれ。話が逸れちゃったけど。難しいですねぇ。ひとには、いろいろあって、相手は誰でもいいから、話をすることさえできれば、和めるひとと、誰にでも簡単にこころが許せるわけでなく、そうでない相手とは、話すこと自体がストレスになるひとまで、さまざなまなのだ。そこらへんを分かってもらうのは、なかなかむずかしい。あるひとに効果のある慰めが、すべてのひとに同じように効くわけじゃない。そこで、みんながこうだから、こうすべし!なんて、やられると、余計にしんどいだけ。というケースだってある。こういう、どうでもいい処世術?を、どうでもいいテンションでさらりとこなす!というのが、どうにも苦手だ。苦手がいいわけないのだろうけれども、納豆はなんと言われようと食べられぬ!というのと、同じレベルで?嫌なものは嫌。なんだな。だけど、嫌ばかりじゃいけないのかなぁ~、なんて、あらぬ向上心を持ち出して、無理に無理を重ね、余計にストレス溜め込むのも、わたしの悪い癖。あああ。ほんまに、本心かくして、てきと~に、
だれとでも社交できたら、楽だろなぁ~。(もっとも、こころのどこかでは、そんな人間にだけはなるまい!と、思っているふしもあるから、よけいにややこしいのだが…。)
さあて。この、老眼泣かせ(と、かなりのご批評多数!なのですが。すみません。)の、ダラダラ長文を、費やしてみましたが、どうにも、こうにも、この5倍は書かないと、このたびのストレスは、出し切らないみたいで…。なんともはや。われながら。この、打たれ弱いこころに、困惑しきり…。あああ、こういうときは、海に向って叫ばばいいのかぁ?いやいや、いちばんいいのは、簡単に、あ~すればいい、とか、こうすればいい~なんて、いうのに、いちいち、惑わされないで、不調なら、不調。それで何が悪い!ってくらいの、心意気で、自分のペースを貫いて、不器用なりに、なんとか、復調の兆しを苦労して見つけていくことなのでしょうかねぇ。特効薬なんて、どこにもないわけで。そういのに、すがろうとする甘えがいかんのかもしれませんねぇ。でも、やっぱり、一週間でもいいから、このぐちゃぐちゃな住居空間から、抜け出して南の島でも行ってみたいような~。あああ。いけませんねぇ。逃げても、決して、こころからののんびりなんてできるわけないのに。あああ。
お酒が飲めるひとって、こういううだうだを、アルコールさんが、一気に消散させてくれるのかなぁ?だとすると、飲めないってのは、つらいのですかねぇ。やっぱり、がんばって、(お蔵入りしている)クラブ、振り回してみるかなぁ~。ところで、カタルシスってなんでしたっけ?このごろ、よく出会うので。中学から使ってる国語辞書、覗いてみたら…。ちゃあんと、エンピツで幾重にも線が引いてあった!。あらら。むかしの、わたしのほうが、ずうっと、賢かったみたい…。こうやって、うだうだ書き連ねるのも、一種の、語る識す(カタルシス!)?なのかしらん。え?これじゃ、むしろ語る死す?。う~ん、確かに。…。