それはそうと、旅のあいだ、わたしが電話をするたび、一気に落ち着きをなくして…。そして、わかるんですかね、あいてが男か女か。たんなる、宿泊先への到着時間報告だったりしても…。あるいは、もちろん、お目にかかる約束をしていた方と、連絡のおしゃべりをしているだけなのに、いきなり、耳にあてているけいたいを張り飛ばすのですから…。腹が立つやら、可笑しいやら、あっけにとられるやらで…。まるで、嫉妬深いスピッツかなにかと同乗しているみたいでした。まぁ、それだけ、不安を抱えているというか、ひとりになってしまうかもしれないことへの畏怖を抱えきれないほどいだいていたのかもしれません。そのときは。もっとも、いえにいても、わたしが受話器をとると、いささかナーバスになりますから、息遣いの間近な車内ではいたしかたないのかもしれませんが。「だれ?だれと話したん?」そればかり。そういえば、お医者さんを訪ねたあとも、必ずといっていいほど、「せんせい、なんて(言ってた)?」と訊きますから、彼女なりに気になるようです。もっと
も、質問するということと、答えを受け止めるだけの用意があるということとは、別のようですが。ともあれ、訊きたいと思えるということは、ひととの交流への期待が、充分にあるということだと、まぁ、家族なりの勝手な前向きな解釈をすることにしていますが。

さて、島をあとにしたのでした。それにしても、帰りの船に乗った途端の、旅愁というか、故郷への想いのあふれを垣間見ると、こちらもいささか、フクザツなような…、気がしました。今から帰れると錯覚したのか、それとも、ちゃんとわかっていたのに、わざととぼけていたのも多少あるのか、大急ぎでの滞在が、いささか気懸かりになったような、いや、むしろあれでよかったと思えるような…。ともあれ、帰りの船に乗ったとたんに、それまで行きの船を待つ間から続いてた、イライラのような、情緒不安のような、どこかドキドキしているような、そんな感じがすうっと、抜けていくのがわかりました。やっぱり、お墓に行けたことで、変わる何かがあるのでしょうか。こころのなかで…。船を下りて、わき目も振らずに車に戻り、出発しました。いいお天気です。朝来た道とは違うほうへ、北上します。そういえば、はじめてしゅざいというものにひとりで行かされて、はじめてかいたものが形になった、そのばしょが、この通り沿いにあったっけ。昔のことですが。桜で有名な郊外の
公園のある国道を行こうと、直前までしていたのですが、信号待ちの数分で、「やっぱり…」と、右折レーンに進路変更しました。トンネルと内海を渡る大きな橋のある方にしました。こちらは、バイクで転んだところがあったかな。それはいいとして。橋の上からみえる海と島の景色はとても、綺麗でした。

広い産業道路を北上し、かつて愛車を買ったお店が(当時は)あった辺りも通過し、幹線道路も横切って、ひたすら北へ向かいます。運転しながら、彼女が車を降りずに桜を楽しめるところ…、そう考えてたどった経路でした。結局、上手い具合に、大きな庭園やお城も眺められる、川沿いにたどりつきました。ちょうど、桜は見ごろ。週末に好天、というのも手伝って、驚くほどの人出でした。庭園からひとつ下ったところにある橋の左岸で、桜並木に沿って北上。ちょうど、渋滞の列についていい感じで、のんびりできます。土手には色とりどりの、出店と、お花見のシート。のろのろ運転のなかで、朝、お墓のお花を買ったスーパーで調達した、新鮮なイチゴと、パンを。独特の風合いの画を描くひとの記念館近くに通じる、次の橋のたもとまで、わずか数百メートルでしたが、30分は優にかかったでしょうか。さくら見物も充分になったか、途中、なかなかさらさらと風景が流れないのに、彼女のしびれがだんだん、切れてきてしまいましたが…、ともあれ、とても、長閑で優雅なひとと
きを過ごせました(車を降りて、人ごみに入るとこうは落ち着いていられませんから、渋滞がとてもありがたかった)。桜とお城をバックに、なんどか写真を撮ってみました。彼女の、ちょっと、待ちくたびれた表情と一緒に。庭園に通じる風情ある橋のほうは、まだまだ渋滞してたので、そこでは曲がらず、国道の走る次の橋まで直進し、国道を西進。かつて、いくどとなく走り回った街の中心部へと向いました。

路面電車の走る交差点を曲がり、駅のあるほうへ。この通りも、銀行のあった場所や、両側のお店の顔ぶれなど、いくぶん変わっているようでした。駅にぶつかったところで、こんどは南進し、しばらく行ってまた西進。ここおは、南側の旧国道が渋滞しているときの、抜け道としてよく使ったものでした。最初は、タクシーがよく抜け道として使っているのに気が付いて、以来によく。くねくね、工場の脇のような細いみちも通るのですが、果たして、覚えていた通りの通りが残っていて、ちょっと嬉しかった。それに、そこにいくと、ちゃんと次の通りを覚えていたのが、自分でも嬉しいやら、ひそかに誇らしいやら…。記憶ってすごいですねぇ。(もっとも、憶えててもしかたないくらいなんどなんども通っていたからなぁ。)。精神的に多少はくるしかったときのほうが、帰って思い出や記憶は充実するものなのでしょうかねぇ。そのときは、毎日をやり過ごすのに必死だった。とにかく、どうやって少しでもさぼろうかと、からだを休めようかと、そればかりにきゅうきゅうしてた気がす
るけれど、不思議と、いちばん懐かしくていとおしい季節だった気もするのです。まぁ、わたしの感傷はこのくらいにして。そして、かつて住んでたところに近づきます。当時はまだ、計画だけだった南北を縦貫する大きな通りができていて、鉄道のそばの広いエリアの再開発が進んでいるようでした。住んでた建物はちゃんと残っていました。でも、前にあった古いパチンコ屋さんや、お好み焼き屋さんは、みんな区画整理でなくなっていました。

さらに西へ、小さな川も渡って。かつて、お世話になった先生を訪ねました。ちょうど、桜並木を横切っているころに、ひょっとして週末でもこの時間は、開いていたかなぁ~、と、時間がちょうどいいのに気が付いてのことでした。以前、わたしを訪ねてきたときに、彼女も診てもらったことのある先生です。渋滞を抜けて、車窓が流れた頃から、彼女の機嫌も随分、回復していました。そこで、彼女も診てもらうことに。受付のお姉さんの素敵な笑顔も、以前のままで、とても懐かしかった。その頃は、まだまだ生意気この上ない(はずの)ころで…、それでも、いつもここに来るたびに、みんなの笑顔や優しさにとても、癒されていました。そうそう、ずうっと、視ることのできなかったスリディーの画も、ここで治療してもらいながら眺めているうち、見えてきたんだったっけ。そういえば、当時住むところを決めるとき、当初は桜を眺めたあの川の向こう側にしようとしていた…。でも、なかに入って間取りが確認できなかったのが、どうしてもひっかかって、そのあとひとりでいくつか
廻り、その郊外のちいさなアパートにしたんだった。そこに住んでいなきゃ、たぶんその先生のところには行くこともなかったろう。縁とは、やっぱり不思議ですねぇ。さて。なかなか、ひとに心を開くのが苦手な彼女なのだけど、その先生の優しさに、とてもこころを温められたようで、それから、ずっと「あの先生のところに行こう」。そればかり、言っている。ひと月以上経ったいまでも…。とても、感動する。さて。実のところ、わたしの疲れもいささかピークで、この日ばかりは、早く宿に行って休みたかった。それで、病院を後にしてから、寄り道しないでインターへ向った(ここでも、国道がくねくねしてるところで、いったん逆行してから細いわき道へ入る…、かつてよく使った抜け道秘策が使えた!のが、ちょっと嬉しかった)。お陰ですんなり、インターへ。まだまだ、陽は高い(つづく)。