ほんとに、三日三晩寝てるんと違う?、そうおもわれそうだけれど。実のところ、なんだか、かんだか、用事ごとが続いて…。まだ、繰り越した寝不足が残っていたりする…。一気に寝て、解消したいような…、それでいて、このなんともいえない疲労感が、ちょっといとおしいような…。旅の余韻。ひょっとしたら、いいたびだったのかも知れない。きっと、記憶に残るたびになるだろう。
あまりに、エピソードが多すぎて…。いちどに書いちゃうと、もったいないような…。おなかいっぱいになってしまいそうな…。でも、忘れないうちに、醒めないうちに、ちゃんと、書き留めて、記憶の浸透に貢献したいような…。やらなければいけないことと、ほんとにやりたいことが珍しく一致したときは、少しでもその時間を長くしたくて、ついつい、ぐずぐずひっぱってしまう。あんまり、調子に乗っていると、ほんとに、忘れてしまうといけない。だから、おなかいっぱい寝たら書こう書こうと、おもいながら、まだ、余韻をひっぱっている。昼寝する亀でばかりでは、いけないのだけれど…。
ともあれ。春が来て。桜が咲いて。これでもかというくらいに、たくさんの綺麗な風景に出会って。景色に触れて…。ふと、おもった。そうだ。景色は、どこにでもあるが、それは、見る人の目があってはじめて、生まれるんだ。同じ景色を見ても、見え方、そこから感じるもの、得られるもの、は、それぞれ。ひとは、自分が見たいものを(見たいように)見、聞きたいものを(聞きたいように)聞く、というから、景色は、自然に見えるものではなくて、見る人にだけ見えるもので…。いや、もっというと、見る(意思とちからのある)ひとによって、初めて切り取られる、あるいは、作られる(つまり、色と形のあるものになる)ものなのかもしれない。と、ふとおもったのだ。
桜は綺麗だ。でも、綺麗過ぎて、少し離れたところから、あるいは、あえて動く車窓から、あ~、過ぎていく~、と、少し、いとおしい感じを残しながら、見るのがちょうどいいのかもしれない。なにか、特段の“気”(昔の人の想いとか!?)があるわけでもないとはおもうが、なにとはなしに、なんとなく、恐れ多いというか、なんというか、不思議な空気があるよな気もして…。なんて、たぶん、気取りすぎなのかもしれませぬが。ともあれ、それくらい、桜には、なんだか、不思議なちからあるような…。ほんとにふしぎ。
と、言ってる一方で、運転しながらおもってたのは、あんまり、み~んな、一緒!で、あんまり、この国のひとの傾向に、あ~んまり、似すぎていて、ちょっと、オヘソ曲がりのわたしとしては、ちょっとだけ、趣向の違う、個性があってもいいのになぁ~、なあんて、ちょっと思いながら、ハンドルを握っていたのでした。もっとも、それぞれが、てんでばらばらに、咲いたのでは、確かに、あんなに綺麗な景色にはなりませんね。だから、やっぱり、一長一短。歩調が合うというのは、やっぱり、とても、たいせつなことのひとつなのでしょう。(自分の事はたかいたかい棚にあげて)、ふと、そう思います。
暖かくなって、それまで、寒さにかたくしていた細胞のひとつひとつが、伸びをするように、深呼吸して、あらためて、想いを深め、想いを少しでも近くに感じられるように、少しでも頻繁に、少しでも多くの気持ちを込めて、根気よく、書いていこう。暖かさは、同時に、こころの素直さも引き出してくれるもののようです。
あまりに、エピソードが多すぎて…。いちどに書いちゃうと、もったいないような…。おなかいっぱいになってしまいそうな…。でも、忘れないうちに、醒めないうちに、ちゃんと、書き留めて、記憶の浸透に貢献したいような…。やらなければいけないことと、ほんとにやりたいことが珍しく一致したときは、少しでもその時間を長くしたくて、ついつい、ぐずぐずひっぱってしまう。あんまり、調子に乗っていると、ほんとに、忘れてしまうといけない。だから、おなかいっぱい寝たら書こう書こうと、おもいながら、まだ、余韻をひっぱっている。昼寝する亀でばかりでは、いけないのだけれど…。
ともあれ。春が来て。桜が咲いて。これでもかというくらいに、たくさんの綺麗な風景に出会って。景色に触れて…。ふと、おもった。そうだ。景色は、どこにでもあるが、それは、見る人の目があってはじめて、生まれるんだ。同じ景色を見ても、見え方、そこから感じるもの、得られるもの、は、それぞれ。ひとは、自分が見たいものを(見たいように)見、聞きたいものを(聞きたいように)聞く、というから、景色は、自然に見えるものではなくて、見る人にだけ見えるもので…。いや、もっというと、見る(意思とちからのある)ひとによって、初めて切り取られる、あるいは、作られる(つまり、色と形のあるものになる)ものなのかもしれない。と、ふとおもったのだ。
桜は綺麗だ。でも、綺麗過ぎて、少し離れたところから、あるいは、あえて動く車窓から、あ~、過ぎていく~、と、少し、いとおしい感じを残しながら、見るのがちょうどいいのかもしれない。なにか、特段の“気”(昔の人の想いとか!?)があるわけでもないとはおもうが、なにとはなしに、なんとなく、恐れ多いというか、なんというか、不思議な空気があるよな気もして…。なんて、たぶん、気取りすぎなのかもしれませぬが。ともあれ、それくらい、桜には、なんだか、不思議なちからあるような…。ほんとにふしぎ。
と、言ってる一方で、運転しながらおもってたのは、あんまり、み~んな、一緒!で、あんまり、この国のひとの傾向に、あ~んまり、似すぎていて、ちょっと、オヘソ曲がりのわたしとしては、ちょっとだけ、趣向の違う、個性があってもいいのになぁ~、なあんて、ちょっと思いながら、ハンドルを握っていたのでした。もっとも、それぞれが、てんでばらばらに、咲いたのでは、確かに、あんなに綺麗な景色にはなりませんね。だから、やっぱり、一長一短。歩調が合うというのは、やっぱり、とても、たいせつなことのひとつなのでしょう。(自分の事はたかいたかい棚にあげて)、ふと、そう思います。
暖かくなって、それまで、寒さにかたくしていた細胞のひとつひとつが、伸びをするように、深呼吸して、あらためて、想いを深め、想いを少しでも近くに感じられるように、少しでも頻繁に、少しでも多くの気持ちを込めて、根気よく、書いていこう。暖かさは、同時に、こころの素直さも引き出してくれるもののようです。