ちゃんと書きます。(というと、なんだか、今からナイスショットをしますから…、といって、アドレスに入るみたいで、ちょっと、なんというか、そんなうまいことできるわけないじゃん、すみません、という気になってしまいますが…。ともあれ)

粉雪が舞っています。とても、あと数日でお彼岸がくるとは、思えぬほどの寒気です。なにかをしていても、ときどき、思い返しています。あの揺れ始めた瞬間のことを。その直前までは、なにひとつ変わらない日常が、みんなにひろがっていたんだなぁ~、と。おもっても仕方のないこととはいえ、つい、考えてしまいます。

そして、どうしても、神戸のときのことがつられて思い返されます。あのとき、考えたこと、感じたこと、たぶん、あとでいろいろ物語にしてしまったことも含めて。現実は、ときに、あまりに残酷で、情け容赦がありません。目が覚める、目を醒まされる、というのでも、とても言い尽くせぬような、巨大なちからです。

こんなときに、小さなことをいっても仕方がないと、言われるかもしれませんが、それでも、暮らしというのは、目の前の小さなことの積み重ねなのでしょう。なにげない習慣や、こだわりや、癖や、あるいは、誇りや矜持や…。そんな知らず知らずのうちのいくつものこと。そして、こんなときにこそ、ふだんのことが試されたり、いざというときの、覚悟ののようなものが問われてしまう。いろいろなかたちで…。

決断という字には、夬という字と、断つという字。つまりは、なにを選ぶかというよりは、なにを切り捨てるか、その覚悟を問われたことば。そのセンス、あるいは覚悟ということについて、考えたり、おもったりすることがよくある。もし、こうなったら、ああなったら、どうするか。どうできるか。それが、たぶん、覚悟なんだろうかとおもう。とはいえ、いざ、直面したら、そんなかっこいいことばかりでは、ないのだろうけれど…。

なにがいちばん、たいへんといって、たぶん、それは、受け容れること。なにがあっても、どんなことでも、ぜ~んぶ、ひっくるめて、受け容れること。それが、いちばん、むずかしいことで、でも、それだけ、とてもたいせつで、それをいかにしてきたか、苦悩してきたかが、もしかしたら、そのひとそのひとをつくるのかもしれない。えらそ~なことは、いえないが、たぶん、それができれば、きっと、道は見つかるし、生きていける。そして、生きていることが、けっして悪いもんじゃないと思えるのだろう。たぶん…。

そんなこんなで、いろんなことを、考えたり、おもったり…。いのちについて、胸がいたんだり…。いつもどおりの、なにもなかった顔して、本をのんびり読むなんて気になかなかなれない。で、いるというのに、隣の馬鹿野郎(ひどい言葉でm--m。これでもいい歳をした区長さんをつかまえて無礼千万ですが)、が、直接わたしに、言えないものだから、ひとをつかって、わがやの老人の小さな行動のあれこれを、言ってこようとしたりしたものだから…。カッチーン。と、きたりして。まぁ、そっちがそうなら…、と、こっちも、なんとか、直接衝突を避けつつ…、と、いろいろ、面倒なことがあったりしまして(こうして、わざわざ書くのも馬鹿らしいことなのだけど…)。ほんと、いつの世にも、自分のことしか考えられない馬鹿野郎はたくさん、いるものです。

ともあれ。なにをおもっても、なにをしていても、こんな小さなことで…、文句いってたら、申し訳ないような気になってしまう(それでも、おもったり、してしまうのがかなしいさがだけど…)。さいごに、のこるのは、ハート。(mindともsoulとも、feelingとも少し違う)こころ、(気持ちはその一部、というか、そのひとつというか…)なんだろうな、とおもいます。それを、伝えること、それが、きっと、もっとも大きな支えになり、ちからになるのだろうな、とおもいます。つながっているというとこと。気にかけてもらっているということ。それが、あれば、ひとは、生きていけるのでしょう。

と、おもいます。