再び、寒さが戻ってきて、ちょっとホッとしているなんて…。我ながら、呆れる。無論、我が家の火急な懸案、冷蔵庫問題は(オゾン層~なんかより遥かに深刻ではある)、確かに大きくはあるけれど、たぶん、それのせいではないだろう。寒いなかにあるときの、限られた暖かい部屋にいるときの、不便だけど、安定した空間、その静謐感。それに、何より、懸案の主の情緒も、やっぱり寒いほうが大人しくあるのは確かな気がして(ただの気のせいなのに)、なんとか、このていどの大人しさでいてほしい、という切望感。のせいだろう。
それにしても、それを抜いても、冬が去ることに、思いがけぬ哀惜がある。あ~、次の冬はまた来年までないのだ~と。自分でも可笑しいけど。冬らしい冬をひさびさに味わったからかもしれない。そして、また、じきに夏がやってきてしまう、ちょっとたじろぎ。ちょっと気が早いが。これは、去年の夏があまりにたいへんだったせいだろう。一種のとらうま。そうでなくとも、いつしか夏より冬のほうが、情緒豊かな気がして、気に入っている。厚着をして、柔らかい布にゆったりと包まれる感覚も。寒がりのくせに。
そんなわけで、晴耕より雨読がいいと、内心雨天を歓迎してるみたいな、やや後ろめたさ。実際、あ~草とりしなきゃ、とか、広い畑をあぞばせちゃっていいのか~、などの、こころの声を聞かないで済む季節は、文字どおりの労働から、免れていられる。なんとも、小心なので…。それはまぁ、今年はもうちょいとにわしごと頑張ってみっかな~、というひそかな抱負の裏返しでもあるのだけれど。そして、そうできるくらいの、こころの、そして実際の時間的な、ゆとりがもてますように…、という切なる願いのもとに…。
こんな風に、いつまでも、冬がいい、冬でいいと、いっていると、まるでこのまま余生でもいいっか、と言っているみたいで、少しふがいない。でも、どこかで、争わずに穏やかに、ひっそり清貧でいたいな、という生来の願望が、ふとやって来るんだな。無論、あったかい春がすぐにもやってきて、それが永久に続けばいいなとは、思うけれど…。にんともかんとも。こころと理性を統一するのは、無理難題ですねぇ。(それでも春が続くといいな、だけど…)
それにしても、それを抜いても、冬が去ることに、思いがけぬ哀惜がある。あ~、次の冬はまた来年までないのだ~と。自分でも可笑しいけど。冬らしい冬をひさびさに味わったからかもしれない。そして、また、じきに夏がやってきてしまう、ちょっとたじろぎ。ちょっと気が早いが。これは、去年の夏があまりにたいへんだったせいだろう。一種のとらうま。そうでなくとも、いつしか夏より冬のほうが、情緒豊かな気がして、気に入っている。厚着をして、柔らかい布にゆったりと包まれる感覚も。寒がりのくせに。
そんなわけで、晴耕より雨読がいいと、内心雨天を歓迎してるみたいな、やや後ろめたさ。実際、あ~草とりしなきゃ、とか、広い畑をあぞばせちゃっていいのか~、などの、こころの声を聞かないで済む季節は、文字どおりの労働から、免れていられる。なんとも、小心なので…。それはまぁ、今年はもうちょいとにわしごと頑張ってみっかな~、というひそかな抱負の裏返しでもあるのだけれど。そして、そうできるくらいの、こころの、そして実際の時間的な、ゆとりがもてますように…、という切なる願いのもとに…。
こんな風に、いつまでも、冬がいい、冬でいいと、いっていると、まるでこのまま余生でもいいっか、と言っているみたいで、少しふがいない。でも、どこかで、争わずに穏やかに、ひっそり清貧でいたいな、という生来の願望が、ふとやって来るんだな。無論、あったかい春がすぐにもやってきて、それが永久に続けばいいなとは、思うけれど…。にんともかんとも。こころと理性を統一するのは、無理難題ですねぇ。(それでも春が続くといいな、だけど…)