寝溜め、食い溜めはできぬというけれど。せめてご機嫌のそれをできないものだろうか。そうおもってしまいそうになる、いちにちでした。この良すぎるほどのご機嫌を3日分くらいに振り分けられたら…。そんな日でした。無理もありません。あさいちから、お出かけし、かねてよりご要望の、いつか行って「めちゃくちゃ美味しかった」という中華そばのある、繁華街にでかけたからです。もっとも、その本格中華で、近所のラーメン屋さんのそれとは、全然違ったいたという、待望のお店は、運悪く定休日でしたが。やむなく、同じビルのフレンチにしました。それでも、クーラーのよくきいたところを、歩き、食べ、お茶も飲んで、デパチカで夜のおかずと、翌朝のパンを買って…。それに、行きと帰りには、思わず息を呑むような海がパノラマにひろがる道路を見渡しながら…。機嫌の悪くなりようがありません。もちろん、これを毎日するわけにはいきませんが、それでも、わたしにとっても、貴重なオアシスでした。

おまけに。驚いたのはその帰り。余りに優等生の早い出発で、昼過ぎには用事が済んでしまったので、帰宅前に、町の図書館に行きました。涼しいとはいえ、子どももときどきうろうろする季節だし、てっきり、ものの数分で帰ると言い出すとおもったら…。果たして。90分がすぎて、さすがにトイレが心配になったわたしが、「帰りますか?」というまで、実におとなしく、地元月刊誌やら、健康誌やら、はては文芸誌まで、とりかえひきかえ、じっと、居眠りするでもなく、ソファにちゃんと座ってページを捲っているのです。家では、朝刊はほとんど折り紙でもしたのかとおもうほどくちゃくちゃにし、着替えたところから、それを忘れて次々洗濯物に放りこみ、5分おきに、「きょうは何日?」「何曜日?」と訊き、はては、「これは晩飲んで、これは朝飲む~」何十回も同じ呪文のように薬の袋を握り締めているひととは、全くの別人でした。たぶん、ときには、適度に緊張のある場所にも連れ出さないといけないのかもしれません。何より、暑さの違いが圧倒的だったのかもしれませ
んが。とりわけ、暑さの厳しいここ数日は、午後のひととき、ほんとになきそうなくらい、ひどい(心理)状態でしたから…。

外に行くと、それほどおかしく呆けている人には見えない。でも、家では、機嫌を損ねる、わめくは駄々をこねるわ、地団駄踏むわ…。こちらも、だんだん、イライラして声が高くキリキリしてくるから、相乗効果で、互いの情緒が沸騰する。この悪循環なのでしょう。まるで、先生か母親にまとわりついて、わざと甘えた要望をだす園児みたいなときもあるくらいですから。外に居るときは、遠隔操作、あるいはそうでなければ、なかに誰かはいっているんじゃない?なんて、思うほどです。要するに、文字通りの幼児がえりというのでしょうね。馬鹿みたいに洗濯をくりかえし、おまけに何度か数時間洗面所が流しっぱなしというのがあったせいでしょう。水道代をみて、眼が裏返りそうになりました。まぁ、それで、暴れないでいてくれるなら、ひとつの必要経費といえるのかもしれませんが。お気に入りのヨーグルトを冷蔵庫のドアを開けたまま、しかもその場で手で食べているのには、参ります。おまけに、食べたのを忘れてまた食べるのか、あるだけ食べたいという欲求がそうさせるの
か、一日で5つも6つも空にされては、こちらは、多少の空腹我慢しているのに、というのもあいまって、あたまも目もこころも、点になってしまいそうです。(それで、朝起きてヨーグルトがないといって、買いに行くぅ~と、寝ているところにダイブされるのですから、たまりません。よ。無論、毎日ではないですけどね。)

これらのすべてに、平静に、穏やかに、対処できたなら、仙人にもなれそな気がします。もちろん、そんなことは、ひっくりかえって逆立ちしても到底無理で、宥めすかして、叱って怒って、イカって、しまいには、怒鳴って、諦めて、放っておいて、好きにさせて、あるいは、知らん振りして…。それらを、うまく配分できたときはいいけれど、できないときのほうが大半で…。それでも、ストレス、なるべく感じないように、ええぃ、どうにでもなれぇい、とおもったり、これでいいこれでいいと褒めたり慰めたり(もちろん、心の中でです)、要するに、わたしはひょっとしたら、わたし自身のこころへの、宥めやすかしに日々、必死になっている気がしないでもなく…。なんだか、ほんとに、笑えるような、泣けるような…。ほんの数ヶ月前、あるいは一年前、わたしはどこで何をしていたかしら(もちろん、記憶はあります。念のため。)。なにかこう、どれも遠い昔のように思えて、こころが少しだけ、ゴロゴロします。それくらいに、よいもわるいもひっくるめて、環境とはなんとも
偉大ですねぇ。どんな空気に包まれているか。ひとをつくる何分の一かはきっとそれなのかもしれませんねぇ。願ったからといってすぐ簡単に変えられるものではありませんが、そこにどれだけ順応するか。あるいは流されるか。流されないか。それでも、芯(信)の部分はなくさないでいられるか。いろんなことを、考える(余裕のあった)いちにちでした。