夜になってようやく涼しい風が吹いてきました。なんとか無事にいちにちが過ぎました。いちにち前の朝などはたいへんでした。いきなり寝ているわたしのうえにダイブですから。なんでもその夜のねむりくすりがないと。しかもそれをわたしが隠していると。朝の6時ですよ。小さな子どものそれならきっとかわいいに違いありませんが、これはぞっとしません。とりわけ眠るためのくすりに関してはクレイジーなほどに正気をなくします。朝から気になって気になってしかたなくて、何度も何度もそこにあるのを確かめにいってしまいになくしてしまう。落語にもできないほどのかなしいはなしです。一時が万事この調子ですから、それにあわせて!?こちらも少しぐらいクレイジーでいないととてもやってられません。ほんになんだかなぁ、ですけど、こればかりは、考えや予定なんていっさい通じない、そのなんていうか実生!?うん?実活!?とでもいうでしょうか。まるで生き物のごう慢や残酷やそれやこれやをお芝居や役柄でもない、取り扱い注意のそのままでぶつけら
れてる感じです。疲れないといったら嘘になりますが、こうして生きているという実感をこれでもかというかたちで見せられるのは皮肉といえば皮肉です。もっとも当人は、生きていてもちっともいいことがないのだそうです。いったいなにがどうしていたらいいのでしょうかねぇ。まったく。こまったものです。ものや外観、それこそかたちあるものにばかり価値があるとおもってきたからなのでしょうが、まぁわたしが言ってわかるくらいなら、早朝ダイブと耳への絶叫はないでしょうね。こうしてみると、わかるというのはそれはそれはありがたくそうそうかんたんにできることではないのだと、わかります。と、いっているわたしのほうは、この気持ちいい夜風と、こうしている時間がとてもありがたく、こうしてじわじわっとこころをのばせる時間を感じられるってことは、たぶんなんとか生きていけるんだろうなぁ、っておもうのです。たぶん、自然に近い場所があるっていうのは、それがほんの時おりだとしても、きっととてもたいせつなのかもしれません。
ふ~。それにしてもたいへんです。やっぱり。深く先のことをいっぱい心配してたらそれこそ夜も眠れなくなりそうですから。時おり、どこかのすぱるた先生みたいにこちらも負けじと声を張り上げたりしながら、なんとかやっています。それにしてもどうしてこんなによごれるのかしらというくらいにいろんなところがたいへんで。とはいえ、そのすべてにきりきりしていては、いちにちだすきんおばさんになってしまいますから、てきぎにみないふりもたいせつです。でも、やっぱりさすがにというのは、ちゃんちゃんときれいにしないといけません。っとまぁ、それらぜんぶをひっくるめて、たいへん、ということになります。そう、こんなにも自分のことを醒めてみつめることで、なんとか元気をなくさないでいようとしている、自発的自己保養!?作用なのでしょうかねぇ。そういえば、暮れどきに、南の空に半分と少し満ちてきている月をみました。月を眺めるゆとりのあるひとであってくれたらなぁ。まぁ、繊細で情緒に細かくてもいろんなことに気がつくからいろいろ苦労は絶
えないけれど。でも、やっぱりそんなほうが、ことばというか、かたちないものをわかるっていう、かけがえのない感覚をもてるから、やっぱり世界のみえかたが幾通りにもひろがる気がするけどなぁ。うーん、何はともあれ、何にしてもたいへんですねぇ。ときどきこうしてひとごとみたいに書いていたら、うまく息抜きができそうな気がしてきました。やっぱり、負の感情ばかりに閉じ込められるのはよくありません。いつか、もう少し望みのある空気にふれられたらなぁ。。なんだか、ちんぷんかんぷんになってきました。それでもいつか、たぶん。時はそれでも流れて、しかるべくところにゆくのでしょう。天使のわけまえ。なかなかいいタイトルです。
れてる感じです。疲れないといったら嘘になりますが、こうして生きているという実感をこれでもかというかたちで見せられるのは皮肉といえば皮肉です。もっとも当人は、生きていてもちっともいいことがないのだそうです。いったいなにがどうしていたらいいのでしょうかねぇ。まったく。こまったものです。ものや外観、それこそかたちあるものにばかり価値があるとおもってきたからなのでしょうが、まぁわたしが言ってわかるくらいなら、早朝ダイブと耳への絶叫はないでしょうね。こうしてみると、わかるというのはそれはそれはありがたくそうそうかんたんにできることではないのだと、わかります。と、いっているわたしのほうは、この気持ちいい夜風と、こうしている時間がとてもありがたく、こうしてじわじわっとこころをのばせる時間を感じられるってことは、たぶんなんとか生きていけるんだろうなぁ、っておもうのです。たぶん、自然に近い場所があるっていうのは、それがほんの時おりだとしても、きっととてもたいせつなのかもしれません。
ふ~。それにしてもたいへんです。やっぱり。深く先のことをいっぱい心配してたらそれこそ夜も眠れなくなりそうですから。時おり、どこかのすぱるた先生みたいにこちらも負けじと声を張り上げたりしながら、なんとかやっています。それにしてもどうしてこんなによごれるのかしらというくらいにいろんなところがたいへんで。とはいえ、そのすべてにきりきりしていては、いちにちだすきんおばさんになってしまいますから、てきぎにみないふりもたいせつです。でも、やっぱりさすがにというのは、ちゃんちゃんときれいにしないといけません。っとまぁ、それらぜんぶをひっくるめて、たいへん、ということになります。そう、こんなにも自分のことを醒めてみつめることで、なんとか元気をなくさないでいようとしている、自発的自己保養!?作用なのでしょうかねぇ。そういえば、暮れどきに、南の空に半分と少し満ちてきている月をみました。月を眺めるゆとりのあるひとであってくれたらなぁ。まぁ、繊細で情緒に細かくてもいろんなことに気がつくからいろいろ苦労は絶
えないけれど。でも、やっぱりそんなほうが、ことばというか、かたちないものをわかるっていう、かけがえのない感覚をもてるから、やっぱり世界のみえかたが幾通りにもひろがる気がするけどなぁ。うーん、何はともあれ、何にしてもたいへんですねぇ。ときどきこうしてひとごとみたいに書いていたら、うまく息抜きができそうな気がしてきました。やっぱり、負の感情ばかりに閉じ込められるのはよくありません。いつか、もう少し望みのある空気にふれられたらなぁ。。なんだか、ちんぷんかんぷんになってきました。それでもいつか、たぶん。時はそれでも流れて、しかるべくところにゆくのでしょう。天使のわけまえ。なかなかいいタイトルです。