ありがとう。そういいたいとおもいました。ことばのちからには、驚きと敬服です。ふと目にしたことばがこころのなかでじわじわと、ぬくもりをもってとけていく瞬間があります。
列車に乗っています。どちらかというと右側にもたれるほうがしっくりくるわたしですが、この列車に乗るときだけは、途中からあらわれる海をみたいので、決まって左側の窓に座ります。ともあれ。窓のそとにやってくる景色が胸にしみます。はっとするような、新緑の農村の風景に。旅のありがたさです。
そういえば、いま読んでいる江國さんの『すきまのおともだちたち』という作品にこんなフレーズがありました。旅が素敵なのは、帰る場所と帰る手段があるからです。と。なるほどとおもいました。具体的な土地だけではなく、こころの落ち着く場所というふうにとらえると、しみじみ納得できます。心的空間のようなものも含めて。眼前を流れる車窓の風景に、こころのこりをほぐされるのを感じながら、穏やかな気持ちのありがたさをかみしめています。と、書いていたら海と観覧車が見えてきました。
こんな風に穏やかな景色を眺めながら、過ぎ行く時間にほのぼのとできるひとであったらなぁ~、とついおもってしまいます。母のことですがね。残りの時間、なるたけうまく息抜きをしながら、見守りたいな、いやそうしないとわたしのこころがたいへんだな、とおもいました。まぁ、こうして小さくてもささやかな旅があれば、なんとかなるでしょう。ひとまずきょうはこの辺で。
列車に乗っています。どちらかというと右側にもたれるほうがしっくりくるわたしですが、この列車に乗るときだけは、途中からあらわれる海をみたいので、決まって左側の窓に座ります。ともあれ。窓のそとにやってくる景色が胸にしみます。はっとするような、新緑の農村の風景に。旅のありがたさです。
そういえば、いま読んでいる江國さんの『すきまのおともだちたち』という作品にこんなフレーズがありました。旅が素敵なのは、帰る場所と帰る手段があるからです。と。なるほどとおもいました。具体的な土地だけではなく、こころの落ち着く場所というふうにとらえると、しみじみ納得できます。心的空間のようなものも含めて。眼前を流れる車窓の風景に、こころのこりをほぐされるのを感じながら、穏やかな気持ちのありがたさをかみしめています。と、書いていたら海と観覧車が見えてきました。
こんな風に穏やかな景色を眺めながら、過ぎ行く時間にほのぼのとできるひとであったらなぁ~、とついおもってしまいます。母のことですがね。残りの時間、なるたけうまく息抜きをしながら、見守りたいな、いやそうしないとわたしのこころがたいへんだな、とおもいました。まぁ、こうして小さくてもささやかな旅があれば、なんとかなるでしょう。ひとまずきょうはこの辺で。