こころを澄ませて、なんとかもう少し元気を取り戻したいのだけれど、なかなかもどかしい。しぼりだすみたいに、こうしてぎこちなくことばをさがしてしまう。というのも、あたまではわかっても気持ちが…、というよくあるのと同じらしい。目の前のひとつひとつのものごとがつらいわけでない(とおもう)のに、どうしてだか、気持ちがふさがって…。ほんと、ひとは気持ちでいきているのでしょう。もっとも、不器用でときに情緒が過ぎるわたしがいけないのかもしれませんが。ひたすら、じっと黙って耐えることのたいへんさがみにしみています。暇があると本ばかり読んでいます。それもいつもならあまり読まないような女性の機微を綴った小説ばかりを。まるで葛湯しか受けつけなくなった弱った胃袋みたいに…。そんなふうに形容したら江國さんに失礼かしら。

読んでいる間だけは、ほかのことを考えないですむから。なんて切実すぎて、情けなすぎて、ほんにやるせないけれど。でも、本にはどれほど救われていることか。もう少しなにか創意工夫をできないものかと、日々おもうけれど。なんとも気のもちようだけは、頭の司令がぴぴぴってわけにもいかなくて。

母曰く、あと一、二年なのだそうです。まぁ、ことばどおりにあ~そうですかというわけにはいきませんが、昨年からの変化の様子をみているとまんざらでもない気もして、それはそれでこころが痛みます。わがままで、振り回されるばかりで、最近は棘のことばこそ減りましたが、作法というのか去措というのか、そもそもそのひとのうちから湧き出る気というものだけはいかんともしがたく…。無論、こちらまでしを考えてしまうまでひとりきりでしょいこんでしまうのはいけないのはわかっちゃいるのですが。折りを見て、少しずつでもうまく制度を利用しなきゃと、おもってはいますが、生きる気力をなくしているひとと毎日、逃げ場もなく向き合うのは、簡単な想像をはるかにしのぐものだど、実感せずにはいられないとわかりました。わずかひとつきでこんなにこちらのこころにまで伝染するなんて…。生きてる時間にはどんなときでも、無駄なときはないとこれも頭ではわかっているのですけどねぇ。にんともかんともです。そういえば、いまはそのひとの書いたものしか読めないみ
たいになってると言いましたが、ひょっとすると、その作者のひともまた、こんなふうにひとのこころのブラックホールと向き合う日々があったのだろうか。いや、そもそも生きるってそういうことなのですかねぇ。

まだ一合目にもいってないのに、もう少しラスト一周みたいな息切れ状態じゃいけませんよねぇ。にんともかんとも。あたまではわかっちゃいるのですけどねぇ。(>_<)