それでもまたすこし声がでるようになりました。ほんとに、ゆらりゆらりという感じです。横たわると咳がいささかでます。そういえば、子ども頃はのどやおなかがよわくて、しょっちゅうどちらかをいためて、布団のなかから天井の模様を眺めていましたっけ。夜、日本酒を染み込ませたガーゼを喉元に巻いたりもしました。あれは、効果があったのだろうか。ともあれ、熱は、もうないようです。
たぶん、なにごとにも機があって、でんとかまえて根気よく相手をしないといけないときがあるのでしょう。ひとりでに、とけていくまで、あるいは、ふっとちからが抜けて納得できるまで。しかるべき、そういう時のようなものが。焦ったり、無理をすると、かえってこじれたり、あるいは仮に一時的にはうまくいっても、あとでやくさいがきたり。だから、むしろ、あらためてゆっくり時間をかけるつもりで…。いそがばなんとかです。
なにかをえるときは、なにかをてばなさないといけない。先に確保してから、てばなすつもりでも、それでは天が、神さまがゆるさないでしょう。財というものに興味のもてないわたしですが、また違った環境で育っていたらそうではなかったかもしれません。いつか、わたしはなるたけ財運をてばなすことで、すくわれるほしだと言われたことがあるけれど、たぶん、言われたからではなくて、しらずしらずにも、直感的にそういうせんたくをしているようにおもいます。これはかみさまのお決めになることですが、こどもはあきらめることもあってもいいのかもしれません。なにもかも先んじてあきらめることはないのかもしれませんが、ありのままでいられたらただそれだけであることが、なによりもかけがえのないもののようにおもえます。ありのままにあるということ。ただ、それだけ。そういうしずかなねがいがあってもいいようにおもいます。
たぶん、なにごとにも機があって、でんとかまえて根気よく相手をしないといけないときがあるのでしょう。ひとりでに、とけていくまで、あるいは、ふっとちからが抜けて納得できるまで。しかるべき、そういう時のようなものが。焦ったり、無理をすると、かえってこじれたり、あるいは仮に一時的にはうまくいっても、あとでやくさいがきたり。だから、むしろ、あらためてゆっくり時間をかけるつもりで…。いそがばなんとかです。
なにかをえるときは、なにかをてばなさないといけない。先に確保してから、てばなすつもりでも、それでは天が、神さまがゆるさないでしょう。財というものに興味のもてないわたしですが、また違った環境で育っていたらそうではなかったかもしれません。いつか、わたしはなるたけ財運をてばなすことで、すくわれるほしだと言われたことがあるけれど、たぶん、言われたからではなくて、しらずしらずにも、直感的にそういうせんたくをしているようにおもいます。これはかみさまのお決めになることですが、こどもはあきらめることもあってもいいのかもしれません。なにもかも先んじてあきらめることはないのかもしれませんが、ありのままでいられたらただそれだけであることが、なによりもかけがえのないもののようにおもえます。ありのままにあるということ。ただ、それだけ。そういうしずかなねがいがあってもいいようにおもいます。