あつささむさ~というけれど。まだまだマフラーは洗濯できないし、コートもまだまだ必需品。それにしても、ため息は、春の季語かしらなんて、おもいたくなるほどで…。にんともかんとも。気が晴れませぬ。だれしも、そういうときとて、ありますでしょうと、おもいながらも、いやはや、なんとも、うまくいえないこの憂鬱感。いかんともしがたく候。といったところでありまする。お彼岸をすぎるとまもなく、亡父の命日で、嗚呼、あれからもう15年の月日が経ってしまったのか、それから5年の月日の内実をそのときにとても想像できなかったのと同じに、節目のあとのこの10年もついつい、振り返ってしまいたくなる。嗚呼、どうしてゴルフだったのでしょうねぇ。いや、たぶん、からだをうごかしてできるスポーツならよかったのかもしれぬし、いや、やっぱり奥深いゴルフのなにものかに可能性を感じていたのだろうか。ひとは、むずかしいから夢中になれるのだそうで、どこかで、自分なりにわかったと(いっても、技術面のことだけですが)いう感じが生じてから、次第次第にゴルフをプレイすることそのものへの、意気込みを失っているのが自分でも分かる。無論、もっと別のたいせつなものを見つけたからに違いないのだが、ただ、意気込みを失っているものにわずかでも、携わっていることが、かように気持ちに憂いをもたらすのだろうかしらん。要は、夢中になれるものがいまはそばにない、ことへの空虚感なのでしょうか。


とまぁ、かように、しゃべりすぎて叱られていた頃が懐かしいほどに、にんともかんともな、きょうこのごろで、ありまして。季節の風を感じながら、メリハリのアル歩きの時間がありがたかったとつくづくおもいます。ひとは、歩くことで、おてんとうさまのしたを歩くことで、気づかぬうちにどれほどたくさんの恩恵を得ていることでしょう。たぶん、そのうち、もう少し、いまの日ごとに微妙に時間の異なる生活にも慣れてくれば、多少なりとも、オンオフのメリハリも付いて、旅を愉しもうという意欲にも恵まれそうにもおもえます。どうも、春憂から抜けられずにいます。それから、生活の変化にともなって、一時的に外食が増えたこと、よくない油を多用したファストフードのお世話になる機会が一気に増えたことなどのせいでしょう。胃のリズムもいささかおかしく、満腹空腹の感覚がどうもはっきりしない。何を食べても美味しいと感じないし、いつもおなかが減ってるのだか、膨れているんだかさっぱりわからんような状態で、ともあれ、寒さをしのぐためにも何かを詰め込まなきゃ、のような感じになっていたので。気が付くと、少々食事のリズムがおかしくなってる。で、これまでより幾分たくさん食べてはいるから、体重が増えているかというとさにあらず。これは、よろこばしいことか、そうでないのか。ひとは、ストレスを、さまざまなかたちで、少しでも減らそうとする方向に動くのだとしたら、食べる方の感覚がすこし麻痺させれてしまったようだ。これまで、食だけは、こだわりがあって、少食(いや、いまでもそうなのだろうが)を、自負していただけに、この事態に我ながら、少々こころを痛めてもいる。要は、美味しく食べられる環境にいささか恵まれていない、ということなのでしょう。ふ~。やっぱり、でてくることばは、これと、にんともかんとも。なにもかにも、ひとまず、時を待つよりしかたはありませぬ、ようですね。(相変わらずの、冴えない文言ばかりで相すみませぬ。)