たとえば。オリンピックについても、齢とともに、こんな風に見え方がかわってくるのかと、自分でも少し驚きながらみている。いや、みていたかな。このまえ。サラエボの始まる少し前に、フィギュアスケートを目指す女の子が登場するドラマがあって。それが、おぼえている、自分の意思でちゃんとみた最初の一時間ドラマだったせいもあり。妙に印象が深い。(いつか、其の年の文化の日の日本シリーズが木曜日で、しかも終盤のドラマがあって応援しているチームが勝った日だったと覚えていると、書いたのも、そのドラマのシーンが残っているからだった。)ともあれ。勝つことへのこだわり。でもそれは、たぶん、別の何のためとかそういうことはきっともっともっと超越した部分で、ひとをひきつけ、魅了するものが凝縮されているのだろうな。とおもう。悲喜こもごもで、そんな勝ち負けよりも、どう頑張ったかでしょと、端から見る分にはおもことがあったりもするけど、いや、やっぱり、目指すべきところがあるからこそ、ひとは頑張れるのだし、純粋に情熱に動かされるままに進んだりもできるのかなって、ちょっとおもったり。いろいろに、みえてくる。それが、ちょっと驚きだったり。感心だったり。するようにおもえます。
自分で言うのもなんですが、やっと少し、元に戻れたというか、地に足がついてきたというか、以前と同じ息遣い、こころの温度やあれこれになったような。ちょっと気恥ずかしさというか、安堵感というか、そんな感じで、いまいます。そんなところに、ときどき、貴重なおしゃべりの時間をくれていた友人から。ひさしぶりの連絡があって。お父様を亡くされたという。やっと、すこし落ち着いたところという。こちらの、近況を気遣いながらも、お父様へのいろんな想いが込み上げてくるのに、耳を傾けていたら、ほぼ同じ感覚で、15年前から変わらぬ想いが、さらに鮮明になってこちらの胸にも込み上げてきて、むしろ、わたしのほうが、泣いていた。そんな時間が、ついさっき。想いを、ことばにして、いっぱい機関銃のように出来るおんなの特権というか、そんな気もする。話すことで、癒されている。長患いをしなかったこと、あまりにあっけなかったこと、娘はひとりであること、などなど、たぶん、共通、共感するところもたくさんあって、話が尽きなかった。改めて、話しながら、親というのは偉大な存在であり、わかれも一度しかないだけに、余計に大きく、それだけに、想いも尽きないのだと。感心しあっていた。それでいて、娘がおもうそれと、息子がおもうそれとはまたちがうのよねぇ~。と。そして、息子の母への想いはたぶん、娘の父へのそれとは、また違った感じの偉大さがあるみたいと、勝手に想像して感心したり。たぶん、ものの見方や、とらえかた、ことばのつかいかたなんかが、似ているのだろうな。妙に男らしかったり、でも女としての感覚を大事にしていたり。自分のことだから、余りうまくわからないけど、多分、似た者通しで、共感できる部分が多いのだとおもう。
其の友達が、わたしがいつかうっかり口にした、わたしにとってのとっておきのそのカフェにいつか是非行きたいと言っていた。隠れ家を教えちゃうみたいで、ちょいと抵抗がないといったら嘘になるけど、まぁ、嘘ついて別のところにお連れするのも、わたしの性格だとうまくできそもないので、たぶん、いつか一緒にいくかな。ほんとは、きょうもそこに行っていて。さいしょは、ひょっこり夕方の予定がキャンセルになって、明日ものんびりという、天使のくれたなんとかみたいな時間ができたので、いかない理由はないでしょ、ともおもったが、でも、読みたい本も手元にないし、(とっておきの場所は、それはそれで、ちゃんと整ってないといけないような、大事にしたい感覚が自分自身のなかにあるのです。)やっぱり、次にしようかとおもいかけていたところに、ひょいとのぞいた本屋の2階で、(そこは、妙に声の通る、また薀蓄のありそうな話がいつも続いている、おじさんがいるとこですが、それはいいとして。)思いがけず、小林秀雄さんと、岡潔さんの、びっくりするくらい贅沢なおふたりの対談集が、それも限定復刻みたいな高価ではない手軽さで、見つけちゃったものですから、これは、行かない理由ははないですね。と、ほんとは、2日くらいあんまり寝てないはずで、めっちゃ疲れているのに、それでもどうしても街をぶらりしたい日ってやっぱりあるでしょ?って、おもいながら、行ったのでした。でも、いつものひとがいなくて、珈琲の味はちょっと違ったけど。たぶん、ものすごく細かなことをとても大事にしている、この感覚が多分、自分でも好きなのだとおもう。ともあれ。とにかく。こんなに好きだとおもえる空間なんて、たぶん、もうそうそうないでしょう。いや、全く同じ感覚を味わえるものなど、ないはずで。あらためて、一期一会の偉大さに平伏するおもい、というか、人生の不思議に感嘆するばかりというか。好きだけではいけないのかもしれないが、それでもそれなしには、なんにも始まらないのも然りでしょ、って、自分自身に問いかけたくなったり。(っと、まぁ、まだ、少々文章がいつも以上に縮れてしまっておりますが、なんとかかんとか、いつもの自分がちゃんとあることに、少し安堵というか、なので、すみません、というか。ことばにならない、想いをいつもどおり、いっぱい込めてる気持ちで書いています。)書き直したのに、やっぱり乱文で、申し訳ありませぬ。