まるで、悪い魔法にでもかかったみたいだ。どうしようもなく、こころの悪循環に罹っている。たぶん、この一時しのぎのなかでの判断の中に、間違いが含まれているんだろう。どうしようもなく、気持ちが滅入っていく。ことばを吐き出せば出すほどに、酷いことしか浮かんでこない。参った。
年の瀬に父親を亡くし、そのかなしみを必死で笑いにかえようとしているひとの、歌を聴いていると、涙がとまらなかった。唄っている間中泣いていた。声には、いつわれない何かを伝える力があるのだろう。
どうやったら、綺麗に散ることができるだろうか。夕暮れまでに散ることができるだろうか。信念だでは曲げられない。さすれば、ひとりを貫くよりほかはなく、居場所がないのは、いまにはじまったことではないにせよ、はて、こころを偽ってまで卑怯なまねして、生きられないよなぁ。そしたら、綺麗に砂漠の星となることができるだろうか。歌を聴きながら、そんなことばかりを考えていた。
ひとは、みな、こんなむなしさ、かなしさを何かで紛らわして生きているのだろうか。
不器用な人間は、はて、どうやって生きればいいのだろう。
かなしさにつつまれたひとの歌を聴いていると、どうしようもなく、こんなおもいばかりに包まれて。。。
どうして、こんなことと、自分でもおもうけど。こんなにつらいおもいがこみあげてきたことに、自分でも驚いている。これまでの、必死のやせ我慢が一気に噴出してしまったのだろうか。あきらめるというのは、敢えて意に反したことをして、自分に自分の希望を抱かせないようにすることだから、無論、そういう卑怯なことだけはしない人間でいられるのがせめてもの救いだけれど。ちょっと、どうにもひどいこころの感冒に罹ってしまったようです。意に反したことばかりを、一時しのぎに自分に押し付けていることで、こころが悲鳴をあげてしまったのかもしれません。もうすこしだけ、はやまらずに、ようすをみてみることにしてみます。(たぶん、大丈夫。のはずです。)