まるで春宵のようなぬるめの風に、おもわず足を運ぶスピードもゆるくなる。ありがたい。そういえば、数日前から弁慶のなんとかというあたりが傷む。階段を上がるときは大丈夫なのだが、ふつうに歩くとき、痛みがずっとそこにある。筋のあたりだろうか。すぐに理由が浮かばなかった。駅の階段を一段飛ばしに下りていて(まぁ、急いでいたんですね)、さいご3段が残ったときがあって、ええいままよ、とみっついっぺんにジャンプした。そのとき、目が予測して足に着地の準備を指令していた距離より、実際の方が幾分長かった。それで、およよ、という感じでの着地になったときがあった。あれのせいだろうか、とおもってはみたが、それにしても、それほどの衝撃だったわけでもなく…。そうこうするうち、思い出した。それよりさらに数日前、あるところで、思いっきりこけたことがあったことを。さいわい、室内で、アリーナの奥の通路のような、まぁ、比較的床の柔らかいところだったのだが。ドアを開けてすぐ左に曲がった。その通路は暗く、その先の明るい広場を目指してまっすぐに足を運んだのだった。平坦を信じて疑うことなく…。そしたら、そこには一段の段差。気づいたときには宙に浮いてた。もう、反射云々で立て直すとかそういう局面ではなく、感じでは3秒ぐらい浮いてた気がした。で、たぶん、本能は手を突かないほうが被害は最小限と判断したのでしょう。そのままおもいっきり床の上に倒れたのだけど。音のわりに、からだに感じる痛みは少なく。まぁ、派手にこけただけ。という感じだったが。そういえば、そのあと一歩を踏み出したとき、足のその部分が少し痛かったのを思い出した。安全に転ぶのもなかなかにむずかしいものらしい。さいわい、痛みのほうは、日に日によくなっている(痛いのに、それでもエスカレーターには乗るまいとしている自分がにんともかんとも、ではあるけれど。)。
半日どころか、合計するとたぶん、長針の一周半くらいを眠ったら、少し楽になった。すこしけだるい感じがからだじゅうにひろがっている。それでも、そのほわほわとした感覚が、すこしうれしくもあったりする。それにしても、ただ、口をあけて歩いているだけでよかった日々が懐かしく、やっぱり羨ましい。あんな、いい環境はもうどこにもないのだろうな。同じことをしていても、とりようひとつなのかもしれない。おてんとうさんのしたで、動けることがきっと、いちばんしあわせなのだろうな。ふと、そうおもう。しみじみと。単調な毎日は、退屈とも背中あわせだが、その一方で、こころの自由時間だけはふんだんにある。いや、単調でない毎日でも、こころはいつでも自由なのだけど。それでも、時間調整や日程調整に、気を配ることに時間や神経が費やされてしまう分、(集中力やメリハリは増すけれど)、ギアチェンジが忙しすぎて、どうも、けいこうとうの身としては、なれるまでに時間がかかる。ゴルフのことをしばらく話していない気がするので少し。毎日が、デスクワークだったとしたら、これに勝る憩いの時間はやっぱりないのだろうな。ふだんないもののすべてがそこにはあるし。いや、決断や後悔は、いつもの予習、復習にもなるのかなぁ。それにしても、おもうのは、たしかにそこに性格がでるのは、いたしかたないにせよ、ただ、ひたすら、自分の性格をこれでもかこれでもかと確かめるだけのスタイルを繰返すのでは、ちょっぴりもったいない気がするのはわたしだけだろうか。もっと、ふだんできないことや、着眼点の変化のきっかけをみつけられるかもしれないチャンスに挑むとか。いろいろ、見方は何通りもある気がするのだけれど。ただひたすら、スコアにだけふりまわされると、同じことを延々繰り返してしまうだけのような気もするのだが。(蛇足でした。)
たとえば。父が奇しくも受け継ぐことになった家だけど。もちろん、これのおかげでわたしは、かくも呑気にいられるのかもしれない。でも、おもうのは、それらもわたしのものではなく。また、だれかに引き継ぐもので。形あるものは、いずれだれかに引継ぎ、そしてまた次へと引き継がれる。ただ、それだけ。と、考えるわたしは、闘ってひとの領土の奪うとか、自分のリョウドを増やそうとか、そういう意欲がほとんどない。たぶん、性分なのだろう。むしろ、そういう類のものはなるたけ全部ひとに譲ることで得られる心の平穏のほうを、ひたすら切望している。そのせいで、余計にお金や地位から離れたいとおもってしまう。でも、そういうひとも少なくない気もするのだが。ただ、目立たないだけで。わたしは、おとこではないからあまりよくわからないのかもしれないけれど、どうして、こうも便利とか、お金に、ひとはふりまわされてしまうのでしょうか。目立って活躍することと、目立たずいることの、違いってなんなのでしょう。いまごろなんですが、考えてみるととても不思議な感じがします。ひっそりと、めだたず小さな書き物をして暮らしていけたら、これに勝る願いはないのですが、かといって、書いたものをもって売り込む意欲も元気もなく、できるところまで、なにもしないでいるのがいいのだろうな、と。これも、直感の命じること以外なにものでもないのですけれど。でも、ときどき、不安というより、どうしようもない、かなしみのようなものに包まれて、愕然とするときがあります。もちろん、先のことなどだれにもわからず、おもってもみなかった展開がないともいえず、あるいは、いつかなんらかの形で願いが叶うかも知れず、くよくよおもってもどうにもならぬことばかりではあるのだけれど。とまぁ、こんな感じでいるわけでして。。。(もっとも、そんなことをうだうだ考えていられるだけの余裕があるということは、恵まれているに違いないのではありますが。)(当分、疲れは抜けそうにありません。こんな、冴えないことばかり書いているのですから。。。)