いつもなら、ボールをみると駆け出すこどものように、白紙に向うといっせいに手が勝手に動くというのに、きょうは、いかなるゆえか、真っ白の画面を見つめたまま、数時間を過ごしてしまった。寒さに耐えながら。落ち着かない日々が続いていて。もっとも、居場所がないとか、先行きがどうにもこうにもというのではないので、心配には及びませぬが、にんともかんとも、はてさて、な時間が過ぎていっています。もちろん、どこまでいっても、変わらぬものは変わらぬので。信念や想いだけはどうしようもないほどに変わらないのだけれど。でも、だから、毎日口をあけてボーっと過ごすわけにもいかず。忙しいのがいやではない。日常に小さな変化が日々あるのは、むしろ嬉しいことで、そりゃときに歓迎されないこともあるでしょうが。変化というのは、何かへの兆しでもあるわけでして。仕事なんてなんでもいい。うっかりすると、仕事を低く小さくみている風にとられたら、遺憾。さにあらず。これは、ほんとに名言だとおもうのだが、どんなものでも、それぞれに価値や重みや、いやもちろん、さぼるのもありで、み~んなそういうのをひっくるめて、何をしたから偉いとか偉くないのか、そういうのを超越したとらえ方があるような、気がしみじみとするんだな。もちろん、なにかひとつでも、誇りにおもえるものを残せたら。それに越したことはないだろう。でも、たとえばだけど。公園の掃除にしたって、とても貴重なことだと思うし。それをきちんとしているひとを見ると、とても尊敬できる。
いつかかいたフレーズに、流されるのでもなく、逆らうのでもなく、でも、流れのままに自分らしく。と、あるけれど。そういられたら、それに越したことはないような気がしている。何をしているときも、わたしには変わりなく。それでも、そのときどきで、役割は違うし、おのずと姿勢や心構えもかわってくる。変化はときにたのしく、うれしいが、あまりめまぐるしいのも、たしかにたいへん。文字通りの自然体でいるってことは、無理をしすぎないこと。でも、頑張りどころで頑張らないわけじゃない。精一杯の情熱をもって静かに歩く。ちょっと好きなフレーズなのだ。そんな風に、いつでも、どこかに余裕を残していられたら、いいだろうな。それでいて、目立たず、いじめられることもなく、いるのは、これはこれは、いささかたいへんではあるのやもしれないけれど。誤魔化したり、飾ったり、偽ったりすることにばかり、エネルギーを傾けるのは、やっぱり残念な時の過ごし方。それらも、うまく消化(消火?)したり、折り合いをつけたり、ときには、腹を決めて黙殺したり。そうするのも、ひとつの頑張りなのかもしれない。そう、ときには、敢えて何もしないのも。。それにしても、冷えますねぇ。とっても寒い。ちょいと疲れも溜まっています。うまく、休息しないと。こころのほうは、むしろとても元気だけれど、なれないダッシュをしたりするものだから、ちょいとからだが悲鳴をあげてる。古くから、ずっと中庸を誇りにしてきて、ここまで発展してきたのに、このごろ、なんだか、どこに行っても、マニュアルだらけの喋り方をするひとが多く見えて、少し気になる。なあんて、また、偉そうなことをいきなり話し出すと、叱られるかな。
面白い失敗談や、ハプニング、経験談から、ひょんな出来事まで、日々の話題には事欠かず、固有名詞を出して具体的に話せないのがちょっと残念。行間から、無事と落ち着かない日々との格闘を読んでいただけると、うれしいかな。そんなこんなで、なかなか、情緒的なことが書けなくて、とても残念。もっと、もっと、書簡みたいに書けたらいいと思っている。続きは、また。(ほんまに、おどろくほどびんぼうひまなし、になっています。おもしろいけど、馴れるまでちょっとたいへん。。。)