としたものを書くには、まだもうすこし時間がかかるだろうか。若い頃、たとえば、大学一年の春などを思いこしてみるに、恐らく、もっといろいろなものが激変し、新しいことづくめだったに違いないのだが、いや、学生というのは、やっぱりそれでもどこかのんびりしている、というか、のんびりしていられるものだったのだろうか。思い出してみるのだが、それほど、これといった大きなハプニングや困りごとに出くわした記憶がない。それより、むしろ、若さという盲目に存分に助けられていたのだろうか。なにもかもが目新しく、でも、まだまだ見えている部分は断片的で、見ているつもりでも、そのほんの一部分だけしか見えていなかったのやもしれぬ。広さにすると六畳足らずの細長い部屋で、無機質なグレイのスチールデスクと、ボックスロッカーと、ひどくスプリングのくたびれたベッドがひとつ。残るスペースに家から持ってきた小さな木の文机をいれると、いっぱいだった。いろいろな手続きを終えて、ひとり部屋に戻ると、その狭さよりも静寂にやられる気がした。音のない空間をもてあました。もちろん、携帯もパソコンもない時代。やっとEメールなるものが少しずつ知られるようになっていたころ。最初に母に電話をしたとき(十円玉しか入らない共用のピンク公衆電話が廊下の隅にあった。)、「テレビがないとめちゃくちゃさびしい」。そう言ったのを覚えている。
環境がかわると、それに順応するための時間というか、手間隙というものはやっぱり歳とともに多少なりとも苦労が増えるのだろうか。それとも、歳とともにそれまで目の向かなかったいろいろなことに気づきすぎるから、ひとりでに心配事が増えるのだろうか。どちらもかな。いや、もともとの性分やもしれぬ。ものすごく慎重なところ(これでもあるんです)と、まったく完全に抜けているところが同居しているので、ときどき、自分がいちばん驚かされるような、びっくりが起こる。現実の方がずっとずっとドラマチックだったりする。まぁ、とらえかたの問題かな。そう、ものごとを大きくとらえすぎたり、まったく大事に気づいていなかったり、これもアンバランス。体重計にいささか元気よく乗りすぎると針が落ち着くまでに、少し時間がかかるみたいに、どうもいつもおっちょこちょいで、余分な苦労や遠回りを気づくと自らひきうける羽目になっていて、おやおや、まぁまぁ、となる。たとえば、きょうなどは、駅ごとにダッシュを繰返して、鬼のキャンプみたいな長い長い階段を、心臓がちぎれそうになりながら、一気に駆け上がって、電車に滑り込みセーフ!。と、おもったら、反対向きの電車だった。とかね。われながら、なんじゃそりゃ、である。このごろ、あまりこういうことでは、愕然もがっかりしなくなった。これは鍛えられたのだろうか。それとも、自分への寛大なこころが育ったのだろうか。その両方かな。いい意味での諦念。なんて、そうとでも思わないと、可笑しくてやっていられない、ところもある。かな。
神さまにききたくなるときがある。このさきはどうなりますか?こんなんでいいのですか?あとなんかい、涙を流せばいいですか?(と、書いてたら、泣けてきた。)だれしも、いろんなやるせなさや、くやしさや、いきどおりや、あるいは、がっつやふぁいとや、うちにひめたおもいや、とうしや、いろんな感情をないまぜにしながら、それでも、そのつど、それらをなだめたり、やっつけたり、いっしょになったり、いろいろしながら、やっているのだろうな。川面の上を吹き抜けてくる冷たい風を浴びながら、大きな橋を渡って歩いていると、いろんなことが浮かんできた。これでいいのかな。でも、いいもわるいも。これしかないよね。地上の果てまでいっても、自分から逃げられるわけでもないんだ。若い頃、ひたすら遠くに憬れたが、それは、どこかしら、遠くに行くといまの自分から逃れられる気がしていたからかもしれない。自分探しなんてナンセンス。いつでもここにある。ここではないどこかなんて、どこにもないとわかるまでに、随分かかるものだ。あまり、早くにいろいろ気づいてしまいたくなはいけど。たぶん、まだまだもっともっと知らないこともあるのだろう。知らないことは、それを知ってはじめて、知らなかったことに気づくのだ。知らないことに気づけたら、半分は気づけたようなものだ。なんて、わかったようなことを調子に乗って言えるのも、まだまだ知らないことがたくさんあるからなのかもしれないな。そこが迷路の一部だと気づけさえすれば、半分は安堵できるのだけどな。迷路でさえなかったら、どうしようなんて、そんな一抹の不安を、ときおりおぼえたりするのは、ひとはみなおなじなのかな。人生そのものが、もうすでに旅なのかなぁ。