おっと、きょうもこんな時間です。たいした労働をしているわけでもないのですが…。ホッとひといきつくと、この時間。なにより、日に日に宵っ張りが進行しているのが、いけません。時計と陽の光のない部屋で、体内時計だけを頼りに暮らすと、ひとは25時間周期になるという実験をいつか見た気がしますが。ともあれ。深夜になっても眠くならないのはからだにはよくありません。あたまとからだのバランスよい酷使!?が、不可欠ということなのですかねぇ。我ながら、このそのうちなんとかなる症候群はかなり重症であります。はい。そのうち、人生は「とりあえずいま」の積み重ね!なんて、乱暴この上ない信条を持ち出しかねない、かんじであります。ふ~。読むだけでは、どうも調子がでません。

自宅と少し違うのは、自分ではかなり食べている点。でもね。空腹でないのに食べても美味しくないし、胃が苦しいほうがストレスな性分だけはいかんともし難く…。頑張って夜中に食べてみたりはするのですが、いつものジーンズがこころもちきつくなったようなならないような…。テレビでは、わたしの体重など消え失せるようなダイエットに挑むひとを映しているけど。どうにも、理解不能です。中学に上がったとき、いまより10センチ小さく、10キロ軽かった。最初の1年で約5センチと9キロ増えた。それから、何年かかかっていまにいたるわけで、まぁ体重については以来ちっとも成長してないことになる(まぁ、多少の増減はありますが)。いや、身長と体重のバランスということでいえば、生まれて!?このかた、というのは大げさか、ともあれ体型は退屈にもちっとも変わってない、ようです(厳密には、中1の今ごろがいちばん太っていたということかしらん)。

正直、太りたいとは思いませんが、この胃袋力では太れそうにもありません。どきどき、映画の最初から最後までポップコーンを食べ続けるというのを、夢見ますがたぶん、最初の5分ももつかどうか…。美味しいものを食べる瞬間は、確かに至福のひとつですが、それはひとくちであったり、とっておきのときであるからで…。こんな感じでは、たくさん食べるなんて、そもそも想定していないですねぇ。もっとも、たくさん食べられないからといって、美味しいものに興味がないわけではなく。むしろ、少ないチャンスであるだけに、たいせつにチョイスしたい、という粋なこころだけは持ち続けたい。とおもっている。

あれ、わたしはなにをいわんとしているのでしょう。うーん、やっぱりじっと読んでるばかりでは、浮かぶことばも冴えません。そういえば、美味しいものを食べるのは案外難しくて、旬の素材とか、作り手の情緒とか、食べる空間とか、明かりの感じとか…。懲り過ぎてはきりがありませんが。そうすると、今度はたぶん、自然に器に目がいくのでしょう。どんな器に盛るかでも、味が幾分変わる気がするし。たぶん、そうやって創意工夫しながらものをつくるということそのものが、愉しことなのでしょう。なるたけ、手をかけることでたのしさやうつくしさやきもちよさが増す気がして…。手をかけるところと、手を抜くところのメリハリや、そのモード切り替え、ギャップ、そしてそれらのギアチェンジがまた、たのしさや醍醐味の一部でもあるのでしょうか。たとえば、そう、マウンドの投手の心情!?もたぶん同じな気がするように…。!?