こんやの夕げは、烏賊の酒蒸し風、きのうは、ぶりの切り身をオリーブ油と七味で焼いてみた。えっと、その前は、手抜きの餃子だったような。田舎では、極力料理のできないふりをしていたのだけど。いつしか、焼き物、揚げ物はわたし、和え物、荷物は母、の分担がなんとなくできてしまった。ふかくにも、かな。やっぱり、料理は、いや料理も、正直なのですかねぇ。ひとのあんばいに。ちなみに、一人暮らしをするまで、ほんものの目玉焼きを食べていなかった。黄身が焼けるのに時間がかかると、母は黄身をつぶしてしまう。はて、どんなに時間がかかるのかしらと、大学の寮で恐る恐る作ってみて、ちょっとがく然としたっけな。たぶん、ひとによって時間の流れ方は多少違うのかもしれません。でも、母のつくる茶碗蒸しは、いまでもかなわないと内心おもってる。というか、海老しんじょとか、勝手に上品と決めている品目には、いまだかつて挑戦したことがないのが、正直なところ。こころ以外では、やっぱり段取り(機転)と、ここいちばんでの俊敏と、たぶんちょっぴりの辛
抱なのかなって、たいしたこともしてないわたしが言うのは、僭越千万ですが、ふとおもいました。あしたは、がんばって父の好きだったつみれ汁を、いわしと格闘して…と、おもってるけど、あんまり張り切るとそれまでに頑張りすぎて、結局延期、なんてわたしの料理計画のわるい癖、なのであんまり張り切らずに覚えてたらやろうかなぁ~、くらいにしておこうぉ~っと。おもっている。
地方の季刊文芸誌『北國文華』の、ある年の秋号に、「落語的生き方のススメ」が載っている。なかでも文珍さんのおはなしが特に面白い。そして、なかでも、河合隼雄さんの日本ウソツキクラブのくだりが、また面白い。いや、いまのわたしにはちょいと笑うに笑えないエピソードに聞こえて。なんとも、ヒンヤリした笑いをこころに流されたような、でもやっぱりすこし救われたようで、すこしだけよろこんでもいいような…。落語といえば、小津監督のことを評したページに、その作品は落語だ!とあったのが印象的だった。それと同じ冊子(というのはたしか46頁以内のものですから、正確には違うのですが)で、岡部伊都子さんという方を知りました。こんなかたは(つまり、戦前からを生きてきた同性の先輩というわたしなりの勝手なとらえ方なのですが)、ほかに白洲さんしか知らなかったから。ともあれ、とても神妙な気持ちで読みました。どうしていつも、なくなられてからすごいひとがいたことに気付くのでしょうか。作品を読めるということはかわらないのですが、や
っぱりどこかかなしい気持ちになってしまいます。話が飛びすぎですが、きょうはこんな田舎ではほぼ奇跡!とおもえるような、ほんもののワッフルのあるカフェに出合えてちょっぴりだけど、うれしいことでした。ワッフルもきっと、それを焼くひとの人柄がにじむものなのかもしれません。ね
抱なのかなって、たいしたこともしてないわたしが言うのは、僭越千万ですが、ふとおもいました。あしたは、がんばって父の好きだったつみれ汁を、いわしと格闘して…と、おもってるけど、あんまり張り切るとそれまでに頑張りすぎて、結局延期、なんてわたしの料理計画のわるい癖、なのであんまり張り切らずに覚えてたらやろうかなぁ~、くらいにしておこうぉ~っと。おもっている。
地方の季刊文芸誌『北國文華』の、ある年の秋号に、「落語的生き方のススメ」が載っている。なかでも文珍さんのおはなしが特に面白い。そして、なかでも、河合隼雄さんの日本ウソツキクラブのくだりが、また面白い。いや、いまのわたしにはちょいと笑うに笑えないエピソードに聞こえて。なんとも、ヒンヤリした笑いをこころに流されたような、でもやっぱりすこし救われたようで、すこしだけよろこんでもいいような…。落語といえば、小津監督のことを評したページに、その作品は落語だ!とあったのが印象的だった。それと同じ冊子(というのはたしか46頁以内のものですから、正確には違うのですが)で、岡部伊都子さんという方を知りました。こんなかたは(つまり、戦前からを生きてきた同性の先輩というわたしなりの勝手なとらえ方なのですが)、ほかに白洲さんしか知らなかったから。ともあれ、とても神妙な気持ちで読みました。どうしていつも、なくなられてからすごいひとがいたことに気付くのでしょうか。作品を読めるということはかわらないのですが、や
っぱりどこかかなしい気持ちになってしまいます。話が飛びすぎですが、きょうはこんな田舎ではほぼ奇跡!とおもえるような、ほんもののワッフルのあるカフェに出合えてちょっぴりだけど、うれしいことでした。ワッフルもきっと、それを焼くひとの人柄がにじむものなのかもしれません。ね