「あ」と 「う」と 「え」のくちをしてどうじにそれらを発してみたいような、そんな感じがしました。おはかまいりをするときの、数珠の玉の数は、百八つあるのだそうです。教育チャンネルのこころの時代で聴きました。慶照寺の住職さんのありがたいお話でした。ひとは、みなぼんのうを抱えて生きている。でも、とりあえず、そのことに気づいてはじめて、少しだけにんげんになれるのだそうです。変わることの繰り返しなのだと。自分が動いているから、相手のいろいろな面をみることができるのだ、と。想いと事実は、常に離れているものなのに、ひとは想いのほうしか見ようとしないということ。しあわせというものが、どこかにあるとおもうのがあやまりなのだと。でも、変化はひとつの縁(起)の到来なのだと。そうやって、ひとは「わかる」ことと「忘れる」ことの繰り返しで生きていると。でも、「それでいいじゃないですか」と。印象的な一句がありました。 雪の下 朽ちてゆくもの 萌ゆるもの
雪は寒さから身を守ってくれる布団なのだそうです。大地に根をはっているものには、冬はなくてはならないときなのだと。おっしゃっていました。(いきなりえらそうなことをすみませんm(__)m)
ゴルフのことは、それほどずっとおもっていないのだけれど、このところ、なんとか気持ちを奮って計画を立てたとたんに、前代未聞の豪雨になったり、メンバーのタイミングが合わなかったりと、ほんとにしばらくやっちゃダメと言われてるみたいで…。まぁ、ぼんのうのないゴルフなんて不可能なわけですけど(?)。たぶん。練習してるなんていえるほどではないのだけど、以前、さいわいにも閑古鳥のクラスをもっていたときから、ほそぼそとこっそり右打ちの練習をしている。といってもまだ短い金属しか、らしくできない。いや、らしくといっても、打ってみないとわからない領域だし、それにハーフショットなんてまだまだ夢のまた夢。だいいち、からだの捻転がちっともついてこない。だからちゃんと打ち込める本物の芝の上でないととてもじゃないが手首がこわい。こんなんでいつか木がちゃんと打てる日なんてくるのかなぁ。もちろん、ゴルフの話です。でもね。右なら女性用のカーボンシャフトで、赤ティーからもできるかもしれない!それに気づいて、ちょっと嬉しい宿題
ができたみたいで、ちょっぴり元気になれた。のでした。
ちなみに少し前は、やっぱりクラブは置こうか。50歳ですっぱりお能を辞められた白洲さんみたいに。これは男のひとのスポーツ。ちゃんと50歳くらいになれるまでやっちゃいけないのでは。いやいや、パターさえ、バッグから抜いてしまえば許されるかなぁ。いや、アプローチ以外の鉄だけでも、利き腕でない方で打てば、あのバーディーショットは封印できる!なあんて、鼻につきそな格好つけなことばかり考えていたのだな。そんなの、かえって不自然ですよね。それなら、右でも三割くらいは打てますよ!?と、言えるように静かに暇なときだけ練習してる(つもり!)ってほうがずっと自然ですよね。とはいえ、正直いうと、わたしにとってのゴルフは、青空の下で素敵な景色と、素敵なひとたちとのありがたい時間をくれるものなので、どうしても、年に数回となってしまうのですねぅ。と、書いていたら『眺めのいいひと』のなかの武さんの章がおもいだされました。せめて、遊びの時間ぐらい、ぼんのうがなんだぁ~!って叫ぶ気持ちでいいのかな。ちょいと無理
のある流れですが、ちょっぴりそんな風におもいました。
雪は寒さから身を守ってくれる布団なのだそうです。大地に根をはっているものには、冬はなくてはならないときなのだと。おっしゃっていました。(いきなりえらそうなことをすみませんm(__)m)
ゴルフのことは、それほどずっとおもっていないのだけれど、このところ、なんとか気持ちを奮って計画を立てたとたんに、前代未聞の豪雨になったり、メンバーのタイミングが合わなかったりと、ほんとにしばらくやっちゃダメと言われてるみたいで…。まぁ、ぼんのうのないゴルフなんて不可能なわけですけど(?)。たぶん。練習してるなんていえるほどではないのだけど、以前、さいわいにも閑古鳥のクラスをもっていたときから、ほそぼそとこっそり右打ちの練習をしている。といってもまだ短い金属しか、らしくできない。いや、らしくといっても、打ってみないとわからない領域だし、それにハーフショットなんてまだまだ夢のまた夢。だいいち、からだの捻転がちっともついてこない。だからちゃんと打ち込める本物の芝の上でないととてもじゃないが手首がこわい。こんなんでいつか木がちゃんと打てる日なんてくるのかなぁ。もちろん、ゴルフの話です。でもね。右なら女性用のカーボンシャフトで、赤ティーからもできるかもしれない!それに気づいて、ちょっと嬉しい宿題
ができたみたいで、ちょっぴり元気になれた。のでした。
ちなみに少し前は、やっぱりクラブは置こうか。50歳ですっぱりお能を辞められた白洲さんみたいに。これは男のひとのスポーツ。ちゃんと50歳くらいになれるまでやっちゃいけないのでは。いやいや、パターさえ、バッグから抜いてしまえば許されるかなぁ。いや、アプローチ以外の鉄だけでも、利き腕でない方で打てば、あのバーディーショットは封印できる!なあんて、鼻につきそな格好つけなことばかり考えていたのだな。そんなの、かえって不自然ですよね。それなら、右でも三割くらいは打てますよ!?と、言えるように静かに暇なときだけ練習してる(つもり!)ってほうがずっと自然ですよね。とはいえ、正直いうと、わたしにとってのゴルフは、青空の下で素敵な景色と、素敵なひとたちとのありがたい時間をくれるものなので、どうしても、年に数回となってしまうのですねぅ。と、書いていたら『眺めのいいひと』のなかの武さんの章がおもいだされました。せめて、遊びの時間ぐらい、ぼんのうがなんだぁ~!って叫ぶ気持ちでいいのかな。ちょいと無理
のある流れですが、ちょっぴりそんな風におもいました。