えっと、あんまりおもうことがおおすぎるとことばって、なかなかでてこないものですね。そりゃ、わたしだってふつーのにんげんですから、おこることも、ものすごくくよくよすることも、どうにも泣けてしかたのないことも、みんなありますよ。たとえばだけど。あさ目が覚めたときに最初にこころに浮かぶことって案外、大きくって、そのとき、やっぱりかなしい文字が浮かんだりすると、いちにちそのことと格闘する羽目になったりもするし。でも、結局、悩んでも悩まなくても、流れに任せるよりどうにも仕方ないと、自分をなだめて、なんとか落ち着く。そんな繰り返しです。ひとは、ひとときでも、ほんのすこしでもめげそうになると、すぐ、そのときはこうしよう、あ~しようと、嘘でもなんでも、勝手な計画を考えることで、自分がそれ以上、望まぬことにおもいがとらわれるのを防ごうとします。いざとなれば、なんとでもする。そう、自分に言い聞かせて、冷たい冬が過ぎるのをひたすら待とうとします。たぶん、それはみんなおんなじです。ひょっとしたら、自分はいっぱいあきらめたから、いまの自分があるなんておもっているひとがいたら、それはとんだあやまりではないかな。知らず知らずにひとは、自分を守るため、自分にいちばんいい方法をとっている気がします。あとは、自然の流れです。選んだつもりが、知らぬ間に選ばれているだけかもしれない。そうおもえば少しは、気が晴れます。あんまり、深く考えると結局、もっとも望まぬところを選んでしまうかもしれないし。やっぱり、まかせるよりないのでしょう。あとは、こころで必死で祈ることでしょうか。ちょっと、こどもじみているのかもしれませんね。


出来るなら、役に立てたらどんなにいいだろうって、そりゃやっぱりおもいます。好きなことにはやっぱり、目も耳も自然と澄んできますから。無理をしなくても、自然といいものはいいと、見えてくる。わかるというのを、ことばで説明するのはとても難しい。こころがわかるというのを、これがこうしてこうなったらこうなんですなんて、理路整然と説明なんてできない。いったい、なにがどうなったのか、さっぱりわからんことが多すぎて、ときにこまることも多々あります。いったい、なにごとですか?としかことばにならないのだけれど、でも、いまは、この置かれた状況にひたすら耐えるしかないのかなぁと、おもって、多分、無理に頑張ったりするから余計に難しくなるのかな。つまりは、意味がわからんとおもえることもあったりします。なんのこっちゃと。こちらは、ただ好きだから応援したいの一心なのに。だから、これこれこうで、こうだからこうと説明してもらえたら、どんなに楽だろうとおもうこともたくさんある。でも、ともかく。信じたいから、勝手にしてるだけといわれても、ただ、そうしたいからしているだけで。ほんに、難しいものですね。ふとすると、そりゃ、おこりたくなる瞬間だってありますよ。そりゃ、ふつーのひとなんですから。でも、お金とかそういうことではないので。どうにも、いい様がないのでありまして。ふ~。あ~、たいへん。むずかしくてほんにこまっちゃいますが、でも、たぶん、いつもどこにいるときでも、そうやって、いまの自分へのテストなのかなぁ~って、おもえば少しは笑う余裕もでてくるものでして。そういえば、期待の新星がほんとに、素敵なことばを言っていました。夢は逃げない。逃げるのはいつも自分。なんだそうです。なんとも、すごい。そういうことばを紡げるというだけでも、逸材だとおもいました。なにしろ、わたしは、自分と同じ左利きというだけで余計に贔屓したくなる単純なおばさんなので。なんとか、頑張ってほしいと、こころから願わずにはいられなかった。そんなひとときでした。いや、でしたではなく、です。です。(日本語ってほんにむずかしかです。)