ちょっとだけ、かっこいいことを書きます。未来は、まだここに来ていないというだけで、恐らく、あらゆる可能性を含んでいることのことなのだとおもいました。もちろん、それをそんなふうに、しみじみとおもったり、考えたり、想像したりすることができるのは、ほかでもない、これまでの、つまりは過去たちのお陰であり、それを忘れては決してダメで、自分を育ててくれた環境とか、真剣に叱ってくれた先生とか、そして親とか、つまり、これまでに自分に関わってくれた周囲の大人のひとたち、そのことへの感謝をわすれちゃいけないんだと、あまりにたいへんすぎるシナリオのないドラマがほんの少しの間だけあった気がするけど、ともあれ、何はともあれ、そういうことを教えられたことが、とても有難いのですと、いまは、なにも考えずにそういいたい、そんなきもちでいます。
ときに、ひとは、自分だけで頑張っているような気がするものだし、これがあるのもあれがあるのも、全部自分が頑張ったからだと思ってしまいがちで、いや、そうでもしないと自分を支えていられないときもあるから、決してダメではないのだけれど、でも、やっぱり、こころがあったかいのは、そんな風に考えているときではなくて、ほんとにこころの底から謙虚におもえる瞬間に出会えたときで。もちろん、いいことばかりではありません。なにかをかなえるときは、どうじになにか別のものをうしなうことでもあり。決して手放しではよろこべない。だけど、それでもなお、こころにふたをして生きることは出来ないと、自分に言い聞かせる。その繰り返しなんです。悪ぶってもいけないし、いい子ぶってもいけない。控えめというのが、いかに難しいかを知ります。よくわからないけど、たぶん、そんな感じではないのだろうかとおもいます。
いつか、父が話してくれました。とても断片的に、というか、ほんの一行詩のように。おそらく、戦後、まだ引き上げてくる前の話で、道の向こうとこっちの民家にわかれて休息していた。そしたら、向こう側にいたひとたちだけが、連れていかれたんだと。もし、向こうがこっちだったら…。もちろん、わたしなど生まれてはいません。そうおもうと、どうにもたまらないおもいがしてきます。父は、おそらくほんとうにたいへんだったことはなにひとつ、話そうとはしませんでしたが、いまもそうして憶えているそのひとつのことだけで、充分すぎるくらい、わたしにおもいを伝えてくれたようにおもいます。ひとのいのちは、そんな風に、偶然の奇跡からあるんだと知ると、とてもじゃないが、軽々しく生きられないとおもうんです。もちろん、ふだんは、好き勝手なことばかり言っていますがね。だから、やっぱりどんなことをしても、せんそうはしちゃいけいないとおもうのがふつうです。なあんて、やっぱりかっこつけすぎですかね。ともあれ。父のそんなことをおもうと、やっぱり涙がとまりません。
こどものころ、とにかく単純な生き物だったので。(いまもですけど。)よく、自分のサインの練習をしていました。いろんなのを考えて遊んでいた。お陰で、まぁ、いまは、カードを使ったときのサインが少しだけスムーズに書けるかな。きっと、だれもがするのだろうけど、子どもの名前を考えたりね。いまおもうと、その真剣さに思わず噴出しそうになります。自分のことなのに。なぜか、双子をおもったりして。しゃれっけたっぷりに、あ・つよし、たつと・し、と、でも漢字をひっつけて続けて読むと、それなりの名前に聞こえるとかね。単に、応援してる選手の名前を、発音をちょっとだけお借りしたかっただけかもしれませんがね。子どもの考えることって、どうしてこうも愉快なのでしょう。いまなら、たぶん、浮かばないとおもう。ともあれ。いちど11才の双子の少年たちを家庭教師としておしゃべりする機会をもらったけど。彼らの気持ちがいたいほどぶつかりあうのが、わかってほんとにいとおしいというか、なんともいえない貴重な時間だった。それにしても、11歳というのは、少年でも青年でもないほんに貴重な時期なのかもしれませんね。おとなにちゃんと向き合えるほどには大人だし、でもまだ子どもらしい茶目っ気や恥じらいもちゃんともっている。