それでも、愛したいです。

さいごにひとつだけといわれたら、あなたとこたえたい。

それだけです。


仕事は外での仕事をするつもりはもちろんありません。

できるなら、あなたの子どもを育てたい。でも、あきらめろといわれたら、子どもはあきらめます。

書くといっても、あくまで趣味で、名前を出すつもりも私自身が生きてる間に発表するつもりもありません。



勝手なお願いならお許しください。

もし、最初のメールを信じてここでこうして待つのがどうしてもダメだとおっしゃるなら

仰せの通りにします。でも、なんだか不自然な返信メールに思えます。

それより、7番ホールにいたときにからだに感じた衝撃の方がわたしには大きい。

かわれるものなら、かわりたいです。とても痛いと感じました。

どうして、老後をそんなに不安がるのですか?

おんながおとこのひとをケアしてどうしていけないのですか?

愛するということはそういうことなのだとおもいます。

どんなかたちでもうけいれたいし、すべてをありのままで愛したいのです。


でも、父を誇りに思う気持ちも変わりません。記憶は消せませんから。

父に尽くしたいとおもうのは、ほんとうの父との時間に、後悔と悔いがあるからです。

家族を愛したい。そして、あとは残った時間で、ひとの役にたちたい。

ずっと、自分のことだけを考えて、外での仕事をいかにないがしろにしていたかということを

改めて思いました。ずっと、いまのすがたは仮の姿だなんて、恰好つけていました。

本当に申し訳ありません。




車、バイクだけではありません。今後ゴルフももちろん野球も、つまり球技はしません。

つぎに、ちゃんとお会いしたときにこれらを直接目を見て話したいとおもっています。

綺麗な心という言い方が正しいかどうかわかりませんが、そんなひとはとてもきれいな目をしていると思いました。


でも、あなたを好きとおもうこころにはりゆうなどないのです。

あとは、すべてをおまかせします。

よろしくおねがいします。