覚えていますか?あの街のなんだかしばられそうな名前の通りのラーメン屋さんに行かれた後、急な雷雨となって、濡れた服を乾かすまでの間、箱の中でひとり大声で唄ったあと、いまこうして涼しく険しい顔してデスクで、明日のかおをチェックしているのを、まわりのひとはつゆ知らずに忙しく立ち働いているのですねぇ。そう返信くださったのは、わたしが、あまりの忙しさに、はじまったばかりというのに、もう「清貧を」とこころが憂いていますと、おもわず、こころの叫びを文信したあとでした。わたしも、その同じ雷雨にあってすぐにそれを書きました。それがあの、わたしに大きな決断を勇気をくれた、満月の前夜。おもえば、まるで昨日のように懐かしく、ときはあれから止まったままのようにも感じます。もう泣けてきました。


時間と空間は、ふつう両立ができないものなんです。おんなは、空間にいきている。家というね。だから、ないものねだりで、やたらと時系列の記憶に驚くほど才を発揮します。かたや、好むと好まざるとに関わらず、おとこは闘いと言う名の時間の場所(それを歴史というのかしら)に閉じ込められる。だから、やっぱり、空間への憧れで、あんなに空間認識に長けているんです。なんてね。気取りすぎました。すみません。


冬の時代なんて、ひとは言いますが、みんなそのほんとうの贅沢を知らない。いや、このまま知らないでといいたい気もする。だって、唯一時間と空間を共有できる場所なんですから。平たく言うと、炬燵のある部屋です。みんな同じ場所に自然に集まる。それはそこにぬくもりがあるから。寒いから、手を握りたくなるんです。そばに寄り添いたくなるんです。常夏のところにいくのはまったく逆でしょ?だってほら、文明のうまれたところには、みんな寒すぎないほどのちょうどいい冬があるではないですか。持たない贅沢って、すごいとおもいませんか。ゼロというこれ以上ない贅沢について。思えば、凄すぎます。あとは増やす、いや自然に増えるのですから。はじめからゼロで、マイナスにはならないんです。大きすぎるプラスに憬れるからマイナスにもなるんですよ。できるたけ、小さい箱を選ぶ。これは女の知恵かもしれません。だってほら、昔話。あれを選ぶのはお爺さんではなくてなぜか、おばあさんだもの。


きょうずっと行きたかった街角の本屋さんに行きました。なぜか、ずっといきたいとおもっていたのに、なぜかいけなかったところ。たぶん、あの嵐の日以来いっていないとおもいます。あの、うなぎやさんのそば。お洒落すぎる名前の洋食屋さんも近くにあります。素敵なおじいさんがいつも同じ場所に座っているんです。いくまで、不安でしかたなかった。もし、もうなくなっていたらどうしようとこわくていけなかった。だからそばも通れずにいた。思い切っていきました。そしたら、煌々とした灯かりが目に飛び込んできました。入って5秒(おんなの決断はどうしてこうも早いのでしょう)。それは、『目に見えないもの』。こんどはいちど手にしたものは決して離すまい。なんだか、不思議にそんな想いに包まれてひとり笑ってしまいました。もっと笑っちゃいますが、『人間ぎらい』と、『日本の昔話』も買いました。その小さな棚はまるで、おじいさんの書斎にある本棚そのものなんです。究極のセレクトショップです。そこに、もう持っているのが何冊もあるとやっぱりほっこりした気分になる。ひとこともことばを交わさずして、どれを選んだかだけでも、ものすごくたくさん話をしたように思える。それは、ひとつの先人の知恵の玉手箱。時間を経て残ったものだけが選ばれてそこにある。賢者の眼鏡にかなったものもの。そんなことを教えてもらえる街角です。是非、行ってみてください。きっと、何かにヒントがあるように思えます。でも、わたしのお薦めは少し暮れてからの時間でしょうか。いや、ひとによってふさわしい時間は違うのかもしれませんが。