「かたちのいい月が居る 友を待つ 朝月夜」。こんなフレーズが、ほとんど完成された詩ですよね、あるゴルフメーカーのカタログをひらいた第一頁に載っているんです。まるで、応援歌かとおもってしまいました。朝よんで、いちにち、いろんなことばが頭の中に溢れてきて、どれをどう書いたらいいのかわからないくらい、たくさんの言葉がうまれてくる。もし、頭のうしろに、あのレジにあるレシート印字がついていたら、それはもう、地球一周とはいいませんが、花嫁さんのあの(あれはなんというのでしょう)しっぽじゃなくて、そうあんな長さではとても足りないくらいです。そのなかで、おもいました。まずきちんと紙で読まないといけないんです。行間に滲むぬくもりは、その伝わり方は全く違う。横書きの頁では、しかも背景もインクものっていない無機質な画面では、まったく違うということに気が付きました。日本語は縦書きにしないと、気持ちはのらないのです。だから、たいせつなひとへの手紙は自然と縦書きになる。直筆なら。無論、無意識にでしょうが、敢えて想いを込めすぎてはいけないのだろうかという躊躇があるときには、横書きになる。自分を顧てもそうおもいます。それに気づくと、忽ちいろんなことに合点がいく。たいせつなひとにたいせつなことを伝えたいのは朝。こちらは、夜。月のまだ昇らないうちに。とにかく、変な言い方だったら誤りますが、とにかくむしろ、いちばんわかりやすくてほんとうに手に取るようにわかって、嬉しかった。とても大きな冒険ではなかったでしょうか。


ひとはひとを好きになって、それであとはこれまであるものを守るだけに時間を使うわけではない。また、ひとがひとの眠っていたいろいろな才能や感覚を呼起し、互いが互いの刺激になる。そう、たぶん、友情でもそうなのでしょう。数年に一度しか会わずとも、互いがなにかの励みや、勇気をあげたりもらったりしている。そう、知らず知らずのうちに。それをひとの出合いというのでしょう。毎日、ある程度は機械的にひととあわねばならない仕事(大抵はそうです。職人さんとか、農家のひととか、漁師さんとか自然を相手にするもの以外はみなそうです)をしていると、ついつり、ワックスの上の表面のつるつるの部分だけで、あたらずさわらずひとを怒らせず、かといって特段深入りもせず、なんとなくな日々が続いて、まぁこんなものかと気が付くと、もう老年前夜となるのかもしれません。でも、ある素晴らしい職人さんがおっしゃっていました。「人生に老後はないんです。」と。全くその通りだとおもいませんか。ひとは生きるために生きてるんじゃないんです。わたしはわたしでないようにして、時間を埋めてもそれは、生きたとはいえない。生かされたかもしれないが、生きたわけではない。少々難しいですが、わたしがわたしであることに満足したり、反省したり、がっかりしたり、充実したり、そんな日々の積み重ねというか、そういうことではないのかなとおもいます。だから、愛することをあきらめて、ほかに何をすればいいというのでしょうともおもいます。たしかに書くことは、ほんんど息をするようなものな感じですけれど、では書くことさえできて、ご飯が食べられたらそれでいいか、そのための環境作りをすることが生きることなのかといわれたら、それは本末転倒。ちゃんと、生きているからそのあとで書くということが生まれるように感じます。生きてもいないで、書く環境さえあれば飢え死にさえしなければそれでしあわせなんてとても思えない。極端ですが、わたしはそんな風に、自分の奥のほうでずっと感じていたように思う。こんな風に少し吹っ切れたのは、ついさっき、満ちていく月のしたを歩きながら、こころがそう教えてくれたからなのですが。


少し前の、いつも持ち歩く手帖の一ページに。「もし、ずっと待ちぼうけだったらどうしよう」。そう、書かれていて、素直さに自分で苦笑いをしました。たぶん、そのときの正直な気持ちです。いや、なかなか見えてこないときはひょっとしたらというそんな不安がまったくないとはいえなかった。恥ずかしいけど。でも、たぶんだれもおなじでしょう。だとしたら、無礼を承知で書きますが、そちらは、もし、待っていてくれてなかったどうしよう。と。もちろん、神さまではないから、永遠に生きられないし、なにかがどうしても今世での達成をよしとしない可能性だってある。それでも耐えられますか?たぶん、なにより自分自身にそう問うてきた時間であったような気もします。いつかの演劇舞台『エンバース』は、出だしでこんな意味の台詞が出てきます。ほんとうにひとを愛するということは、いつかくる別れに耐える覚悟という試練を負うことでもあるんです、と。はじめから愛することをしなければ、それをどこかでブレーキしていれば、愛する人との永遠の別離にも遭わないで済むんだと。たぶん、そうなんだとおもいます。身近なところでは、城山さんが奥様を亡くされたあとの著が、ひとがひとを愛するということを教えてくれます。ひょっとして氏がそれまでいっさいの恋愛小説を書かれなかったのは、目の前に実在するほんとうの愛しか書けないとおもわれていたかもしれないと、おこがましいのを承知でふとおもいました。


これも、月と歩きながらおもっていました。少々蛇足ですが。あくまでおんな子どもの好きなたわごと、御伽噺です。ときどき、男のひとの随筆などに、こころは小3のときから変わらない(なんで9歳なのでしょうね)と、あったりしますが、それを真似ておもうんです。ひょっとしたらわたしはうまれたときから53歳かもしれないと。(なんでその数字なのかは自分でもわかりません。)。いまもずっとそうで。あの曲に惹かれたのは、ちょうどその頃お腹の中で聴いていたきがする。で、そのときは産んでもらえなかったか、あるいは産まれてすぐに昇天することになったか、ひょっとすると双子のもうひとりだったのかもしれない。なんて、ちょっとおもわないでもない。そして、やっと逢えた。これを書き始めたとき、潜在意識だけはそれに気づいたいた。なあんて。そんな空想。ちょっと変ですかねぇ。思えば、いつもそのひとりに宛てて書いていた。最初から。そう。だから、あの時代がとても懐かしくて、小説『ふたりの季節』なんてとても、ひとごととはおもえない。不思議です。ほんとに。あんまりこんなこと言うと、あたまがおかしいとおもわれちゃいますかねぇ。おばさんはほどほどができなくていけません。