舞台がひとを育てるのだろうか。成長著しい若武者たちを眺めながらふとそう感じた。芝生の上のプリンス君にしても、きっと間違いなく彼の成長を早めているのは、常に舞台があるから、なのだとおもう。失敗もし、成功もし、そしてそのなかから、また新しい課題や教訓を学んでいく。おばさんとしては、あんまり急ぎすぎることへの畏怖もないではないが、いやいや彼には彼のスピードがあって、それは予め神さまの差配で、時には試練として用意されているのかもしれぬ。そうおもうと、たいへんだね、と声も掛けたくなる。しかし、夢を追えるものはやはり、強いし、また経験が彼をさらに強くする。そして、夢はそれを追える人を輝かセ続ける。きっとそういうものな気がする。
とにかく、よかった。嬉しいことは素直にバンザイして喜びたい。パレードを直接目に出来ないのがいささか残念ですが(たのしみはまた次までとっておきませう)。奇しくも、いつもの出張なんだな。たとえそれが、少々しんどいものでも、自分を待ってくれるものがあるというのは、きっと有難いことなのだ。そう思えるようになった。たとえそれが、にんげんでなくても、オスが待ってくれているときはあんなに軽かった足取りが、メスだけになると途端にしぶしぶになっちゃう、このわたしの素直さ?もいささか呆れものですけどね。あまりに軽率な仮説ですが。ふとおもった。無人島ならぬ、牡島と牝島があったらどうします?そこは、犬も猫も、お馬さんまでみんなそれぞれ牡か牝だけ。そこで、どっちを選ぶかでひとがわかれる気もしませんか?きっと、同性しかいないほうがいいというひとも少なからずいるはずで。無論、それが悪いとはいいませぬが、ひょっとしたら、異性のお友達をもてるひとというのは限られているのかしら。そう思えなくもない今日この頃。だとすると、このくにはまだまだ、未成熟。西洋の風土文化には程遠い。それがにんげんたるものの行動規範に正しいかいなかという小難しい議論は、無論たかいたかい棚のうえにおいておくとして。おやおや、またまたおてんばな脱線してしまいました。ごめんなさい。
ひとつだけ苦言をおもいました。あの主将のガムを噛みながらのインタビューはいけません。監督は叱らなかったのだろうか。なんといっても紳士のチーム。それが誇りのはず。それなのに、ガムはいけない。わたしが母親なら父親に頼んで殴り飛ばしてでも反省させたいところです。無論、出すぎた言は承知の上で。外人選手の打席でのガムは仕方ありませんが。あれは敵への挑発と、自分へのリラックス。しかし、ファンへの挨拶でガムはないでしょう。ひどい。それを許してしまうファンもいけません。ファンがまたチームを育てるんです。舞台がそうであるように。それぐらいの気概がないといけません。と、思うわたしはいささか古くさいのでしょうかねぇ。『十二人の怒れる男』の劇場ポスターを見ていたら、なぜかかつての俳優さん、下村さん(どーしてもお名前の方がでてきませぬ。)の顔が浮かんできた。いい風情の方だったなぁと。あれ、大木実さんや山村聡さんより少し上だったような~。小沢栄太郎さんっていましたよねぇ。あの方と同じ位かなぁ。それにしても明治生まれの方の皺は、どうしてあんなに深くて味があるのでしょう。時代が、またひとを育てる。そういうことなのですかねぇ。